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第2LEG |
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第2LEGはF1も開催されるセパンサーキットで行われた。昨日の結果順でのスターティンググリットのため、12番グリットと後ろの方になってしまった。
しかし、TeamSunLakeにはロケットスタートの高橋がおり、当然の事ながらこんなときの先発は高橋である。
スタート直後からコースポストでは意味もわからず黄旗を振るオフィシャルのおかげで躊躇していた高橋に、監督から「気にせず走れ」との指示が飛び、6分を切るまでにラップを上げ一時は2位にまで浮上、また、新生ラチェットシステムも順調に稼動しているようであった。
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2時間が過ぎた時点で、ドライバーを高橋から平澤に交代、しかし、このころには、ラチェットシステムに昨年鈴鹿での症状が再発生、また、監督がタイヤをチャックしたときにかなり減っているような印象を平澤に伝えたため、平澤はタイヤセーブモードで走行をしてしまった。(後に平澤は自分でタイヤを確認すればよかったと嘆くことに、監督は昨年5月での悪夢が頭をよぎっていた為、安全策にでてしまった) |
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その後約3時間半を経過した時点でピットに入れタイヤ交換及びドライバー交代を実施、ドライバーは監督に代わった。
このころには、平澤のセーブモードでの効果もあり、電力的には全く問題が無くピット指示は殆どラップを上げろの指示のみ、例によって監督は過激な走りを見せ、チーム最速ラップをたたき出す(その陰で平澤が泣いていたのは云うまでも無い)その後も順調に周回を重ね、やはりマレーシアタイム15時1分前にレースが終了し52周回、このLEGだけでは、OSU、芦屋大、柏会に次ぐ第4位総合でも9位に浮上した。 |
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その後充電タイムが日没まで有ったが、昨日ほど晴れることは無く、満充電にはいたらなかった。 |
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第3LEG |
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第3LEGはプトラジャヤで行われ、マレーシアの新しい行政都市で、市街地を封鎖して作られるコースからは首相官邸も見える。一般道とはいえ、出来たばかりの街なので舗装はきれい。
Shah Alam よりは、かなり楽に走れそうである。
到着からレース開始の9時までは充電が可能であるが朝は余り天候が好ましくなく、殆ど充電できなかった。
昨日の結果でスターティンググリットにつける。 今回は4番グリットで好位置だ。 |
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今回は先発は平澤、高橋は2番手でバッテリーが消耗した状態を彼に経験してもらうことになった。
いよいよスタート、しかし微動だにしないSunLake号、原因がわからずすぐにピットまで押して行く、ピットでしばらく調べていると突如動き出し、そのまま走行開始、天候が回復し日差しが次第に強くなりペースを上げ6分を切るラップで走りつづける。
平澤は昨日の鬱憤を晴らすが如く快調に約2.5時間を走り、高橋に交代、交代後から、雲が出て来だし、我慢の走行が続く。 |
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45周を過ぎた辺りからラップタイムを維持できなくなり、最終的には47周回となり、やはり1分前に終了となった。
結局このLEGは5位、総合成績では8位で全てのレースを終了した。 |
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シャーアラムへの帰路 |
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例によって、プトラジャヤからシャーアラムまでの帰路はトラックの隊列を組んで白バイ先導であるが、途中有名なスコールに会い次第に、隊列は崩れまたしてもサバイバル状態となってしまった。
スコールはまさにバケツをひっくり返したような状態で、トラックに積んだソーラーカーは完全にずぶぬれ状態となってしまった。
レース終了後で幸いであったが、コンテナへの積み込みは完全に乾ききらないまま積み込むこととなり、帰国後のコンテナ開封が怖い。 |
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表彰式 |
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今回全く章典には関係なかったが、表彰式では地元マレーシアチームのUTMと親睦を深めた。
総合優勝は大阪産業大学、2位は芦屋大学、3位が東海大学翔洋高校でそれぞれの走行距離は 985km、971km、861kmであった。TeamSunLakeの走行距離は初日のトラブルはあったものの647kmであった。 |
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>>レースレポート:マレーシア1・マレーシア2・マレーシア3 |
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