The Place in the Sun

三文楽士の休日 2006新しい夏編

FIA ALTERNATIVE ENERGIES CUP
DREAM CUP ソーラーカーレース鈴鹿2006

ネオ・ストーリー/NEO Story

プロローグ
セクション1 製作改良編
セクション2 ルーキー
セクション3 ソーラーカー創世神話
セクション4 魔物が微笑む時刻
エピローグ
 
資料編1 試走会
資料編2 参加車両  ドリーム/チャレンジ   エンジョイクラス
資料編3 甲羅干し百景
資料編4 結果     ドリーム/チャレンジ   エンジョイクラス
資料編5 フォトギャラリー

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プロローグ


2005年8月27日 20時15分 東洋紡総合研究所 サンレイク車庫

 暗闇で自動車のヘッドライトを頼りに不安そうな表情でサンレイク・ネオの左前輪をチェックする3人がいた。

  「ホイールはお亡くなりやな。」
  「ブレーキディスクは大丈夫か?」

 ぶつかった跡はないが、少しブレているような気もする。
 チタン製の軸がやられていなければいいのだが。

  「太田さんに診断してもらうしかないな。」
  「乗れ、云うたんはこっちやしなあ。」
  「シャーシだけで本当に良かったな。カウル付けてたらオシマイやった。」
  「まあ、授業料やと思うことにしよう。高いか安いかは、これからや。」

 2005年ドリームカップ鈴鹿ソーラーカーレース。サンレイクピットに応援に来て、そのままソーラーカーに取り憑かれてしまった若者5人。僕たちは、彼らの熱を冷ますまいと8/27の午後にチームガイダンスと試乗会を企画したのであった。

 ガイダンスはチームの位置づけとソーラーカーの簡単な説明。簡単そうで奥が深いソーラーカーの魅力について細々と話をしても最初は念仏にしか聞こえないだろう。まずは体験が重要ということで試乗会に移る。勤務先の駐車場は休日なのでガラガラとはいえ、10台程があたかもジムカーナのパイロンのように停められている。

 代々、サンレイク号のステアリングは、とてつもなく重い(重かった)。
 機能性本位で設計製作されているレーシングソーラーカーの多くは運転しやすさなどは二の次だ。たいていの場合は一人で乗り込むことさえできない。その中でもサンレイク号は群を抜いてスパルタンだ。

 私が最初に見たサンレイク号のステアリングシステムは自動車評論家の国沢光宏氏を仰天させた代物で、第二次世界大戦時の戦闘機と同じく、ただ一本のバーがニョキっと出ているだけだった。(右に向けると右に曲がり、左に向けると左に曲がる。)正に零戦である。

 やがて車両規則が改正され、突起のない普通のハンドル(丸形推奨)でないと使えなくなってしまった。旧ステアリングシステムのバーの先端には直径4cm程の丸い球が取りつけられていたので「突起など無く、円形ハンドル以上に丸いではないか」と主張して押し切ろうという案も出されたが、バーそのものが突起と見なされてしまうといことで、予め車検官から「次回はこれじゃあダメだよ」と釘をさされた時点で、その提案は却下された。

 球の代わりに丸い小さめのダミーハンドルを取りつけよう、という提案もあった。本来の舵であるバーをハンドルの回転に見立てようということだが、流石に、この案を実行に移そうというメンバーはいなかった。

 という次第で、この時は、形だけは普通のハンドルにだったのだが、ハンドルの主軸に取りつけられたクランクシャフトで直接タイロッドを動かすシンプルなメカニズムは、恐ろしく重いハンドルとなり、据切りは不可能、並の女性の腕力では走りながらでも曲がることはできないだろう。

 軽く全員が一人ずつ、そのハンドルの重さを体験し、恐る恐るゆっくりと駐車場を数周回った後に、ベテラン高橋が模範走行。サンレイク号の加速と機動性を新メンバーに見せつけた。アクシデントはその直後に起こる。他の4人が尻込みする中、唯一二回目の乗車に手を挙げた平尾が、直前に見た模範運転に刺激されすぎたか? 走りながら次第にスピードを上げ、駐車場内で駐車中の車を迂回しようとしてカーブしたところで地面凹凸でリアを浮かし、コントロールを失って駐車場脇の排水溝に片輪を落としてしまったのだ。

 試乗会後の歓迎会中、顔で笑って心は真っ青だったオジサンメンバー達は、談笑しながらも気になってしかたがなかった車両のダメージを、彼らが帰った後で再度見積もりに夜更けのガレージに向かったのであった。

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セクション1 製作改良編



2006年5月 太田鉄工所での作業風景
2005年 秋

 秋に入ると、急造で評判の悪かったスパッツ(拙作)の再製作に取りかかった。前回はスチレンボードを曲げて作った外形の外側だけをケブラーFRP補強するという方式であったが、今回はお得意の発泡スチロール削り出しに表面カーボンFRP補強とすることにした。最も時間のかかるのが、スパッツが取りつけられる車体脇の切り上がりの部分。図面など無く、左右対称でもない現物合わせで作られた曲面に、まずは発泡スチロールのブロックをフィットさせなければならない。オジサンだけなら、要所だけ合わせて、後は適当に仕上げてしまうのだが、新人さん達には、まず道具の使い方から教えていかなければならないので時間がかかる。メーカーとはいえ、職場の性格上、化学系の教育を受けた者が多く、メカニックの扱いに慣れていないのはやむを得ないが、それにしても昨今の理工学系教育を受けた学生の実技能力低下は嘆かわしい。学生の問題ではなく教育システムの問題である。

 朝日ソーラーカーラリーが中止になって2年が過ぎた。公園ラリー形式の競技は、耐久レースとは性格が異なるものの、公道を走れないソーラーカーをドライブできる貴重な場であった。それよりもなによりも、秋の空白期間を埋めるのがこのイベントの大きな役割だったのだ。春のエコカーフェスタまでには半年以上ある。昨年は車両再製作を行っていたため、自らにむち打つことができたが、今回は流石にモチベーションを維持することが難しい。

2006年 冬

 新しい年が来た。なんとか新人のモチベーションを維持しようと、
  1月14日 芦屋大学で行われた太陽エネルギー学会主催の製作講習会
  2月26日 鈴鹿サーキット主催のライセンス講習会を兼ねた製作講習会
に出席。参加人数の多さにちょっと驚く。刺激を受けたのはむしろオジサンメンバーたちだった。


2006年1月14日、太陽エネルギー学会主催、ソーラーカー、WEM製作講習会(芦屋大学講堂)
おなじみの面々の後ろ姿がチラホラと。あなたは何人解るかな?

 

お昼休みに行われた芦屋大学ガレージの見学会。TIGAの中身が見れるとあって大盛況。
あまりに混雑しすぎて、ちゃんと見れたかどうかは?

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2006年2月26日、鈴鹿サーキット主催、ソーラーカー製作講習会
(於国際レーシングコース・コントロールタワー2階)講師はパンダサンチームの細川信明氏。

 

講義に続き、鈴鹿高専の DEVeL 実車をお手本にしての講習。


講習と平行して行われた国際レーシングコースのバス見学ツアー。受講者が熱心なため講師の細川氏が、
講習から離れられなくなり、急遽コースガイドの代役にサンレイクの平澤監督が指名されてしまった。


2006年4月

 4月1日〜2日 旧湖東町(現東近江市)のクレフィール湖東で開催されたエコカーフェスタ2006。せっかくの湖国開催のソーラーカーイベントだったが、準備不足で参加は断念しシバタファミリーソーラーカーチームに居候させていただいた。マレーシアで御一緒したNandeyanenメンバーに再会できたのが嬉しい。新人さん達には超熟年ソーラースピリッツが少しは伝わったかな。


2006 Eco Car Festa ソーラーカー8時間耐久レースのスタート。参加は8台と寂しかった。

 作業は遅々として捗らない。昨秋に取りかかったスパッツはまだ発泡スチロールの塊のままで、最終的な形状さえ見えてきていない。いや待て、もとより図面など存在していないのである。あるのは段ボールの型紙のみ。それすら、単に稜線となる曲線をフリーハンドでなぞっただけの代物なのである。

 大阪勤務だった平澤監督は4月から東京に転勤になった。ドライバー高橋は1年前から岡山勤務。次第に営業職の比重が増しているようで、取引先の操業との関係で休日が潰れることが多い。竹原は協力会社の社長、暇なわけがない。
 ともかく新メンバーに削り出しと表面の強化繊維補強工程を一通り経験して貰い、作業が自立的に進むような体勢を作りたい。少しでも場を増やそうと同じ工法で車両制作中であった立命館大学まで、なかば押し売りで手伝いにまで行ったのだが、

2006年5月

 独身族とオジサン族とはどうにもスケジュールが合わず、結局、立命館大学の新車両のカーボン貼り付け作業にはオジサンメンバーだけが立ち会い、サンレイク号の新しい前輪スパッツの製作もオジサンメンバーだけで仕上げるという結果になってしまった。



 ゴールデンウイークが過ぎると、試走会までは秒読み段階である。昨年は車両製作が間に合わず参加できなかったので、今年はなんとか間に合わせたい。新人ドライバー平尾にも経験を積ませたい。シャーシを、ソーラーカーの名医:太田鉄工所に持ち込み、

 ・まずは昨夏、溝に落として曲げた左前輪サスの修理。
 ・再車検を指示されたサイドブレーキの抜本的対策。
 ・スパッツ幅を狭くするための前輪ブレーキ取りつけ位置変更。
  ついでに、昨年、かなり効きがあやしかったブレーキ取り替え。
 ・後輪にカーボンホイールを採用し、タイヤをチューブレス化+ワイド化。
  それに伴いずれる後輪のセンターを合わせるためのサスペンション部品手直し。
 ・超重いステアリングシステムの抜本的改造。

が着手された。



 後輪スパッツはようやく日程を合わせることが出来た新入メンバーと製作。多角形を基本にブロックから頭に思い描いた形が削り出されてくるところで面白さに目覚めたようで、その後は一気にカーボン張り込みまで進めることができた。

 
発泡スチロールを削り出しで作られた
後輪スパッツの内型
  スパッツの外骨格になるカーボンクロス

 5月27日には学生時代に燃料電池車でJISC出場経験を持つ期待の新入社員、縄大輔が犬山から合流した。

 
前輪スパッツの内型を、
改造半田ゴテで刳り抜く東と縄
  カーボンホイールに合わせて作り直された
後輪サスペンションパーツ類

2006年6月

 前輪サスの損傷は幸いにも比較的軽く大事には至っていなかった。サイドブレーキは、後輪タイヤへのキャスター直接押しつけ方式を廃し、ホイールインモーターのローターに直接取りつけられたプレートをキャリパーで挟み込む形に改造された。オートバイ用のブレーキを足で踏んでいた旧前輪ブレーキは取り払われ、鉄人有彦氏の手でアルミ無垢板から削りだされた特製ブレーキペダルが取りつけられ、油圧系統に使われていた銅パイプも、メッシュ補強されたホースに変更された。


ブレーキペダルの位置を調整中。以前はバイク用のハンドブレーキを足で踏んでいた。


 クランク方式であったステアリングは、Otusの予備部品としてストックされていたラックピニオンに取り替えられ、ハンドル切れ角が倍、すなわち従来の約半分の力で操舵できるようになった。操作性が上がり安全面とコーナリングの効率化が期待できる。

    
仕上がった前後輪スパッツ。前輪スパッツの方は、
実は深すぎてタイヤリムが見えず、だるま落としの
要領で1cm程、浅くしなければならなかった。
     ラックピニオンに交換されたステアリングシステム。
この床面へのボックスの取り付けが思わぬ
トラブルを引き起こした。

 太田鉄工所での作業を手伝い、前後輪のジオメトリー調整を何度か経ることにより、新メンバー、恵島、龍田、東のメカの取り扱いも次第に様になってきた。

 シャーシをサンレイクガレージに戻し、新作スパッツを取りつけ(これまたお得意のマジックテープ)、駐車場で10ヶ月ぶりの試乗。立ち会ったメンバー全員、昨夏の光景が脳裏に浮かんでいたようだが、その悪夢は新しい足回りを装備したサンレイク号のスマートなスタイリングが吹き消してくれた。平澤監督は「これこそ僕が求めていたスタイルだ」と騒がしいが、貴方が書いた設計図に、そもそもスパッツなんて書いてあったかしら?。


スパッツを取り付けて駐車場で試走。自画自賛だが、なかなかカッコイイ


2006年6月26日

 盛り上がったところで迎えた試走会は、あいにくの雨。詳細は「こちら」

 残念ながら走行データは全く取れなかったが、走行中の連絡の取り方など基本動作の練習にはなった。なにより車両の運搬、セットアップ〜調整、出走、撤収と、一通りの流れを経験できたことが大きい。

 車両側の課題として明確になったのはブレーキのクリアランス調整。ずうっとディスクとパッドが擦っていて、アルミ製のハブとホイール全体がアッチッチになっていた。

2006年7月

 例年苦労するブレーキパッドのクリアランス調整だが、新しいキャリパーに取りつけられた恵島発案のブレーキパッド戻り機構は秀逸で、抜群の安定性。以後この仕掛けは Ejima System と呼ばれることになった。

 ヘルスメーター3台を使って車体の重量測定。定性的には誰もが感じていたのだがサンレイク号のオシリはとっても重かった。前後輪の負荷を同じにするには重心をかなり前に持ってこなければならない。(軽量化を最大の武器にチャレンジクラスを戦ってきたサンレイクなのだが、なんと自重を自分で計ったのはこれが最初。徹底的に定性的な議論でここまで仕上がっているところが僕の理解を超えている。やはり創設メンバーは普通じゃあない。)

 重量バランスの是正策はバッテリーを前に持ってくること。縦に4個ずつ並べてあるバッテリーを横並べにして運転席サイドの空間の一番前に置けばバランスするのだが、単純にそうすると、キックアップした曲面を持つ脇腹部分をバッテリーケースが突き破ってしまいかねない。
 車両脇の曲面と、シャーシサイドの補強リブ(オマケに、どちらも左右対称ではない)を避けながら、3輪の加重がバランスする位置にバッテリーを搭載するためには、かなり複雑な外形のケースを作らなければならない。新作バッテリーボックスはサイズの微調整がしやすい針葉樹合板製。力のかからない部分は大幅に刳り抜き、要所をポイント的にザイロン補強し左右一対でトータル2kgの軽量化(旧ケースが重すぎただけか?)を達成。本当は防水の意味でも、木目を出して漆塗り風に塗装したかったのだが時間が無かった。

 Aurora101、Tokai S8 長いキャリアを有するこの2チームのソーラーカーの全焼事故のニュースは衝撃的であった。事故原因は公表されていないし、車体は完全に燃え尽きてしまっているため、真の原因を特定することは難しいだろう。しかしソーラーカーで発火源になる物は限られている。僕のさほど長くはないソーラーカーキャリアでさえ、過去、何度かの短絡事故を目撃している。ソーラーカー全般に云って、電気絶縁に関する対策は甘いと云って良いだろう。

 軽量化を極めたソーラーカーは非常に軽く燃えやすい素材で作られることが多い。シャーシに使われるカーボンコンポジットも導電性である。新作バッテリーケースでは、短絡する可能性のあるバッテリー端子間には難燃性の耐熱高分子素材であるポリイミドフィルムを挟み込んで絶縁し、さらにバッテリー端子と隣り合うカーボンシャーシの表面にもポリイミドフィルムを貼り付け、なおさらにバッテリー端子の蝶ネジの頭の金属がむき出しにならないようにエポキシ樹脂封止を行った。

 昨年、ショートして切れた方向指示器のLEDを付け替え、さらに、充電タイムに撒かれる水から守るため(昨年はウインカー内に水が溜まり、出走前点検は冷や汗ものだった)、方向指示器自体を着脱式に改造した。

2006年7月30日(日曜) 午後17時

 準備万端、後は積み込むばかりと道具類の整理をしていたときに、竹原が、
「ん? なんや?これは」
 車体をよく見れば、ボディ側板に縦皺が???。Sunlake Neo のボディは表面をザイロンFRPで補強した発泡スチレンボードで作られている。なんとそのコア材であるスチレンボードの一部に座屈破壊が生じているではないか!。「壊れるとしたら、ここだよなあ。」と皆が思っていた、最ウイークポイント、ボディ後部のシャーシとの連結部である。

 ザイロンをはじめとする高分子製のスーパーファイバーは引っ張りには強いが、圧縮方向は弱い。製作中、構造的に圧縮応力が加わる箇所にはカーボンファイバー補強を入れたかったのだが、昨年は時間的余裕とカーボンファイバーが無かったのだ。

 残された時間は4日間。土日フルピッチでの作業で疲れた身体に鞭打ち、この時刻から車体の補強修復作業開始。塗装を剥がして基材をむき出しにし、投錨効果を得るためにサンドペーパーで表面を適度に粗化し、硬化剤を配合したエポキシ樹脂を含浸させたカーボンクロスを2重3重に貼り付け、離型性の高いポリエチレンフィルムを挟んで型板で押さえつける。

カーボンクロスで補強されたアッパーボディのサイドウォール

思いかえせば、
   2004年の鈴鹿の一週間前はギリシャで壊れたボディの積層修理をしていた。
   2005年の鈴鹿一週間前は、急造スパッツにケブラークロスの積層作業をしていた。
今年は卒業できると思っていたのだが。ハードな夜間作業が続く。


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セクション2 ルーキー


2006年8月4日(金曜日)

FIA ALTERNATIVE ENERGIES CUP DREAM CUP ソーラーカーレース鈴鹿2006 公式車検

4:55 家を出る。307号線から1号線に入り、土山で夜明けを迎える毎度のパターン。

6:15 鈴鹿サーキット9番ゲート到着


 例年、車検日は「ドリームカップの出場者だ」と名乗ればフリーパスなのだが、今年は例年になくパスコントロールが厳しく、しかも一度登録された車両は変更できないという。ゲートではちょっとした交通渋滞。もう少し柔軟性が欲しかったな。

 

 今年は13−15番ピットを5チームで使う。事前に監督が他チームエントラントと調整したおかげで場所取りはスムース。3日間よろしくお願いします。


6:50 トラック到着。車体を降ろし、セットアップ。

7:30 Sunlake NEO を押しながらピットレーンを他チームに挨拶しながら進み、車検受付場所に並ぶ。

  「えーっ?(この暑いのに)もう並ぶの?」と盛谷先生。

  「久々の一番だぜ!!」


チーム・サンレイク、車検グリッドのポールポジションを獲得。


あわてて他のチームが並び出すと、20分後には長蛇の列。


台湾のAy先生 台湾ラリーに来い、と熱い。
 「オカネが・・・・」と答えると
 「飛行機代さえあれば何とかなる」と強引だったが
 「企業内サークルは休みを取るのが難しいのだ」と説明すると、妙に納得して頂けた。

8:20 チャレンジクラス受付開始

9:00 車検開始


 体重測定の一番は 細川さんと冨高さんに譲ろう。
 細川さんのバラストって20kg超えてるの!?


 サンレイク号の方は、サイズなどは昨年と同じなので問題なし。昨年やり直しになったサイドブレーキ、バッテリーチェック後に移動しようとしたときに解除し忘れてモーターがトリップ音を発し、「(今年は)サイドブレーキ大丈夫ですね」と太鼓判をいただく。ブレーキと脱出テスト担当は高橋。前輪ブレーキの調整もバッチリで制動距離は目測だが4−5m。脱出テストもそつなく決まり、指摘事項は牽引フックの位置を示す目印を入れるのみ。

 

9:40 ストレートで車検終了。ゼッケン40のステッカーを戴いた。二年連続車検1番。


パネルを一枚ずつ隠し、入力をチェックする

 セッテイングが完了した後は平澤監督とD1高橋による新人ドライバー平尾のスパルタ教育が始まった。レース中に起こりうるトラブルを予想してのイメージトレーニングが何度も繰り返された。

11:50 昼食解散

 エントラントとドライバーは16時からのブリーフィングに出席しなければならない。私は予定どおり午後から Aurora Team の David Fewchuk氏 とソーラーカー歴史談義。私の喋りで、どこまで通じたかは、はなはだ心許ない。

 彼らの HP(http://www.aurorasolarcar.com/)にも掲載されていない焼け落ちた Aurora101 の写真を見せて頂いた。あの特徴的な車の形そのままに真っ黒でぺしゃんこ。バッテリートラブルか?と問うと。多分そうだろうとの答え。過去にも何度かショートさせてGaAsセルを焦がしているので、そのあたりも怪しい。じきに新しい車両ができあがるらしい(ちょっと羨ましい)。

 この日は久しぶりに日が代わらない時刻に眠ることができた。


午後になっても延々と続く車検の列を眺める David Fewchuk 氏


こちらはブレーキテストの順番待ち。長野工業高校チームと鈴鹿高専チーム


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2006年8月5日 土曜日

FIA ALTERNATIVE ENERGIES CUP DREAM CUP ソーラーカーレース鈴鹿2006
フリー走行、予選、ドリーム/チャレンジクラス 決勝第一ヒート

6:30 ホテルロビー集合
6:45 鈴鹿サーキット 13番ピット着

7:40 平尾が乗り込みフリー走行前の行列に並ぶ。試走会が雨だったので、新人平尾がまともにスピード出してサーキットを走るのはこれが初めてだ。


7:45 フリー走行開始、いきなり平尾が躓き、ピットレーンに大渋滞を引き起こしてしまった。ピット側に避けて道を譲る。基本中の基本、ブレイカーONを忘れていたのである。しかし、これで本戦で同じ過ちを犯すことはないだろう。後ろに並んだみなさんには御迷惑をかけたが、本人には貴重な経験となった。30分たっぷり走り車両感覚はそれなりに掴めたみたい。

太田「鉄人」有彦氏登場。いきなりHanaさんからウチワ作りの内職への動員がかかる。

9:15 予選は高橋。コースに出るとすぐさまタイムアタックし4:39で10番グリッドを確保、その後は速度を落として練習走行。重量バランスを調整した効果を確かめる。

ピットレーンに並んで予選開始を待つ各チーム。

ドリーム/チャレンジの予選終了後は10時20分〜11時55分までがエンジョイクラスの予選。

 その間、僕たちは最後の微調整。12時からの出走前点検時には、いつでもスタートできる状態にセットアップしていなければならない。

 前輪平行度を繰り返し繰り返しチェックする。この作業はタイヤ摩耗を軽減させるために必須なのだが、何度やっても、なかなか合ってくれない。何かがおかしい。よく見れば、新設したステアリングシステムのラックピニオンボックスの取りつけ部がグラついている。

 「ネジが緩んだか?。」
 「いや違う。」

 原因を悟った僕たちは真っ青になった。ボックスをボルト留めしてあるカーボンシャーシの内層材が潰れ、表層のカーボン補強層が浮き上がっているのだ。車体整備の練習がてら、分解して細部を調整し、組み立て直すという作業を繰り返していたときに、ボルトの締め具合に慣れていないメンバーが締め付けすぎてしまったのだろう。このまま本戦を走ったら、途中でラックピニオンボックスが車体床を突き破り、操舵不能に陥るのは必至だ。

 出走前点検まで残された時間は60分。なんらかの手段で補強しなければ。

 「前輪チェッカーを使おう。」

 前輪チェッカーとは前輪平行度調整の際に定規代わりに使っている1m長のアルミアングルである。ラックピニオンボックスの取りつけネジと、奇跡的に、その真横に延長した箇所にあったサス台座の取り付け用ネジをアングルで結んで固定すればぐらつきは押さえることができるだろう。

 前輪チェッカーは、なんの変哲もない古びたアルミアングルだが、僕にとっては WSCC2001Malaysia 以来苦楽を共にした愛着のあるメンテパーツだ。同ピットのチャレンジクラス3チーム:静岡工科自動車大学校、立命館大学、サンレイクは共に WSCC2001 参加チームでもある。ブダヤコンプレックス玄関で、追突されてへしゃげたサンレイク後尾部の再成型用木型を作るため、アーミーナイフ付属の鋸をひいていた夜を思い出しながら、僕は鈴鹿の太陽の下で前輪チェッカーから必要な長さのアルミアングルをカナノコで切りだした。

 
何処がぐらついてるって? アングルを渡してボックスを固定

 本当はボックスの前後にアングルを入れたいが、その時間的余裕は流石にない。長さが半分になってしまった前輪チェッカーを使って再度平行度を調整。12時20分、遅刻気味になったがなんとか走れる状態に間に合わせて出走前点検を受けることができた。

これだけハイにさせていただいたのは久しぶりだ。



Fewchukさん、今日は美女同伴で御登場。オーロラチームを紹介するリーフレットとポスターを各チームに配っている。 同伴のお方が何方か解らないようでは、まだまだ鈴鹿サーキットマニアとは云えない。昨年の大会時に既に、今年 Aurora チームが参戦するなら、ということでマスコットガールになる約束をしておられたのです。

12:30 グリッド押し出し開始。いつもは後から登場するTIGAが真っ先にコースに出て行った。ポールポジションは久しぶりに、あの黄色い四輪車:エバラ・エコテック。過去、「鈴鹿にはポールポジションを取りに来ている。」と豪語した村山監督、オジサンチームの意地を会間みることができた。


 サンレイクのスタートドライバーは平尾。心臓バクバクに違いない。日頃表情豊かな彼が、まるで蝋人形と化している。あまり早く出て行くと彼の心臓に悪いので、押し出し12時45分と少々遅めで御勘弁頂いた。

12:56 平尾にスポーツドリンクを一口飲ませてキャノピーを閉める。


12:57 スタート3分前。ドライバー以外はコースから退去。ここから平尾の孤独な時間が始まる。

13:00 第一ヒートスタート

 平尾のスタートはずいぶんと遠慮がちだった。初体験なのでやむを得ないが、高橋のロケットスタートを見慣れた僕たちには少々不満だ。日曜日の読売新聞朝刊に掲載された写真を見れば、彼が大渋滞を引き起こしているのがよくわかるだろう。しかしその後は、ピット指示に対していきなり±2秒のラップコントロール。こいつはひょっとすると大物かも。

 2日間、充電時間を含めると、延べ13.5時間に渡るソーラーカーレース鈴鹿では天候の変化を予想することも重要な要素となる。この役割は、鈴鹿で5年間暮らしたことがある僕の役割になっている。インターネット中継されている天気図と雲の画像を見て、僕は13:30にはその日の確定予報を出した。少なくとも今日は絶望的?に晴天が続く。残念ながら夕立などの波乱は生じない、と。悲しいかな太陽電池パネルが劣化しているチームにとっては、天気が悪い方がパネル性能の差が縮まって有利になるのである。


 一時間が経とうか?という頃、プラットホームの竹原が首をかしげた。ブレーキランプが点灯したままになっているという。ブレーキランプは旧式のLED、消費電力が大きく、これが点きっぱなしだと補機用電源があがってしまう。

 ピットでは対策案を巡って大激論が交わされた。手元でブレーキランプスイッチに繋がるラインを引きちぎってしまう、という提案が現実的に思えたが、熟考の上、取り下げられた。ブレーキランプはファイルセーフに設計されており、ラインを切断すると点きっぱなしになってしまうことに気が付いたからだ。議論の末に出された結論は、ドライバーにブレーキペダル根本にあるランプのスイッチ周りを足で「グリグリさせよう」というものだった。すかさず、その言葉のままに携帯電話でドライバーに指示が飛んだ。

 平尾は云われたとおりに「グリグリ」。するとなんと正常動作に!

 やっぱ、あいつは大物だとピットでは絶賛するが、このグリグリ効果は残念ながら2周しか持続しなかった。

グリグリが効いたことから、トラブルの原因は大方予想が付いたので、結局ドライバー交代時に、(やむなく)アッパーカウルを開けて応急修理することに。

14:35 ドライバーはベテラン高橋に交代。素早くカウルを持ち上げて、ブレーキペダルに隣接するランプのオンオフスイッチのレバーにガムテープ巻き付けて応急修理完了。所要時間2分。これが実質的なロスタイム。ドライバー交代自体は問題なくスムースだったので、やはりこの2分のロスはちょっとくやしい。


本来はキャノピーを開けるだけで交代できるのだが、今回は
ちょっとオオゴトになってしまった。2番手はベテラン高橋。

向かい側のスタンド、謎の黄色い巨人の下に小さく見える人(点に
しか見えないが)実は江口倫郎さんであったことが後に判明した。

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セクション3 ソーラーカー創世神話

14:45 ドライバー交代+ブレーキランプ対策がうまくいってほっとしているところに、Team Solar Japan 代表の江口倫郎さん御登場。当サイトの掲示板にコンタクトいただいてからEメールで情報交換をさせていただいているが、お会いするのは初めて。大先輩を迎えてサンレイクと立命館大学の合同ピットは緊張しまくり。


 元はといえば、未来の自動車デザインをライフワークとする江口氏に、サンレイク流の「発泡スチロール削り出し+表層繊維補強工法」をお褒めに預かり、鈴鹿に来て頂ければ、現在のサンレイク号と、サンレイク号と同じ寸法のシャーシと、同じ工法で作られたボディを持つ兄弟車、立命館大学のBllatalious号の両方を御覧いただけます、ということで御招待させていただいたのでした。

 車両自身はレースの真っ最中なので見ることはできない。そこに丁度、通りかかったZDPの池上氏と名刺交換の後、「細川さん、さっきドライバー交代したからピットにいるはずですよ」ということでパンダサンチームのピットへ移動。すると、


 「いやあ、お久しぶり。」
 「最後にお会いしたのはアデレードのパーティでしたっけ?。」
 そう、細川氏、江口氏、当時は早稲田大学の学生だった池上氏との豪州同窓会が始まってしまった。
居合わせたバカボンズのエントラント氏曰く、

「神話の世界の話をしているんですかね?」

 遠い遠い昔。まだサンレイクも湖上の風も生まれていなかった頃。南の大陸で太陽の光だけを頼りに3000kmを走った人達がいた。その伝説に憧れてソーラーレーシングを始めた僕たちは何度もソーラーカーの神様の存在を実感した。きっと、ソーラーカーのエデンの園はオーストラリアにあったに違いない。

15時頃 David Fewchuk氏再登場

 ソーラーカーの書物を執筆中のFewchuk氏は、世界中のソーラーカーイベントについて記述したいとのことで日本の初期のソーラーカーについての情報を欲していたのだった。イベントの様子や参加チームについては考古学頁のために集めた資料類のコピーをお渡しすることが出来た。しかし表に出てこない社会的背景や公的機関による根回しなどは、当時のイベント企画側にいた人しか知り得ない。その点、江口氏は1987年のWSCの企画段階からWSCプロモーターの一人である東京映像社の大滝氏と共に Team Solar Japan を立ち上げ、1989年のソーラーカーデザインGPの企画運営やグランドソーラーチャレンジのレギュレーション策定に参画された、まさに時代の公証人とも云えるお方である。Fewchuk氏と江口氏との会話は、まさに日本ソーラーカーの創成記であった。

16時過ぎ ピットに戻ってきたシバタファミリーソーラーカーチームの柴田茂壽氏と太田龍男氏、日本の草分けプライベータ−を加えて、さらに伝説は語り続けられた。


 2005年の年末、僕はそれまでに集めた前世紀のソーラーカーに関する資料を基にして、ソーラーカーの歴史をレビューしようという分不相応な試みに着手した。道半ばでゴールは遠いが、それにしても、まさか、このような展開になろうとは夢にも思ってはいなかった。

 ところで、柴田さんと太田さんは何していたかというと、午前中に破損した石川県立小松工業高等学校チームの車両パーツを、滋賀県栗東の太田鉄工所まで運び、修理していたのである。また一つ、太田鉄工所に足向けできないソーラーカーチームが増えた。小松工業高校チームの車両の修復作業は、バカボンズさんやキョンシーさんのメンバーも加わって夜半まで続けられ、無事翌朝のエンジョイクラス4時間耐久レースへの出走にこぎ着けたようだ。オジサンチームは厚くて熱い。

16:45 第一ヒートも残り僅か。ここまで晴れ渡った鈴鹿の空を、ここ数年、僕は見たことがなかった。ドリームクラスのトップチームは快調に飛ばしている。ドリームだけではない。チャレンジクラスの柏会と堺市立のラップタイムは想定を超えている。さらには紀北、長野工業、キョンシー、バカボンズのタイムも同じクラスとは思えない。マックススピード、金工大も快調だ。この状況が僕たちの目標周回数を読み誤らさせることになった。昨年、バッテリーの底を読み切ることができなかった僕たちは、まだ「己を知る」段階に至っていないのだ。

17:00 チェッカー
 結局この日は目標周回43のはずが41周で終わった。1周は読み違いだが、2分のタイムロスが無ければペース配分で、もう1ラップ稼ぐ事も出来た。痛い。

17:50頃 車両保管解除、18:30からのバッテリー保管までの間、沈み行く太陽との別れを惜しみながらの充電タイム。


 日没後は翌日の準備。例年だと、その後でホームストレートで行われるショーと花火見物なのだが、今年はそういうわけにはいかない。「前輪チェッカー」の残りを使ってラックピニオンボックス固定の補強と、ブレーキランプ修理。タイヤ交換とサスペンションの再調整をしなければならない。この日の結果はクラス8位、総合14位。チャレンジクラス激戦は覚悟していたが、相手が皆ベテランチームだけにポーカーフェイス。お互いの手の内が全く読めない。作業終了は21時。あまりに様々なことが一度に進行したため流石にこの日は疲れた。

 
アングルをラックピニオンボックスに合わせてトリミングし取り付ける。

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セクション4 魔物が微笑む時刻



ドリーム/チャレンジクラス第二ヒート前の充電タイム。所謂「甲羅干し」

2006年 8月6日 日曜日

FIA ALTERNATIVE ENERGIES CUP DREAM CUP ソーラーカーレース鈴鹿2006
エンジョイクラス、4時間耐久レース決勝  ドリーム/チャレンジクラス、決勝第二ヒート

8:00 ロビー集合。ホテル向かいのコンビニエンス・ストアで、充電中の太陽電池を冷却するための氷を買い込み出発。

8:15 鈴鹿サーキット着。コンビニで読売新聞の朝刊を買い込むのを忘れてしまった。  出発時は雲が多く、少し期待したが、みるみる晴れてきた。今日もまた正当派ソーラーカーレースだ。鈴鹿で3日間、快晴が続いたのは記憶にない。

 エンジョイクラスの4時間耐久レースは7時20分から始まっている。エンジョイクラスのレースを見るのは実は初めてだ。ギリギリの人数で運営してきたこれまでは、そんな余裕はなかったのである。

9:10 新入社員の縄大輔登場。平澤監督と固い握手。


東京勤務の平澤と犬山勤務の縄とはずうっとすれ違いで、この日が初対面。新入社員は、
研修等々で結構忙しい。前日は仕事に必要な資格試験を受験しており参加できなかった。

9:20 セットアップ完了。

 頃合いを見計らって充電台にカウルをセット、シャーシをその横に並べてバッテリー保管解除の10:00を待つ。

10:00 ちょうど一畳マン氏が訪ねてきた時(毎度、応援ありがとうございます)にバッテリー保管解除。80kgの鉛バッテリーを乗せた台車が猛スピードで駆け出す。見ている分には面白いが、そのうち事故が起こりそうな気がする。


太陽光による充電開始。氷水をかけ、ウチワで扇いで太陽電池を冷ます。
読みながら笑っているアナタ。ウチワ扇ぎをバカにする前に 「ここ」を読め!


今年もやってます。サンレイク名物MPPTウチワ扇ぎ
こちらの効果の程は、保証の限りではありません。

 充電スタイル、特に冷却は各チームで流儀は様々。「甲羅干し百景」へ


11:20 エンジョイクラスにチェッカーが出た。優勝は長野県工科短大。試走会ではシースルーだった車体が銀色に輝いていた。


エンジョイクラスの上位3台
1位(手前) 長野県工科短期大学校        Fizzer18
2位(奥) 宇都宮工業高校 科学技術研究部  UK-hope1 2006
3位(中) OLYMPUS RS  ORS-7

12:00 移動に備え、防水を諦めて着脱式にしたウインカーを取り付ける。


某自動車メーカーのハイブリッド車の開発担当、大下氏と。今年は大阪府立堺
工業高校チームのドライバー。6位入賞ミツバ賞獲得。あやからせて頂かねば。

ボディ下に潜り込んでる人は、ベンチプレスしているわけではなく、冷却水
による漏電を嫌って着脱式にしたウインカーをセットしている最中なのです。


12:15 出走前点検に向けて移動開始。もう少し早く動きたかったが、エンジョイクラスの撤収とドリーム/チャレンジの移動が重なり大渋滞。

12:35 出走前点検完了

12:45 グリッドに移動しはじめようとしたその時、「何?」キャノピーの接合部が外れているではないか? 大あわてでガムテープ補修。今年は、こんなのばっかりだ。


「昨日、涼しかったって云うのは、これが原因じゃないか?」


昨日はポールポジション、名車:EBARA ECO-TECH と

12:50 グリッドに着く。平尾の表情は昨日とは打って変わって余裕ありあり。


芦屋大学、盛谷先生に撮って頂いた一枚。

13:00 第2ヒート開始。まだまだ遠慮しているなあ。


芦屋大学 Sky Ace IIχ 学生主体でチャレンジクラスにエントリー。トラブルか?

14時前  龍田、登場。急な仕事が入ったため車検日と一日目は参加できなかったのである。ようやく全員が揃った。

14:10 二階で写真を撮って戻ってくる途中、FIAから当大会の審査委員長として派遣されている Dionissious Negkas氏(ギリシャ電気自動車研究所の総書記でPhaethon2004オーガナイザーの一員)とばったり。


 車検日に、今年からドリームカップの担当になった事務局の山野氏を通じて、Phaethon2004のオフィシャルの皆さんに手渡して欲しいと、サンレイクのPhaethonレポートを託していたのであった。しっかりお預かり頂いた事を確認。ようやく僕のギリシャが終わった

14:30 一畳マン氏親子が突如モニターに登場


事の次第は「こちら」でご確認ください。

14:38 ドライバー交代。所要時間は1分20秒。昨年から進歩無しか。第二ヒートの最初の数周は昨日とは打って変わって±15秒のレベル。昨日は、ちょっと褒めすぎたか?。その後は次第に安定し、消費もまずまず。交代を告げたときに平尾は少々不満そうだった様子。サンレイクとシンクロしてきたようだ。



14:58 芦屋大学 Sky Ace TIGA ドライバー交代と同時にタイヤ交換。相変わらず早い。



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15:05 台湾の高雄応用科学大学のアポロV、第一コーナーでコースアウト。ギリシャで横転一回転して裏返しになり、カーボンFRP製のロールバーが折れた光景が脳裏に浮かんだが、よく見ると二輪残ったタイヤの跡がしっかり残っている。不幸中の幸い横転は避けられたようだ。


 前輪が片方外れている。それにしても、あの位置まで滑り込むとはいったいどれほどのスピードが出ていたのだろう?


15:25 心配そうな台湾ピット。昨年もバッテリートラブルでストップ。帰りのピットは暗く沈み、とても声をかけれる雰囲気ではなかった。しかし今年の彼らは違った。

15:50 ドライバーが自力でタイヤをはめ直してピットにもどってきた。スパッツは第一コーナーに置いてきたままだ、そしてなんと !!


15:56 ピットアウト。4分台前半/周の、ものすごいスピードで追い上げ始めた。とても足回りに不安があるとは思えないスピードだ。これがWSC完走車の実力か。


バカボンズ「スカラバイウス」ドライバー交代 15:20過ぎ

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16:00過ぎ 台湾チームに見とれていると、今度はお隣の立命館大学ブラタリアスがコース上でストップ。


 前日の第一ヒート、彼らの車両は、アクセルペダルとボリュームを機械的に連結する滑車に使った凧糸が切れて操縦不能に陥ってしまったのであった。今回も同様の症状だという。昨夜のレース後に、凧糸の代わりに、ザイロンクロスを解いて繊維を抜き出し、手で撚り合わせて糸を作ることを推奨したのは他ならぬこの僕であった。まさかザイロンの糸が切れるとは思えないが、もし切れていたら大変申し訳ない。 困惑する立命館大学ピット。

   「ボリュームが回せんのだったら、直結はできんのか?」

 ピットに応援に来ていたソーラーGIGAチーム、島崎氏の一言が彼らを俄然活気づかせた。ピットからの指示に応えたドライバーは永井。コクピット近くの配線の束からコントローラに繋がるラインを選び出し、ソケットから端子を引き出して先端の剥き線を手元でON/OFFさせる人間チョッパー制御でスピードコントロールを回復し、

 
自走でピットに戻ってきたブラタリアス アクセル部分をチェックするが?

16:35 自走してピットに帰ってきた。すかさず全員で車両を取り囲み、不調箇所の調整と切断した配線の再接続がなされる。(手撚り糸は切れていませんでした。ホッ。)学生メンバーに混じって、先の島崎氏に加え、柴田氏、太田氏までもがブラタリアスに群がっている。レース残り時間20分を切った。ここまで来るとピットオフィシャルも温情的だ。

 
ピットクルー、ゲスト総出で懸命の修理 GIGAのオジサン張り切る。

16:46 チェッカーまで残すところ14分。立命館大学ブラタリアス、若い力と熟年の知恵の共同作業による執念のピットアウト。オジサンパワーはここでも厚くて熱かった


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 熱いのはピットだけではない。いまだかつて、チャレンジクラスがここまで白熱したことがあっただろうか?。

 チャレンジクラス首位争いは、柏会の武蔵と堺市立工業高等学校科学部のSCIENCE706。第二ヒートは堺が僅かにリードしているが、昨日1ラップ差を付けられているので苦しい。武蔵は公約の90周を目指してひた走っている。

 
柏会「武蔵(2006version」 堺市立工業高等学校科学部「Science706」

 3位争いは、紀北工業高等学校生産技術部の紀北SOLARと、長野工業高等学校 BIG WAVE SONIC。紀北は昨年のエンジョイクラスで3連覇を達成し。今年はチャレンジにクラスアップしてきた。現在、最もポテンシャルが高い車両とZDP池上氏が絶賛するコンパクトな車体にサンパワー社のモジュール。定格680wとのことだが、総発電量は恐らく今のSunlakeNEOより上だろう。ステアリングを握るのは2004年にソーラーGIGAをチャレンジ3位に導いた名手、中岡進氏である。長野工業高校は昨年シェイクダウンした武蔵に似た車両。前回はトラブルで第一ヒート50分のロスしているにもかかわらずトータルで71周を回りチャレンジ5位に入っている。第一ヒートは長野工業が1ラップリード。第二ヒートは紀北が追い上げ、逆に長野工業をラップしている。

 
紀北工業高等学校生産技術部「紀北SOLAR」 長野工業高等学校「BIG WAVE SONIC」

 さらに熾烈なのは5位争いである。
キョンシー、バカボンズ、マックススピード、KIT(金沢工業大学)、HATレーシングチーム、それに僕たちサンレイクが加わり大混戦。
 
TEAM MAXSPEED「Flat Out」 バカボンズ「スカラバイウス」
 
チームキョンシー「キョンシー」 HAT レーシングチーム「EBARA ECO-TECH」

少し時間を戻そう

16:11 KIT GoldenEagle(IV)がピットイン。カウルを外し右側の車輪をチェックしている様子だが、ピットが離れているため詳細は解らない。結局タイヤ交換せずにピットアウト。約7分後、GoldenEagleが再度ピットイン。ピットレーンを走る様子からは足回りの調子が悪そうには見えない。が、再びカウルを外して右側をチェックしている。第一ヒートはSunlakeと同じ41周、第二ヒートもほぼ同じペースで走っていたが、このトラブルにより、ほぼ1周分の時間をロスすることになってしまった。

 
金沢工業大学 夢考房 「KIT GoldenEagle」 2周続けてのピットインで約1周分をロス

 しかし、それ以外のチャレンジクラス5位争い組には目立った変化はない。サンレイクを含め、5位争い組は第二ヒート最初から平均5分30-50秒程度でコンスタントに走っている。いかに好天候とはいえどもチャレンジクラスでこのペースを維持するのは簡単ではない。(悲しいかな、スーパーチャレンジクラスの2台は別格)バッテリーはかなり苦しいはずだが、そんなことはおくびにも出さずポーカーフェイスを貫き、互いの懐(残電力)を探り合っている。

 サンレイクは第一ヒートで他の5位争いチームに1〜2周差を付けられてしまっていた。出来ればペースをあげてラップ差を挽回したい。しかし、昨年はじめて制御弁式の鉛バッテリーを使った僕たちはまだバッテリーの底を知らない。逆転を狙いペースを上げれば、電欠でストップしてしまうリスクが増す。ピットでの議論の末に僕たちはソーラーカーレースの原理原則を貫く決意を固めた。サンレイクは電欠でストップはしない。必ず自力で走ってチェッカーを受ける。結果は付いてくるはずだ。

16:27 他チームが5分台を維持する中、平澤監督は意地とプライドと信念を賭けてドライバー高橋にペースを6分0秒台に落とすように指示を出した。電欠のリスクを抱え、どちらが先に止まるか?を賭けて競り合うのも意地ならば、例え抜かれても途中で止まらぬように電力セーブし、相手がへばるのを待つのも意地。ただ、正直言って後者を選択するのは非常に苦しい。

 昨年、トラブルにより12分間、約2周分の時間をロスした僕たちは、結局このロスタイムにより、狙えたはずの表彰台から滑り落ちてしまったのだ。もし、他のチームがペースを維持し続けたら、また似たような展開になってしまうのか。
 モニターの画面に映し出されるラップタイムは、当たり前だが、車両がコースを一周してコントロールラインを通過するまで更新されない。一周6分弱。その時間が無限に長く感じられる。スパッツ形状による空力特性の改善、軽量化とウエイトバランスの改善、後輪にカーボンホイールと、チューブレスのワイドタイヤ採用、この程度の改良ではパネルダメージをカバーすることは出来なかったのか・・・・・。

サンレイクのピットには倦怠ムードが漂い始めていた。

16:30 ピット内のモニターをため息混じりに眺めていた僕たちはバカボンズのラップに目を奪われた。それまでの5分台が急に8分56秒に落ちている。この落ち方は意図的な物ではあり得ない。間違いなくバッテリー切れだ。

16:40 キョンシーのタイムが8分台に落ちた。逆転のチャンスとピット内は沸いたが、その時、ドライバー高橋からは信じられない連絡が入った。MPPTが動作せず太陽光入力が零になったという。トラッカーのトラブルは初体験だ。何度かスイッチをON/OFFしてみても復活しない。時刻は夕刻、太陽光入力はさほど大きくないとはいえ、絞りきったバッテリーにとっては少しでも入力があった方がありがたい。出力一方向になってしまうとバッテリーの消耗が加速されてしまう。
 ギリギリを狙っているとはいえ、ソーラーカーレースの最終周回は魔の一周。過去、この周回での逆転劇は数知れない。最後に競り合うことができるだけのエネルギーは残して起きたいが、このままでは回りきれるかどうかも怪しい。
大ピンチ。

16:50 このまま止まらずにチェッカーを受けることができれば逆転でミツバ賞獲得の可能性が高まった。平澤監督は立ち上がって大興奮状態。

16:55 僕たちの願いが通じたのか? MPPTが復活。これでなんとかチェッカーを受けることができそうだ。


17:00 チェッカーフラッグ
 サンレイクの最終ラップタイムは7分6秒。2回目のチェッカーとなる高橋はホームストレートのプラットホーム寄りを最後のエネルギーを絞り出して爆走。第2コーナーでエネルギー使い果たし、S字の登り坂はオフィシャルに手押しして貰うというギリギリのエネルギーマネージメントであった。

 第二ヒート順位はチャレンジクラス5位、総合10位まで浮上。8時間トータルでは第一ヒートのラップ差を完全に取り返すことができずクラス6位、総合12位。昨年より順位は下がったが、トータル83周はチャレンジ自己新記録。目標にしていたミツバ賞を手にすることが出来た。


イベント全体の結果は資料編へ

資料編2 参加車両  ドリーム/チャレンジ   エンジョイクラス
 
資料編4 結果     ドリーム/チャレンジ   エンジョイクラス


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エピローグ


 表彰台から久しく遠ざかっていたため、仮表彰式も本表彰式も場内アナウンスで呼び出される始末。表彰台に登った新人メンバー3人は本当に嬉しそうだ。でも今回、僕が一番誇らしかったのは、完走でも表彰台でも自己新記録でもなく、他チームの皆さんと擦れ違うたびに「いいなあ。若いメンバーが増えて、羨ましい。」と云われ続けたことだった。


The history have been succeeded. And a new solar story will start.


三文楽士の休日 2006新しい夏編

FIA ALTERNATIVE ENERGIES CUP DREAM CUP SOLAR CAR RACE SUZUKA 2006

ネオ・ストーリー/NEO Story

とりあえずの第一稿 2006.08.15.
微々改訂 2006.08.17.
資料編一部追加 2006.08.20.
資料編  完成 2006.09.03.
レイアウト変更(フレーム化) 2007.07.01.
バグ修正 2007.10.24.
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Copyright Satoshi Maeda@Team Sunlake
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