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1.概要 2.開催日時、場所 3.主催 4.開催までの経緯 |
5.コンペティション 6.審査結果 7.関連イベント、後日談 8.まとめ |
9.特別リンク デザイン・ギャラリー 10.謝辞 11.資料 |
1989年7月、名古屋で開催された世界デザイン博覧会に併催される形でソーラーカーデザインGP’89が行われた。ソーラーカーのデザインを競うという、このユニークなイベントの一次審査には32チーム、最終審査には書類選考で選抜された5チームの他に、努力賞、参考出品、招待出品を含め9台のソーラーカーが出展され、審査員の一人にはWSC創始者のハンス・ソルストラップ氏が招待された。デザインGP'89は、市販改造車ではないオリジナルソーラーカーが一般の人びとの前で実際に走る姿を披露した日本初のイベントとして記念される。
■■■ <概要> ■■■
発案は世界デザイン会議の事業委員に参画していたチーム・ソーラージャパンの江口倫郎氏。世界デザイン会議の事業委員会で採択されたイベントではあったが、紆余曲折を経て、最終的な実行主体は日本インダストリアルデザイナー協会(JIDA)になった。 参加チーム募集にあたり、名古屋、金沢、東京にて開催された説明会の他、JIDA関係者はもちろん、マイレッジマラソンなど手作りカーレースへの参加チームに1987年の第1回WSCに参加したソーラージャパン号製作ノウハウを解説したテキスを配布するなど、的を絞った働きかけがなされた。 書類選考で選ばれたチームに太陽電池パネルの現物が支給され、製作された実車により最終審査を行うという粋な形式は、後の朝日ソーラーカーラリーのシャープ学生クラスやエコエナジー大阪に受け継がれた。
入賞車は世界デザイン博覧会会場での展示とデモランの他、多くのチームが同年秋に行われた朝日ソーラーカーラリーにも参加、上位入賞車の SIMON と TES-K3 は同時期に神戸で開催されていた国際太陽エネルギー学会会場でも展示され、さらに表彰式は世界デザイン博覧会会場で行われるなど、国内のみならず世界中から集まった人びとに披露されることとなった。
遠い南半球の大陸横断という、夢はあるが一般人には近づきがたい姿で現れ『遠く想う物』であったソーラーカーを、未来カーのデザインという形を借りて『直に見る物』、『手を伸ばせば届く物』という身近な存在に一気に変えた功績は非常に大きい。
ソーラーカーデザインGP'89を核とした、前後一連のイベントは、日本が僅か3年後の1992年に100台を超える世界最大級のソーラーカーイベント「ソーラーカーラリーin能登」を開催するソーラーカー大国へと成長する過程への出発点となった。
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■■■ <開催日時、場所> ■■■
募集開始 1988年12月20日 レギュレーション開示 *3) 製作セミナー 1989年1月 名古屋、金沢(金沢美術工芸大学)、東京(浜松町) 応募締切 1989年3月31日 一次審査 1989年4月8日 名古屋商工会議所内 デザイン会議運営事務局会議室 *3)*13) 最終審査およびデモラン 1989年7月30日 世界デザイン博名古屋城会場
愛知県名古屋市、愛知県立体育館 *1)*2)*3)展示 1989年7月30日
〜8月2日愛知県名古屋市、愛知県立体育館 *1)*2)*3) 89日本ソーラーチャレンジ 1989年8月20〜22日 詳細不明(企画書段階)*3) 国際太陽エネルギー学会 1989年9月04日 学会会場(神戸市)での展示 *4) 表彰式 1989年10月18日 世界デザイン博覧会白鳥会場 *3) ソーラーカーフェア 1989年10月18日
1989年10月18-21日世界デザイン博覧会白鳥会場での展示と試走 *3)*6)
愛知県産業貿易館での展示 *4)*5)
■■■ < 主催 > ■■■
主催 : JIDA(日本インダストリアルデザイナーズ協会)*1) 推進 : ソーラーカーデザインG.P.'89実行委員会 *1) 特別後援 : 世界デザイン会議運営会 *1) メインスポンサー : パイオニア *8) 協賛 : シャープ *8)
世界デザイン会議〜世界デザイン博覧会(名古屋デザイン博)
■■■ < 開催までの経緯 > ■■■
1989年7月15日から11月26日、名古屋市100周年の記念行事として世界デザイン博覧会(通称:名古屋デザイン博)が開催された。トヨタのパビリオンに人々が長蛇の列を作った事が記録されているが、残念ながらweb上にはパビリオン内外の写真などを見つけることは出来ない。*7)
日本で最初のソーラーカーコンペティションとなったソーラーカーデザインGP’89は名古屋デザイン博に併催される形での開催となった。
名古屋デザイン博は、日本インダストリアルデザイナーズ協会(JIDA)が、名古屋市にICSID:国際インダストリアルデザイン団体協議会の総会を招致したことに端を発する。*20) 名古屋市と連携した招致は成功し、世界デザイン会議が名古屋市で開催されることになった。市政100周年記念行事に狙っていた五輪誘致に失敗した名古屋市は、デザイン会議にリンクさせたイベントとしてデザインをテーマにした博覧会開催を企画した。バブル経済真っ直中、中部圏のさらなる経済活性化を狙って通産省が相乗りし、名古屋市のデザイン都市宣言、世界デザイン博覧会開催へとつながったのであった。
ソーラーカーデザインコンペの提案
デザイン会議は、経済活性化を目的とした、デザイン博覧会を含めた一連のイベントの核として捉えられることとなった。元々、名古屋市とデザインとの間には特に深い関係があったわけではない。デザイン都市宣言は、いわば御上からのトップダウン的な沙汰であったため、メインイベントの前にプレイベントなどで事前に底辺から盛り上げてゆく過程、すなわち事前啓蒙活動が必要であった。この役割がデザイン会議の事業委員会に課せられた。
事業委員会は、おそらくは、発散指向で物事を考えるデザイナーサイドの委員から提案される、斬新な、あるいは誇大妄想的(失礼)な提案と、予算的にも現実的にも実行可能なプランにまとめ上げなければならない通産省や愛知県、名古屋市から派遣された実務担当の運営委員との激しいぶつかり合いになっていたものと想像する。通産省が参画した段階で、過去、幾多の博覧会を主導してきた実績から作られたマニュアルに基づく事前啓蒙活動の詳細な筋書きができあがっていたのであろう。事業委員からの、いくつもの提案が様々な事柄を理由に潰れていき、デザイナー側の委員化には不満が鬱積していたようであるが、*30) そんな中、事業委員の一人として三菱自動車から参加していた江口倫郎氏の提案:「ソーラーカーデザインのコンペを行い、名古屋で実際にソーラーカーを走らせよう」は、委員全員の賛成により採択されたという。数日前にJIDA関西支部主催のセミナー「ソーラーカー物語」での講演を終えた直後であった江口氏の熱弁は想像するに難くない。なによりも、実際に豪州大陸を縦断したソーラーカーそのものをデザインした本人からの提案は、新鮮であり、訴求力が大きく、かつ、実現可能なテーマであると捉えられたのであろう。*9)*10)*11) 既に水面下でソーラーカーに興味を示し、調査を開始していた通産省の思惑と一致した部分もあったのかもしれない。*12)
運営母体
事業委員会で提案したのが1988年10月29日、骨子が決まったのが11月11日。世界デザイン会議開催は1989年10月18〜21日だが、関連イベントのデザイン博の会期は7月25日から11月26日と迫っており、時期的には、大方のプレイベントが事務方により内定していた頃であろうと想像する。ソーラーカーデザインGPはいわば飛び入り的なイベントであったため、デザイン会議運営委員会の枠内からはみ出してしまった。行き詰まりかけた企画をすくいあげたのはJIDA中部支部であり、最終的にはJIDA本体が実行主体を引き受けることとなった。運営母体が大きくなったことでパイオニアからのスポンサードが得られ、またシャープからは無償で太陽電池パネルが提供されると云うことになった。*8)*10)*13)
参加チーム募集の働きかけ
参加車募集の働きかけは、結果的、実質的には前年のJIDA中部支部関西支部主催のセミナー「ソーラーカー物語」から始まっていたものと考えることが出来る。本セミナーで用いられた、1987年の第1回WSCに参加したソーラージャパン号製作ノウハウを解説した製作テキストは、増刷されて、名古屋、金沢、東京にて開催された説明会等で配布された。さらに、当時、国内に500チーム近くあったマイレッジマラソン(ガソリンエコラン)参加チームに応募案内、要項、製作テキストのセットが配布された。デザインGPでは単なるデザイン画だけではなく一次審査入賞チームには実際に動く車両を作ることが要求されたため、短期間で実車を作製する実力のあるチームからの応募が不可欠であったからである。 *14)*49)*52)
名城緑陰会議
ソーラーカーデザインGP89が動き出すのと、ほぼ同時並行で、世界デザイン会議の事前啓蒙活動のキャラバンコングレスが行われていた。ソーラーカーデザインGP89企画書(1989年12月17日版)には「主催のJIDA中部事業支部(当時)はソーラーカーデザインGP89実行委員会に実際の業務を委託する。運営会は89世界デザイン会議事業委員会のチャレンジ730担当委員により構成される。」とある。チャレンジ730はキャラバンコングレスを含むデザイン会議プレイベントの運営主体である。ソーラーカーデザインGP'89の最終審査は、キャラバンの最終イベントである1989年7月30日の「名古屋 名城緑陰会議 テーマ:クリーンエネルギーとデザイン」とリンクさせる形で実施された。*10)*15)*16)*17)*18)*19)
この間の詳細については、江口倫郎氏のブログ「倫界点」の『ソーラーカー物語』に詳細な記述がある。
第一次審査 *1)*2)*3)*13)
■■■ < コンペティション > ■■■
応募締め切り 1989年3月31日
審査日 1989年4月8日 (企画時には4月2日)
完成予想図(デザイン画)コンセプト説明、1/10図面等
B2サイズパネル、4枚以内による選考
第一次審査では12チーム *企画書)を選出し、規定パーツを供給する。
(*)実際には一次審査入賞車は5台、アイデア賞3台、他に特別参加1台であった)
第一次審査入賞チームは、所定の期日までに実際に草稿出来る車を製作し、第二次審査に挑む。
(入賞チームにはデモンストレーションラン、デザイン会議併催展示会に参加する義務がある。
審査委員(敬称略)
第二次審査 *1)*2)*3)*21)
審査委員長 菅原留意 関東自動車デザイン顧問 審査委員 森江健二 日産自動車 デザイン部門課長 三橋慎一 三菱自動車デザイン計画課長 柳原良樹 ダイハツ自動車デザイン室長 藤本彰 カースタイリング編集長 高橋鎮雄 カーグラフィック顧問 河村暢夫 愛知芸術大学教授 浦芳史 シャープ(株)デザイン本部開発室長 西田 シャープ(株)技術部課長
会場搬入と車検 1989年7月29日 審査とデモンストレーションラン 1989年7月30日
デザイン博会場の一つである名古屋市の愛知県立体育館に実車が搬入され
車検、審査、デモンストレーションランが行われる。
審査委員には第一次審査時の委員に加え、下記の特別審査委員(敬称略)が加わった。
企画段階では、審査委員に諸星和夫(デザイン会議実行委員長、トヨタ自動車デザイン部主査)、夏木陽介(俳優、WSC1987でのNTVレイトンハウス(ソーラージャパン)号ドライバー)の他、TVネットワークによりジョルジュエット.ジウジアーロ(伊)*a) 、チャック.ジョーダン(米)*b) を招く計画があったが実現しなかった。
特別審査委員 濱川圭弘 大阪大学教授 由良玲吉 駿台自動車学校顧問 坂本 シャープ太陽電池事業本部長 ハンス・ソルストラップ WSC主宰
*a) ジョルジュエット.ジウジアーロ
イタリアのカーデザイナー。筆者の世代ではイスズ117クーペがピンと来る。
近いところではスバルSVX。もちろんイタリア車のデザインはたくさん。
*b) チャック.ジョーダン
米国のカーデザイナー。当時はGM社のデザイン担当副社長だが、
各社を渡り歩いているのでデザインした車は数知れない。
サンレイサーのデザインに参画したかどうかは不明。
車体レギュレーション *3)*13)
ソーラー電池を動力とする自動車、ただし二輪車は除く
シャーシ、ボディ 形式、材料 自由 車体寸法 全長6m、全幅2m
(募集案内草稿、企画書では全長5m、全幅1.7m、全高2mだが、
後にWSCフルサイズに拡張された模様)保安部品 ホーン、サイドターンランプ、ストップランプを備えること。 ブレーキ 形式は自由 30km/hrから22mで停止できること。 電気系 下記部品を無償供与 ソーラー電池 1.5m×3m相当分+1.5m×1m(スペア)
シリコン単結晶または多結晶バッテリー 12V20A 鉛蓄電池×2個 モーターおよびコントローラ ワイヤーハーネス、スイッチ類を除き、上記以外の主要電気部品を使用してはならない。 ドライバー 最低一人。車検走行、デモンストレーションラン時のドライバーは最低重量を55kgとし、
不足分はウエイトで調整する。ステッカーなど フロントおよび両サイドに参加ナンバーを記入したイベントステッカーを貼り付けること。
審査時においてはイベントステッカ−以外の場所に
スポンサー、参加者などの名称、ロゴタイプ、マークを入れてはならない。
第一次審査結果 *13)*36)
■■■ < 審査結果 > ■■■
応募総数 全32台。
入賞は5台
結果 チーム名 車両名 入賞 トヨタ技術会 TES K−3 紫紋 SIMON 中央精機 ソラン FISレーシング PHAETHON ソーラージャパンMMC 太陽虫 努力賞 ソフィックスデザイン タケ空間工房 トヨタ車体 特別参加 ブーメラン
入賞チームは7月30日の本審査までの3ヶ月半で実車を作製することが義務づけられた。
実車はテストコースにて実際に走れるところを披露しなければならない。
努力賞(アイデア賞)受賞チームは任意にて、特別価格での太陽電池パネル購入が可能。
製作した車両のは最終審査会でに出品できる。
ソフィックスデザインとタケ空間工房が自費で太陽電池を購入してソーラーカーを製作し、
最終審査会に参加した。
特別参加
実績のある国内コンストラクタに、審査や条件なしで太陽電池を支給し、実車の製作と
参加が依頼された。1989年は東京モーターショーの開催予定年であり、各社ともモデルカー等
の製作で多忙ということで、応じたのは一社のみであった。
第二次審査結果 *21)*22)*23)*24)*25)*26)*27)*28)*29)*35)
審査会場に展示されたのは 入賞者5台、努力賞(アイデア賞)の2台、特別参加のブーメランに、参考出品として前年の三菱アイデアGPに出品されたソーラージャパンMMCの「ポチのひなたぼっこ」を加えた全9台であった。最終審査結果は以下の通りである。
グランプリ、愛知県知事賞、日本インダストリアルデザイナー協会賞
「シモン1」 チームシモン(紫紋) *31)*32)*33)
4輪車が当たり前だった時代に、転がり抵抗低減のため3輪(しかも左右非対称)としたそのセンスはデザインを担当した大正一哉氏(当時は童夢系のジオットデザイン所属)*34) と紫紋社長の安井照雄氏の非凡な所である。 設計には当時から大阪産業大学の藤田久和氏が参画していた。 *21)*35)*36)
車両としての完成度も高かった。「ソーラーカーの貴婦人」*41) と呼ばれ、この後、各地の大会でその姿を披露した。WSC90には非対称3輪の基本コンセプトはそのままに再制作されたSimon90にて参加している。
SIMON 1 (Team Simon / Kazuya Taisho and Teruo Yasui) ソーラーカーデザインGP'89 試走会場にて
第2位、世界デザイン会議運営会長賞、名古屋市長賞
「TES K−3」 トヨタ技術会 *33)*35)*37)*38)*50)
トヨタ自動車デザイン部の木村徹氏(現名古屋工業大学教授)のデザインによる出品。「TES」はToyota Engeneer Society、「Kー3」は木村を含めたトヨタのデザイナー3人のイニシャルとのこと。*21)*35)*53) 地面を疾走するムササビをイメージしたとのこと。その基本データはトヨタ自動車本体が作製したRaRaに受け継がれることになった。*32)
製作に当たっては造形が最優先された。デザインの競技会であるから当然ではあるが、デザイン上の要求から、協賛企業であるシャープが無償提供した太陽電池の一部が切断されており、それを見た審査員の一人、シャープ技術部の西田課長が激怒したというエピソードが伝えられている。*21)
なお、トヨタ技術会は、トヨタ自動車の技術者からなる任意団体である。NHKビルダー(トヨタの取引会社)のweb site に1989年7月 ソーラーカー出品(デザイン博、トヨタ技術会)との記載がある。*37) 親睦団体の名を借り、製作そのものは終業時間外に行われたとのことであるが、典型的日本企業社会における任意団体の実体は想像に難くない。関係会社を含めての創作活動が行われており、実質的にトヨタグループからの出品であったと解釈して良かろうと思う。
TES K-3 (Toyota Engeneer Society / Tohru Kimura)
第3位、世界デザイン博覧会協会長賞
「Phaethon」 F.I.S.レーシング(代表:伊藤隆之氏)*21)*35)*36)*39)
F.I.S.レーシングは三菱自動車主催のレースイベントやエコランレースに出場していたチーム。代表の伊藤氏 *39) は江口氏と旧知。応募には江口氏からの働きかけが強く作用していた模様である。デザインは代表の伊藤氏だが、車体製作はソーラージャパンの一号車製作とも深く関わった鈴木板金の関連会社ベルコ。ソーラーパネルを二段にした配置により全長を短くしている点など、江口氏の初期のソーラーカーデザインと重なる部分がある。
本審査時に試走は行ったようだが、フロントサスペンションにFRP製平板を使うという斬新な構造が災いしてメカニック的には少々無理があったように思える。
フロントサスに板バネを使った例は、鈴鹿高専の2代目DeVEL、再輝のENAX等に見ることが出来るが、いずれも金属製バネである。サンレイクの試作一号車には厚み10mmのPEL(ポリエステルエラストマー)製の無垢板がダンパーとして導入されたが、ヘタリが早すぎたため2号車では廃止され通常の巻バネになった。
残念ながら、その後のソーラーカー関係のイベントなどには出場していない模様。ギリシャの Phaethon2004 のオーガナイザーに、日本に「Phaethon」というソーラーカーが存在したことを教えてあげたいところである。
Phaethon (F.I.S. Racing Team / Takayuki Ito)
第4位、日本太陽エネルギー学会賞
「ソラン」 SOLAN 中央精機 *21)*31)*35)*36)
中央精機のデザイナー中野秀道氏によるデザインと中野氏自身による製作。全長6m、前1輪、後ろ2輪の三輪車でフロントにサスペンションを持つが、乗車姿勢はオートバイという構造。オート三輪をソーラー化した構造は、細川氏の流星号、ヘリオデット、初期のソーラーカーにはよく見られた形であるが、同列に論じるとデザイナー氏には叱られそうだ。
製作は、本人を中心とした少人数でおそらくは半ばプライベートに行われたものと想像する。仕上がりはギリギリ。審査時の試走では起動したもののストップしてしまったため、公式には、自走できるという条件は満たしたが故障してしまった、ということになった。
ル・ボラン誌には「ソランチームのソーラーバード」と紹介されているが、一次審査時の資料ではソランとは別にソーラーバードのイメージ画があるため、名前を取り違えたものと考えられる。
SOLAN (Chuo Seiki / Hidemichi Nakano)
SOLAN Telephone Card
第5位 ソーラーカーデザインGP'89実行委員長賞
「太陽虫」 ソーラージャパンMMC(三菱自動車デザイン部 土屋理氏) *21)*31)*35)*36)*40)
コンペティション主催者側の立場となったソーラージャパンの江口倫郎氏自身は出品を見送った。ところが、同じ三菱自動車デザイン部の後輩に当たる土屋理氏が、江口氏には内緒でソーラージャパンの名前で応募したところ、一次審査に入賞。蓋を開けて事態を悟った江口氏と審査員であった三菱自動車デザイン計画課長の三橋氏(江口氏、土屋氏の上司)は大困惑ということであったらしい。
製作に関してはノーアイデアとおいう状況での応募であったようで、それからが大変であった。MMCの看板を背負って、しかもプロのカーデザイナーとして出品するからには単に走ればよいというわけには行かないのが、我々素人チームとの大きな差である。制作費の目処は付かないが時間もないという状況で、ファーストモールディングの安藤社長がボディ製作を引き受け、内部の組み立てはMMC関連の販売会社である愛知三菱所有の工房で行われた。特徴的な車体はウレタンを削り出した型の上に直接FRP成形という簡易法。二次審査には何とか形にして出展されたが、車体重量の割にメカニックが貧弱すぎてデモランで走ることが出来ず、残念な結果に終わった。トレードマークの触覚バックミラーも片方しか片方しか取り付けられていない。後に、日本ソーラーカー史に大きな足跡を残すことになる太陽虫の第一歩は、このように惨憺たる出発であった。
TAIYOUCHU (Solar Japan MMC / Osamu Tsuchiya)
アイデア賞 「ソフィックス」 牽引式ボディ。 *21)*31)*35)*36)
後にWSCを初めとする各種イベントで大活躍するSOFIXの第一号車。デザインと製作はソフィックスデザイン代表の大藪正孝氏自身による。同社のデザインによるソーラーカー用アルミホイールのお世話になっているチームは多い。ル・ボラン誌 *31) ではブーメランと取り違えられているようだが、エコラン車風のコンパクトな前2輪、後1輪の本体と牽引式のソーラーパネル部からなる構成は、初期のソーラーカーには比較的よく見られた様式である。両サイドに大きくステッカーが貼られた伊藤ハムとの関係は良くわからないが、伊藤ハム自体は90年代にはオートバイの川崎チームのスポンサーになるなどモータースポーツには比較的縁が深い。
SOFIX 1 (Sofix Design / Masataka Ohyabu)
アイデア賞 「TAKE」 TAKE空間工房 *21)*31)*35)*36)
TAKE空間工房代表の竹内氏のデザインと家族ぐるみでの製作。TAKE空間工房については詳細不明。名称よりどちらかというと建築ないしインテリア関係のワークスであろうと想像する。スタイル全体の印象として。特に奇抜なところは無いが、太陽電池と鏡を組み合わせて立体的な三角柱状に配置して搭載枚数を稼ぐというアイデアが評価された。従来の3倍の枚数を搭載可能 *8) とされているが、 肝心のセル配置については、詳細に記述された資料が無く、皆目見当が付かない。外観上、パネル面は平面になっており、立体部は内部に埋め込まれる形で構成されている。主催者からはモジュール前の単体セルが支給されたとのことで、配線作業はさぞや大変であったろうと想像する。
太陽電池セルを三角柱状に配置した例は、1990年の朝日ソーラーカーラリーに米国から参加したコロラド州立大のステラVにも見ることが出来る。実際の所、見かけ上セル全体の面積は増えるが受光面積が増えるわけではなく、各セルの負荷が減る分だけ効率面での変化は期待できるが、総受光量は同じである。
なお今日、微視的に太陽電池の受光面に三角錐を形成し、光閉じこめに寄り変換効率を稼ぐ手法は薄膜太陽電池の分野では一般になっている
デザインGP後は、'89朝日ソーラーカーラリーに出場。その後、イベントなどに展示されたことはあったようだが、レースイベント等には姿を見せていない。
TAKE (Take Kukan Kobo / Mr. Takeuchi)
招待チーム 「ブーメラン」 *21)*31)*35)*36)*42)*43)
ル・ボラン誌 *31) にSOFIXと入れ違いで紹介されているのが、ブーメランのようである。デザインは同社代表の安藤純一氏。ブーメラン(Boomerang)は、マイレッジマラソンへの参加実績があり、最近も安藤純一氏自身が軽四輪車の耐久レースに出場している。エコラン車風のスリムなボディの本体と平面パネルの牽引部からなる構成はSOFIXと共通している。本体から広く張り出した前輪アームから振り袖風に太陽電池パネルが設置されている点が特徴的である。日刊自動車新聞1989.08.03には 「招待出品の(株)ブーメラン(横浜市)」と紹介されているが、おそらく地元愛知県の日進市が正しい。
front : BOOMERANG (Boomerang / Jun-ichi Andoh) back : TAIYOUCHU (Solar Japan MMC / Osamu Tsuchiya)
参考出品 「ポチのひなたぼっこ」 ソーラージャパンMMC *21)*44)*48)
1988年の三菱アイデアグランプリに出品されフューチャー賞を受賞。岡崎市発明工夫展では発明協会長賞を受賞した一人乗りコミューターカー。全長2.5m、空車重量80kgという小型ボディに平板屋根型のソーラーパネルを持つ。パネル全体が出力最大点を求めて前後左右に自動的にチルトする機構が特徴的。
最終審査終了後、出品車は審査会場となった愛知県立体育館に8月2日まで展示された。
■■■ < 関連イベント、後日談 > ■■■
企画書段階では「89日本ソーラーチャレンジ」が 1989年8月20〜22日に計画されていたが詳細については記述が無く、特に開催されたという記録も見あたらない。*3)
神戸市で行われた第1回目の朝日ソーラーカーラリーにはデザイングランプリの出品車の中から、トヨタ技術会のTES-K3、シモン、TAKE空間工房、SOFIX、太陽虫の5台が参加した。*51) このうち最終審査の上位二台にあたるシモンとTES-K3の二台が、国際太陽エネルギー学会の会場に運び込まれ、世界中から集まった太陽エネルギーの研究者に披露された。*45) ちなみに本学会の実行委員長は、当時の日本太陽エネルギー学会会長、デザインGPの審査員でもあった大阪大学の濱川圭弘教授 *49) であった。
国際太陽エネルギー学会会場にて披露された「シモン」
デザインGPの表彰式は 1989年10月18日 世界デザイン博覧会白鳥会場にて行われた。この際には白鳥会場での展示と試走、続いてデザイン会議の開催期間中、愛知県産業貿易館での展示が行われた。*1)*2)*3)*6)
ソーラーカーデザインGPは収支的には大赤字であった。イベントの成功/不成功は、金銭収支だけで判断するものではないと思うが、理念的に成功したと信じていても、先立つもののマイナス収支は誰かが埋めなければならない。関係した委員の皆さんは、審査会終了後も東奔西走し、入賞したソーラーカーを各種イベントに有料で貸し出すなどして赤字の穴埋めに大変苦労されたようだ。しかし、当のソーラーカー自身が各種イベントに出演して日銭を稼がなければならなかったという状況は、幸か不幸か、ソーラーカーそのものの露出度をさらに上げるという結果に直接繋がった。*45)
事の発端となった世界デザイン会議には46カ国から3765人が参加する大成功を収めた。会議の収支は黒字となり、その一部でソーラーカーデザインGPの赤字が補填された。以後、名古屋市は1995年に世界インテリアデザイン会議、2003年には国際グラフィックデザイン会議の誘致に成功し、今日、世界の三大デザイン会議をすべて開催した都市であるとして胸を張っている。*46)
世界デザイン博覧会も当初の計画を上回る1500万人余の来場者を迎えた。ただ、デザイン博覧会自体が成功したか否か、この議論は未だにくすぶっている。主会場であった白鳥会場のテーマ館「センチュリープラザ」は、今日、名古屋国際会議場として利用されている。数年前に仕事で訪れた際、隣接する公園に滋賀県でも深山に分け入らないと見ることが出来ない栃の木が植えられていたのを興味深く感じたが、モダンな建物の中にある場違いにクラシックで巨大な騎馬像を除けば、周囲にデザイン博当時の面影を見ることはできなかった。*47)
1989年7月に開催されたソーラーカーデザインGP'89は、オリジナルソーラーカーが一般の人びとの前で実際に走る姿を披露した日本初のイベントとして記念される。
■■■ < まとめ > ■■■
1988年末のJIDA関西支部主催のセミナー「ソーラーカー物語」に始まり、デザインGPの企画、参加チーム募集活動から、デザインGPそのものを経て、関連イベント、事後事業に続く道程は、正に、遠い南半球を走る夢の車を、私たちの手の届くところに導くプロセスそのものであった。
1990年からは、通産省主導の太陽エネルギー利用に関する啓蒙イベントGSC:グランドソーラーチャレンジが開始され、1992年の能登へと繋がってゆく。全国をキャラバンして周り、最後に、その流れをメインイベント会場に導く図式は、デザイン会議にむけて行われたキャラバンコングレスと共通する。デザインGP'89が、「遠くにありて想う物」だったソーラーカーを「直に見る物、触れる物」にするプロセスであったとすれば、続くGSCはソーラーカーを「自分で作る物」に変えるプロセスであったと云えるだろう。GSCの終着点に選ばれたソーラーカーラリー能登への出発点は、間違いなく名古屋だった。
■■■ < 特別リンク > ■■■ デザインGP89 デザイン・ギャラリー 倫界点 江口倫郎
http://www.e-guide.ne.jp/mt/2006/09/post_22.html
本項をまとめるにあたり、貴重な資料、写真、詳細な記録を御提供頂きました江口倫郎氏、遠く豪州より日本の雑誌のコピーを送ってくださいました David Fewchuk氏に深く感謝致します。
■■■ < 謝辞 > ■■■
Left : TAIYOUCHU (Solar Japan MMC / Osamu Tsuchiya) Center : Phaethon (F.I.S. Racing Team / Takayuki Ito) Right : TAKE (Take Kukan Kobo / Mr. Takeuchi)
資料
*1) ソーラーカーデザインG.P.'89 公式チラシ
*2) ソーラーカーデザインGP89募集案内(草稿)
*3) ソーラーカーデザインGP89企画書,JIDA中部事業支部ソーラーカーデザインGP89実行委員会,1998.12.18
*4) 「グランプリにシモン」,日刊自動車新聞,1989.08.03.
*5) 「来月、世界デザイン会議」,日刊自動車新聞,1989.09.20.
*6) 君は見たか、ソーラーカーのまじめ心「どーれ」朝日新聞デザイン博ニュース,1989.10.22頃
*7) 名古屋デザイン博 http://nakata.kinjo-u.ac.jp/~hantaihaku/shiryo/nagoya-expo.htm
*8) http://www.e-guide.ne.jp/mt/2006/09/34.html ソーラーカー物語3-(4)大失敗
*9) http://www.e-guide.ne.jp/mt/2006/09/32_1.html ソーラーカー物語3-(2)西方からの風
*10) http://www.e-guide.ne.jp/mt/2006/09/33_1.html ソーラーカー物語3-(3)見切り発車
*11) 南武, 「1991年の蒸気機関車」,収録詳細不明(JIDA関係の出版物), pp16-17,1992頃.
*12) http://www.e-guide.ne.jp/mt/2006/08/830.html 夏の終り
*13) http://www.e-guide.ne.jp/mt/2006/09/35_1.html ソーラーカー物語3-(5) 太陽のご褒美
*14) http://www.e-guide.ne.jp/mt/2006/09/post_19.html 補足資料
*15) http://www.e-guide.ne.jp/mt/2006/09/36_1.html ソーラーカー物語3-(6) 光と風と人と…
*16) 世界デザイン会議キャラバンコングレス・イン・名古屋 名城緑陰会議 参加募集チラシ
*17) 熊谷直武 名城緑陰会議分科会「ソーラーカー」資料 1989.07.30
*18) 来月30日に名城緑陰会議 朝日新聞1989.06.20
*19) 光と風!緑陰会議 毎日新聞 1989.06.20
*20) http://www.city.nagoya.jp/jigyou/machi/design/nagoya00004490.html
*21) http://www.e-guide.ne.jp/mt/2006/09/39_gp_1.html ソーラーカー物語3-(9) デザインGPの2
*22) ソーラーカーデザイングランプリ'89発表,世界デザイン会議ニュース NEWS VOL.1,世界デザイン会議運営会事務局,1989.09.05.
*23) 「ソーラーカーデザインGP'89」,森本健,デザインの現場,p.128,1989.Oct.
*24) 「ソーラーカーデザイングランプリ」,日経トレンディ,p.149,1989.11.01.
*25) 「SELECT NOW」,Fusion Planning,p.6,1989.Nov.
*26) 江口倫郎,「特集、新素材活用技術、ソーラーカー」,にっけいでざいん,pp.74-79,1989.11.
*27) 「ソーラーカーデザインGP'89開催さる」,ドライバー,p79,1989.09.20.
*28) 国内短信,にっけいでざいん,P.171,1989.SEP.
*29) 「ソーラーカー視線浴び試走」,中日新聞,1989.07.31.
*30) 「ソーラーカーデザインGP言いたい放題」,JIDA,1989年8月末頃
*31) 小倉正樹,「21世紀に向けてクリーンカー・デザインを模索する」, ル・ボラン, 立風書房(現学習研究社), 1989.10.
*32) 江口倫郎,日本のソーラーカーデザイン「カースタイリング」,三栄書房,1993.03.31
*33) 藤中正治,「地球にやさしいソーラーカー(ハイテク選書ワイド)」,口絵vii,東京電機大学出版局,(1991.03.30)
*34) http://www.vcnet.fukui.fukui.jp/dcf/designer-bank/detail.php?ID=33
*35) http://www.e-guide.ne.jp/mt/2006/09/38_gp_1.html ソーラーカー物語3-(8) デザインGPの1
*36) http://www.e-guide.ne.jp/mt/2006/09/post_22.html デザインギャラリー
*37) NHKビルダー http://www.nhk-builder.co.jp/nhk-b/nhk-bkigyouannnai.htm
*38) 後藤公司,「ソーラーカー」,日刊工業新聞社,p141,1992.02.29
*39) 伊藤隆之 http://www.dda.or.jp/japan/mem/kojin/list_ai/ito_3/
*40) http://www.e-guide.ne.jp/mt/2006/09/37.html ソーラーカー物語3-(7)太陽虫
*41) http://www.haec.ac.jp/Solarcar/solar90.htm
*42) http://www.tosports.net/pc/K4/k-rizaruto/k405keka.files/sheet001.htm
*43) http://plus1.ctv.co.jp/bangumi/ex/2003/04/0701.html
*44) http://www.e-guide.ne.jp/mt/2006/09/31.html ソーラーカー物語3-(1)ポチのひなたぼっこ
*45) http://www.e-guide.ne.jp/mt/2006/09/310.html ソーラーカー物語3-(11) 東京モーターショー
*46) http://city.nagoya.jp/jigyou/machi/design/nagoya00004490.html
*47) http://www.ncvb.or.jp/ncc/shisetsu/kibazo/index.html
*48) 公開実用新案公報 平1−176524(1988.06.03出願)
*49) 江口倫郎, ハイテク・パフォーマンス「ソーラーカー物語」,
*50) ソーラーカーレースを夢見る男達「新エネルギープラザ」財団法人新エネルギー財団1989Vol.5.No.1,pp10-17
*51) http://www.e-guide.ne.jp/mt/2006/09/post_24.html ソーラーカー物語3-(10) ぶどう畑の急坂
*52) http://www.e-guide.ne.jp/mt/2006/09/post_26.html 補足資料−改
*53) http://www.e-guide.ne.jp/mt/2006/09/31_1.html ソーラーカー物語3-付録(1)
第一稿 2006.01.01.
追記改訂 2006.06.18.
第二稿(全面改定、大幅追記+画像追加) 2006.09.23.
目次、特別リンク 追加 2007.05.25.
SOLAN テレホンカード画像追加 2007.07.21.
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太陽能車考古学研究所 2006.01.01