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レース概要 |
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このレースは本年より初めて開催される国際大会です。(>>オフィシャルサイトへGO)
この大会は日本を始めアジア各国のチームが参戦を表明しており、まさにアジアのNo.1を決める大会となります。
大会は、6/9〜6/12までで、シャーアラム、プトラジャヤの市街地を封鎖したコース及び、F1も開催されるセパンサーキットでの3ステージに別れ、それぞれ6時間の耐久レースとなります。 |
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搬出 |
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5/12遂にTeamSunLakeのソーラーカーが海外に出発することになった。
積み込み作業の前日まで、新しく作った前輪のチェックを行っていた。
これは、前輪から走行中に異音が発生する物であったが、その原因を突き止め、走行に悪影響が及ばないことを確認したので特に対策はとらないこととした。
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コンテナへの積み込みは、初めての作業なのでソーラーカー固定のための専用クレードルを竹原が製作したがこれが、極めて頑丈な物で積み込みに立ち会った通関業者が「えらいしっかりしてますなー、やりすぎですよ」とコメントするほどの物となった。しかし、輸送途中で壊れてしまっては元も子もない。
積み込み作業は比較的順調に進み次は、6/8にマレーシア シャーアラムの街で行われるレース車検での再会となる。 |
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メンバー出発 |
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6/7関西国際空港にメンバー集合、今回の海外遠征メンバーは、下村、平澤、竹原、高橋のいつものメンバーに加え、助っ人メンバーとして、前田氏(かなり以前からソーラーカーには興味があった模様)、太田氏(鈴鹿レースでおなじみのシバタファミリーチームの太田氏のご子息です)と、竹原氏の奥さん他、総勢10名となった。
セキュリティーチェックで前田のアーミーナイフが引っかかるご愛嬌が有ったが無事出国完了。
飛行機出発を待つ間もメンバー間での簡単な打ち合わせ。この時はまだこれから繰り広げられる数々の困難を知る由も無い・・・・ |
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マレーシア到着 |
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予定より若干の遅れが有ったが無事マレーシアに到着、しかし、監督は出国前から引いていた風邪は悪化したようで
辛そうであった。タクシーにてシャーアラムのホテルに向かい、ホテル到着後すぐにレースのレジストレーションを行う。
監督は既に病人状態であるが、登録には監督のサインを10ヶ所以上必要で、気の短い監督は爆発寸前であった。
このため危険な監督をホテルに残し、残るメンバーでコンテナからの積み下ろしを行った。ソーラーカーは一部軽度の破損が有るものの無事であったが、我々到着前にコンテナの封印が解かれていたこともあって、アルミのアングルや角材などが盗まれていた。その日の内に手近な材料(空き缶)を使ってすぐに補修。その日の作業はAM1:00頃までかかった。 |
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クアラルンプールパレード |
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6/8は参加車両任意でのクアラルンプールパレードとなる。
朝6:30にはソーラーカーの保管してある体育館に向かう。
オフィシャルの用意したトラックに積み込み9:50にクアラルンプールに向けて出発。(当初の予定では9:00出発、以後このような時間の遅れは頻繁にあり、我々はマレーシアタイムと称していた。)
クアラルンプールまでは、白バイ先導でソーラーカーを積んだトラックが隊列を組んで移動。
白バイの先導は、なかなか見事。100km/hr以上で走りながら、片手を使っての交通整理。高速道路でさえ、車線上に斜めに白バイを停めて車の流れをせきとめる。巨大なトレーラーに白煙を伴う急ブレーキを強いて停めてしまう情景は圧巻である。マレーシアのお巡りさんは絶対なのだ。 |
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ペトロナス・ツインタワーが目前に見える場所に、ソーラーカーをトランポから車を降ろしセットアップ。パレード開始。マレーシアの公道を走るソーラーカー編隊。マレーシアでのSunLake号初乗りの名誉はコイントスの結果、若手ドライバー高橋に与えられた。
ペトロナスツインタワーの足下に整然と並ぶ12台のソーラーカー。実は全て日本製であった。
ソーラーカーの展示は場内整理のスタッフはいるものの、一般の観光客が、ぞろぞろと展示場に入ってくるため、とても目を離せない。
展示終了後、シャーアラムへ帰還、今度も隊列を組んで帰るのだが、朝ほど白バイがおらず、割り込みが続出。やがて編隊は
チリジリになってしまった。
トラックとバスは良いが、自分たちで運転するサポートカーは、自力でのドライブになり、まさにサバイバル状態となってしまった。 |
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>>レースレポート:マレーシア1・マレーシア2・マレーシア3 |
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