Solar Car Archaeorogy Research Institute
English

日本ソーラーカー史 第三巻

ソーラーレーシングチーム

The History of the Japanese Solar Car Volume 3
Japanese Famous Solar Racing Teams Section 6

大学

東京電機大学
北見工業大学
早稲田大学
東海大学
東京工業大学 Meister
横浜国立大学TOYクラブ
金沢工業大学 夢考房
芦屋大学
京都市立芸術大学 Kyoto City University of the Arts
大阪産業大学
立命館大学
山口大学
玉川大学

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東京電機大学



  別項(先駆者達の章)参照

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北見工業大学


  別項(ワークスチームの章「京セラ−北見工業大学」)参照

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早稲田大学













発掘調査中

着稿  20070217
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東海大学






発掘調査中

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東京工業大学 Meister



概要

 東京工業大学「Meister」は、鳥人間コンテスト出場を目的に1992年に設立された。ソーラーカー部門の設立は1995年と比較的遅い。当初からフルスペックのソーラーカーを製作し、1996年からWSR、鈴鹿に参加。1998年WSRにて総合5位、国内学生チーム第1位という好成績をあげ、翌年の米国Sunrayceへの出場権を得た。1999年Sunrayce参加のために渡米したが、主催者側の不手際のため車両が空港に足止めされてしまい、レースに出場することができなかった。以後は(失礼ながら)振るわず、2002年にて現役学生は活動を休止、OBが車両を改修して2003、2004年の鈴鹿 Enjoy Class に出場したのが最後となった。

チーム名の由来

 ドイツ語の心得があるか、あるいは独逸音楽、特に Richard Wagner のファンでない限り「マイスター」とはなかなか読めない。英語に直訳すれば「Master」であるが、ドイツ語のmeisterには、ドイツ中世から続くギルドを構成する徒弟制度最高位の「親方」という特別な意味がある。あえてドイツ語名を採るところに工学教育の雄たる自意識を感じ、古典的工学教育を受けた筆者は共感を覚えるのである。
 近年は鳥人間コンテストの人力飛行機部門での活躍や、松下電器との共同により乾電池による世界初の有人飛行などにより一般の人々も「マイスター」の名を知るようになった。一方、公式サイトには、チーム名について少々的はずれな説明がしてあり、1ファンとしては嘆かわしく感ずる次第である。

活動主体

 「Meister」は東京工業大学の一般学生による公認サークルに過ぎず、合唱で有名なコールクライネス( Chor Kleines )等と同列ということになる。首都圏にある大学の学生サークル活動の常として、周辺の他大学からも一部メンバーが参加している模様である。(大学案内に堂々と記載されている)*1)

 大学当局からの便宜は場所を提供する程度であり、運営自体は学生の自主性に任されている。教職員からのアドバイスもあるようだが、表には出ていない。スポンサー集めなども学生メンバーが担っている点で、米国の大学学生ソーラーカーチームに近い活動形態であると云える。


東京工業大学 大岡山キャンパス

歴史

1992年

 鳥人間コンテストへの参加を目的として設立される。 *2) 1993年、滑空機「Trystar」製作し第17回鳥人間コンテストにエントリーするが書類審査で落選。*2) 1994年 滑空機「SUPER POSITION」製作、第18回鳥人間コンテスト初出場、飛行距離 28mと記録される。 *2) 1995年 滑空機「KARDINAL」製作。第19回鳥人間コンテスト出場、飛行距離 292.05m(当時歴代3位)にて滑空機部門の2位入賞。*3)
 この結果をもって、鳥人間コンテストでは滑空機部門から人力飛行機部門への鞍替えが決定され、さらに、新にソーラーカー部門が設立された。*2)

1996年

 初代ソーラーカー「そーらー豆」(英語名 Solar Mame、現在の公式サイトでは「SkyBeans」と表記されている。)は、車両サイズ:WSCフルサイズ 6000×2000×1000mm のソーラーカーであった。典型的な翼型形状、製作過程に関する直接的な記録は残されていないが、後年の述懐内容から、アルミスペースフレームと、雄型/雌型を経る定法に従ったカーボンFRP製カウルであったことが解る。ソーラーカーレース鈴鹿公式プログラムに基本スペックが掲載されている。
 デビュー戦の1996WSRではフリークラスに出場、予選2位 *7) と飛び出したが、「スタートして一周も出来ずにパンク」*4) 結果17周にて総合36位に終わった。「トラブルに次ぐトラブルでまともなレース運びさえできなかった昨年」と当時のメンバーである小森氏が翌年に述懐している *4)。 さらに、続くソーラーカーレース鈴鹿では予選敗退。
  大同ほくさん製の単結晶シリコン太陽電池(セル効率15.5%)総発電量1200watt
  三洋電機 NiCdバッテリー、KR-2000M、
  ユニーク社 DCブラシレスモーター  *5)
 と、スペック上は十分なパワーを備えているように見えるが、バッテリー45kg+車両185kg 合計空車重量230kgは少々重すぎた。翌年の鈴鹿公式プログラムでは、8%勾配は高い壁であった」と述懐されている。 *5) 後に、小森氏はアンダーカウルに不要な強度を持たせたために重くなりすぎたと記述している。

1997年

 前年の「ソーラー豆」の改修型として、後にSunrayce出場権を獲得することになる名車「Leidenschaft」がデビューした。チーム名と同様にドイツ語、英語では「Passion」すなわち「情熱」である。主な改良点は重すぎたアンダーカウルの再製作による軽量化であったようだが、*4) Liイオン電池搭載時 190kg NiCd搭載時226kg であり車体自体の軽量化には成功していない。製作着手は前年の10月。製作過程はコスモ石油カップソーラーカーレース鈴鹿'97公式プログラムに紹介されている。*39)

  Leidenshaft (1997)
   車体寸法 :6000×2000×1050mm
   太陽電池 :単結晶シリコン(大同ほくさんオリジナル)
   バッテリー:Lithium-ion
   モーター :DCブラシレス Unique Mobility DR-086S  *9)

 製作遅れにより、7月5日(学外試走、場所不明)の時点ではカウル未完成のためフレームのみ。7月19日(学外試走、場所不明)においてもコクピットの床が無いという状態で、7月29日からのWSRにおいてもピットで日々形を変えていくような状態であった。
 1997WSRでの予選は36位とおとなしい。車検時はカーボンFRP剥き出しだったが、本戦スタート時には銀色に塗装されている。
 本戦スタート時にモータードライバーの電源スイッチを入れ忘れて大きく出遅れ、二日目には携帯電話によるドライバーとの連絡が上手く取れずに作戦ミス、三日目早朝充電タイムにバッテリーが1セル使用不能となり、レース中にはパンクに見舞われるなど細かなトラブルがあり、レース中にも製作が続けられていたフロントスパッツは結局ゴール時までに間に合わすことが出来なかった。*4) しかしながら総周回数25周と昨年時よりも大幅に前進し、総合20位、クラス11位とまずまずの成績を残した。*11)
 鈴鹿サーキットには相性が良くないようで再び予選敗退となった。メンバーによる記録は残されていない。
 ソーラーカーレース IN 栃木にもエントリーしていたが、直前にバッテリーがレギュレーション不適合であることを知り出場キャンセルとなった(栃木は鉛バッテリー限定)。*13) 観客として参加した当時のメンバー小森氏によるこの大会のレポートは貴重な記録となっている
 1997年シーズンの結果は、全体を通しては「着実な進歩」*1)と自己評価されている。


ライデンシャフト(1997 version) 小森裕介氏提供

1998年

 鳥人間コンテストでは、人力プロペラ機部門にてチームエアロセプシー(YAMAHA)が琵琶湖北岸に達する23.688kmの大記録を打ち立てた年である。このニュースは驚愕と賞賛を持って湖国から全国に発信された。Meister人力飛行機部門 「Cathartes」は記録20mに終わっている。

 この年、Meisterソーラーカー部門は、鈴鹿出場を断念し、目標をWSR一本に絞り、Leidenshaft号の大改修に取りかかった。フレームとアンダーカウルは再製作、アッパーカウルは昨年の物の流用だが、内側のカーボン補強層とコア材(バルサ)を削り落とすという地道な軽量化が計られている。製作過程は詳細に記録されており、典型的なFRP積層作業の様子を知ることができる有用な資料となっている。*15)

 満を持して迎えた1998WSR。予選はフリークラス7位とまずまずの出だしであった。第1日目早朝は曇天だったがレースが始まると晴れ間が広がるという気まぐれなな天候で、多くのチームの作戦が混迷した。過充電によるバッテリー不調トラブルが続出、ハイスペックなバッテリーを搭載している有力チームが脱落し、Meisterは第1日目を総合11位、第2日目を総合8位で終えた。第三日目の朝は土砂降りの雨で明けたが午後に向かって天候回復、曇天下でのバッテリー我慢大会を粘りのドライビングでさらに順位を伸ばし、周回数26、総合5位、*17) 国内大学学生チームトップの成績を残した。周回数25、同率6位の4チームと決定的な差になった最後の一周に入るかどうかはリスクの高い賭けであったが、チーム代表の榎本氏が自らの断髪と引き替えに突入を指示した。Meisterはこの結果により「サンレース賞」を受賞、次年に米国で開催されるSunrayce99への出場権を獲得した。*18) 天候と他チームの出方を睨みながらのエネルギー采配の様子とMeisterソーラーカーチームが最も輝いたゴールの瞬間を記録した小森氏のレポート *16) はソーラーカーレーサー必読のサイトと云えよう

 WSRで好成績を残したMeisterソーラーカーチームは新人メンバーに経験を積ませる目的でソーラーカーレースin栃木に出場した。ここで思わぬ事故が生じた。車検、最高速ブレーキテスト中に Leidenschaftがピット内で暴走したのである。幸い人的被害はメンバーの捻挫のみ、間一髪で隣接ピットのJunaSunへの衝突を免れたため物的被害は自損のみであったが、当のLeidenshaftはピットとして張られていたテントの支柱の下に車体が潜り込み、太陽電池パネルの約1/3に損傷を受けるという大被害をうけた。本件に関しては、同チームの早川氏が、事故の詳細と原因解析についての詳しいレポートを残している。 *18)*19) 同様の事故の再発防止のために、当事者にとっては忌まわしい記憶であろう事故の詳細をあえて公開している姿勢を高く評価したい。
 損傷した Leidenschaft は、各部のチェックを行い、ピットスタートながら、レースに参加。チェーントラブルに悩まされながらも、総合6位にて、なんとかレースを終えた。



ライデンシャフト(1998 version) 小森裕介氏提供

1999年

 Sunrayce 99 は 1999年6月20日〜29日にわたり、ワシントンDCからフロリダのディズニーワールドまでの1425mile(2293km)を舞台に開催された。*23) 大会には29の大学学生チームが参加した。30番目のチームが東京工業大学 Meister になるはずだったが、Sunrayce公式サイトには何も触れられていない。唯一、オーストラリアからレース観戦に参加した Kaylene Askew, John Ransom, Paul Basore 氏らによるイベントレポートに、東京工業大学チームがSunrayce99に招待された旨が記録されている。*24)

 Meister公式サイトには「主催者不手際により車両が空港に足止めされ、十分な準備が出来ず大会参加を断念した。*2) 」とある。饒筆な当時のメンバー諸氏もこの件に関しては、web上にコメントを残していないため詳細は闇の中である。よほどの落胆があったものと想像する。

 この年、Meisterソーラーカーチームは国内のいずれの大会にも足跡を残していない。

2000年

 第24回鳥人間コンテストの人力プロペラ機部門にて「Whirl Wind」が初めて定常飛行モードに入り、記録: 380.54mにて4位に入賞した。

 ソーラーカー部門はISF5000規格の新車「飛廉」にて秋田・鈴鹿の両大会に臨んだ。

  「飛廉」
     5000×1800×1000 車体重量130kg
     大同ほくさん 単結晶シリコン
     東芝 ニッケル水素 TH-4/3A3500
     ユニーク社DCブラシレス DR086sb  *25)

 鈴鹿公式プログラムのチーム紹介に車両写真は無く、掲載されているのはイメージイラストである。ギリギリまで車両製作を続けていたことが伺われる。WSR2000には20人の大所帯で参加。*26) 予選17位、*27) 総合41位 (17周)。*28)
 続けて翌週のドリームカップ・ソーラーカーレース鈴鹿2000、DreamClassに出場、悲願の予選通過を果たしたが、総合26位(42周)*29)と、いずれも(失礼ながら)芳しくない結果であった。「Meisterの歴史」*2) には「技術伝承の不備」が記載されている。学生チームは毎年メンバーが入れ替わる宿命にある上に、昨年一年間のブランクが大きかったものと想像する。ソーラーカー「飛廉」そのものについての資料はほとんど公開されていない。ちなみに飛廉(ひれん、蜚廉)は三国志にて、殷の紂王の家来として登場する健脚の持ち主の名である。

2001年

 この年、第25回鳥人間コンテスト、人力プロペラ機部門にて「Holsety」が記録: 3823.70mにて初優勝を遂げた。

 ソーラーカー 部門は昨年の車体を改造した「悪来」にて鈴鹿、秋田の大会に参加した。この年は例年と順序が逆になり鈴鹿レースがWSRより先に行われている。

  「悪来」
    5000×1800×1020 車体重量190kg
    大同ほくさん 単結晶シリコン
    東芝 ニッケル水素 TH-4/3A3500
    ユニーク社DCブラシレス DR086S  *30)
 鈴鹿DreamClass 総合15位(55周)、 WSR 総合26位 *33)*34)

 鈴鹿公式プログラムに掲載されているのは写真はなくカウルのスケッチであるため、外観の変化を伴う大規模な改造が行われたものと想像する。当時のメンバーの個人サイトに「悪来」の写真が残されている。*31)*32) 悪来(あくらい、または、おらい)は、同じく三国志の登場人物で飛廉の息子にあたる。

2002年

 第26回鳥人間コンテスト人力プロペラ機部門にて「なまら」が記録:3201.74mにて二連覇を遂げた。
 ソーラーカー部門では鈴鹿チャレンジクラスに照準を変えた新車「Silver Fluke」(銀の錨爪)が製作された。仮エントリー時のコメントには「小型、軽量、薄型、低重心化をコンセプトに、鈴鹿サーキットに特化したカーボンモノコックの新車を作製しクラス入賞を狙った。」とある。*35) 試走会にてサスペンション付近が大破するというトラブルを乗り越え本戦ではクラス8位、総合18位(51周)という成績を残した。
 現役学生によるソーラーカー部門はこの結果を最後に幕を下ろし、新にWEM部門が設立された。*36)

2003年

 第27回鳥人間コンテスト、人力プロペラ機部門にて「Promontoire」が32177.99mを記録し準優勝。エコノムーブ部門では「Sleipnir」が菅生大会にて10位と順調な滑り出しをみせた。
 現役学生のソーラーカーチームは前年度に店じまいしていたが、燃え残った卒業生が前年の Silver Fluke を480watt仕様に改造し、鈴鹿のエンジョイクラスに出場、38周にて5位という好記録を残した。SilverFluke の改修過程と鈴鹿参戦については詳しい記録が残されている。*37)

2004年

 現役学生によるエコノムーブ「lucciola」は白浜大会9位, 幸田大会4位とさらに前進した。卒業生チームがSilverFlukeにて鈴鹿エンジョイクラスに再挑戦し、自己最高位を更新し4位に入った。(悪天候により周回数は32周)。
 この年、タイ王国科学技術週間展示に東京工業大学マイスタークラブは人力飛行機、ソーラーカーを出展した。人力飛行機は展示後カセサート大学航空工学科に寄贈された(2004年10月)。 ソーラーカーに関する詳細な記述は無い。*38)

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 以後、Meisterのソーラーカー部門は全ての活動を停止している。人力飛行機部門では、2006年、TVでも放映された乾電池による有人飛行(飛行距離:391.4m、滞空時間59秒、最高到達高度 6.11m)を達成するなど華やかな活動を継続している。

 人力飛行機部門より一歩先に注目を集めたMeisterソーラーカー部門であったが、Sunrayceの一件以後、現役学生の活動は衰退していき、鈴鹿サーキットのDJ氏に一度も「マイスター」とまともに読んで貰うことができないままにその歴史は閉じられた。燃え残った Lidenshaft は Team Junk Yard 等、一般の社会人チームに参加していった。こういった動きも人力飛行機チーム Coolthrust の先取りとも云えるだろう。MeisterチームのVehicle名称への拘りが個人的には好きである。「情熱」という名のソーラーカーと時間を共有できなかったのが残念だ。


ライデンシャフト(1998 version) 小森裕介氏提供


足跡

年度
大会
クラス
チーム名
車両名
結果
備考
1992
 Meister設立、当時は鳥人間コンテスト部門のみ
1993
 
 
 
 
 
 
1994
 
 
 
 
 
 
1995
 ソーラーカー部門創設
1996
WSR
Free
Meister
そーらー豆
 総合36位
 周回数17(19-2)
 
鈴鹿
Tomorrow
Meister
そーらー豆
 予選不通過
 
1997
WSR
Free
Meister
Leidenschaft
 総合20位(25周)
 
鈴鹿
Tomorrow
Meister
Leidenschaft
 予選不通過
 
栃木
Meister
Leidenschaft
 直前キャンセル
 
1998
WSR
Free
Meister
Leidenschaft
 総合5位(26周)
サンレース賞
栃木
Class2
東京工業大学
Leidenschaft'98
 総合6位
 
1999
Sunrayce
 
Meister
Leidenschaft
 車両足止めにより出場できず
 
不明
 
 
Dark Horse(EV)
 詳細不明
 
2000
WSR
Free
Meister
飛廉
 総合41位
 周回数17(18-1)
 
鈴鹿
Dream
Meister
飛廉
 総合26位(42周)
 
2001
JISC
F1
東工大 Meister
悪来
 総合26位
 周回数16(27-1)
 
鈴鹿
Dream
東工大 Meister
悪来
 総合16位(55周)
 
2002
鈴鹿
Challenge
東京工業大学 Meister
Silver Fluke
 クラス8位
 総合18位(51周)
 
2003
鈴鹿
Enjoy
東京工業大学
Meister OB
Silver Fluke480
 クラス5位(38周)
 
2004
鈴鹿
Enjoy
東京工業大学
Meister OB
Silver Fluke480
 クラス4位(32周)
 


資料

*1) http://www.titech.ac.jp/publications/pdf/annai2005.pdf
*2) http://www.meister.ne.jp/about/history.html
*3) http://www.ytv.co.jp/birdman/index.html
*4) http://www.littleforest.jp/meister/wsr97/index.html
*5) 鈴鹿1996鈴鹿公式プログラム(1997鈴鹿公式プログラム)歴代成績
*6) http://www.tky.3web.ne.jp/~hay/meister/library/sbspec/index.html
*7) http://www2.ogata.or.jp/wsr/96wsr/trial.htm
*8) http://www2.ogata.or.jp/wsr/96wsr/res28.htm
*9) コスモカップソーラーカーレース鈴鹿1997 公式プログラム
*10) http://www2.ogata.or.jp/wsr/87wsr/tt.htm
*11) http://www2.ogata.or.jp/wsr/87wsr/tt.htm
*12) 東京工業大学広報誌 http://www.titech.ac.jp/publications/j/new/04_1.html
*13) 東工大Meisterチーム小森氏のサイト
   http://www.littleforest.jp/meister/tochigi97/index.html
*14) http://www.littleforest.jp/meister/car97/index.html
*15) http://www.littleforest.jp/meister/making98/index.html
   http://www.littleforest.jp/meister/making98/make98-1.html 〜 make98-8.html
*16) http://www.littleforest.jp/meister/wsr98/index.html
   http://www.littleforest.jp/meister/wsr98/wsr98-731.html
   http://www.littleforest.jp/meister/wsr98/wsr98-801.html
   http://www.littleforest.jp/meister/wsr98/wsr98-802a.html
   http://www.littleforest.jp/meister/wsr98/wsr98-802b.html
   http://www.littleforest.jp/meister/wsr98/wsr98-802c.html
*17) http://www2.ogata.or.jp/wsr/98wsr/total.htm
*18) http://www2.ogata.or.jp/wsr/98wsr/award.htm
*19) http://www.tky.3web.ne.jp/~hay/meister/head.html
*20) http://www.tky.3web.ne.jp/~hay/meister/head/crash98/index.html
*21) http://ace.ees.utsunomiya-u.ac.jp/~urai/taikaikeka.html
*22) http://www.littleforest.jp/meister/tochigi98/index.html
*23) http://formulasun.org/histry/sunrayce99/june24/index.html
*24) Kaylene Askew, John Ransom, Paul Basore, Event Report "Sunrayce 99", The University of New South Wales(Australia),
   http://www3.interscience.wiley.com/cgi-bin/abstract/71006501/ABSTRACT
*25) ドリームカップソーラーカーレース鈴鹿2000 公式プログラム
*26) http://www2.ogata.or.jp/wsr/2000wsr/r0729-1.htm
*27) http://www2.ogata.or.jp/wsr/2000wsr/t_trial.htm
*28) http://www2.ogata.or.jp/wsr/2000wsr/total_final.htm
*29) ドリームカップソーラーカーレース鈴鹿2000 公式レポート
*30) ドリームカップソーラーカーレース鈴鹿2001 公式プログラム
*31) http://www.funato.jp/research/research.pdf
*32) http://www.funato.jp/research/research.html
*33) http://www2.ogata.or.jp/wsr/2001wsr/re805_03.htm
*34) WSR公式記録
*35) http://event.yomiuri.co.jp/2002/S0131/topics/0604_01_team.htm
*36) Meister 2002活動報告
*37) http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/2606/
*38) 東京工業大学 タイオフィス
   http://www.ttot.ipo.titech.ac.jp/news_j.html
   http://www.ttot.ipo.titech.ac.jp/news.html
   http://www.ttot.ipo.titech.ac.jp/Pamphlet/pamphlet2005.pdf
*39) コスモ石油カップソーラーカーレース鈴鹿'97公式プログラム, pp18-19,



WSR98記念 小森裕介氏提供

第一稿  2007.02.02.
微改訂  2007.02.06.
ソーラーカー画像追加  2007.03.20.

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山口大学



発掘調査中

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横浜国立大学 TOYクラブ



発掘調査中









キャンパス画像掲示  2007.07.01.
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金沢工業大学 夢考房














訂正  2008.12.02.

発掘調査中

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芦屋大学


拡大



















発掘調査中

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京都市立芸術大学 / ソーラー・パワー・ラボ (野村仁氏)

 Kyoto City University of the Arts / Solar Power Lab. (Hitoshi Nomura)


「サン・ストラクチャー」 ソーラーカーレース鈴鹿1994にて


 京都市立芸術大学教授、野村仁氏は科学技術、自然現象や物理現象とArtを結びつけた特異な作風の現代彫刻家である。*1)*2)*3)*4)*5)*6)

1969年
 京都市立美術大学彫刻専攻科終了後は放送局勤務の傍ら、作品の発表し続けた。

1988年
 放送局を退職し、京都市立芸術大学助教授に就任。

1992年
 大阪でソーラーカーを見る機会を得た際に、直感的に「これまでの自動車とは違う」との思いを持ったという。

1993年
 ソーラーパワーラボ( SPL : Solar Power Lab )を設立。ソーラーカーの製作に着手

 最初のソーラーカー「サンストラクチャー1号」は'93朝日ソーラーカーラリーのシャープ学生クラスに出場した。すなわち、事前の書類選考にて選ばれた10チームに、480wのソーラーパネルとモーター、コントローラー、バッテリーを支給し、それらを用いて製作したソーラーカーにて大会に参加する、という同制度の第二期生ということになる。*7)
 スペースフレームで組み上げた骨格に平面パネルを填め込んで構成した多面体からなる外形は、工業デザイン分野からソーラーカーに参画した先駆者達の車両と比べると、ずいぶんと違った印象を受けるが、共通しているのはとことん個性的だというところであろう。
 車両名    サンストラクチャー1号 または サンストラクチャー'93 
 車両サイズ  4500L * 2000W * 1200H mm  車両重量 不明
 太陽電池   Single Cristal Silicon Solar Cell (Sharp Corp.)480watt
 バッテリー  不明
 モーター   不明(ツシマ・エレクトリック?)
1994年
 ソーラーカーレース鈴鹿'94に参加。サンレイクと同期になる。三輪の小型カートがソーラートレーラーを牽引する形の二号車「サン・ストラクチャー」にてTodayクラス(800w級、現在のChallengeクラス)に出場。多角形で構成する様式は一号車譲り。結果は、周回数18、総合44位、Todayクラス29位。鈴鹿のデビューはかなり厳しい成績だった訳だが、ここからの進歩が図抜けていた。*8)
 車両名   サンストラクチャー または サンストラクチャー'94 
 車両サイズ 5800L * 1600W * 1400H mm  車両重量 不明
 太陽電池  Single Cristal Silicon Solar Cell (Sharp Corp.)推定
 バッテリー 不明
 モーター  不明

サン・ストラクチャー ソーラーカーレース鈴鹿1994にて
手前はサンフューチャー、向かって右側にサンレイク


1995年
 ソーラーカーレース鈴鹿にサン・ストラクチャー・IIIにて出場。車両画像は公式プログラムに掲載されておらず、かなり直前まで製作に追われていた様子がうかがえる。フルサイズに近い車両寸法、ユニーク社のDCブラシレスモーターを搭載。結果は前年を大幅に上回る周回数50、総合23位、Todayクラス10位であった。
 車両名   サンストラクチャーIII または サンストラクチャー'95 
 車両サイズ 5600L * 1900W * 1100H mm  車両重量 220kg 鈴鹿公式プログラム
3500L * 1900W * 1200H  車両重量 不明 *3)
 太陽電池  Single Cristal Silicon Solar Cell (Sharp Corp.)
 バッテリー Pb Battery (GS)
 モーター  DC Brushless Motor Unique DR086Sb

1996年
 この年から朝日ソーラーカーレースinTIサーキット英田に出場。予選は1位であったが総合結果は19位。なんらかのトラブルがあったものと想像される。*9)
 コスモカップ・ソーラーカーレース鈴鹿にSun Structure IIIにて出場。周回数65を数え、総合11位、Todayクラス3位入賞。車両名は(音読みでは)昨年と同じであるが、車体サイズは大幅に小型化され、70kgもの軽量化がはかられている。ちなみに、この年のTodayクラス1位は太陽虫、二位はPandaSun'96である。
 朝日ソーラーカーラリーin神戸では総合2位、Cクラス優勝を飾った。*7)
 車両名   Sun Structure III または サンストラクチャー'96 
 車両サイズ 3700 * 1700 * 1000 mm  車両重量 150kg
 太陽電池  Single Cristal Silicon Solar Cell (Sharp Corp.)
 バッテリー Pb Battery
 モーター  DC Brushless Motor Unique DR086Sb
1997年
 朝日ソーラーカーレースinTIサーキット英田では、MARKSソーラーカーチームのRenjakuとトップ争いを演じ、総合2位。
 コスモカップ・ソーラーカーレース鈴鹿では太陽虫を抑えてTodayクラスにて優勝。周回数71。車体サイズは前年とほぼ同じで、車体重量が30kg増加。外形から判断できるかぎりでは、基本設計は1996年とほぼ同じであり、アッパーカウルの形状を工夫し、前輪に独立スパッツを取り付けることによる空力特性の改善が図られている。
 資料*3)に掲載されているマルチプル作品「ノムラ彗星とソーラーカー」は京都市の歌舞伎座前の公道を走るソーラーカーの写真に彗星を合成した物である。主題のソーラーカー(サンストラクチャー'97)には、公道を走行するための仮ナンバープレートが取り付けられている。鈴鹿走行時と同じ仕様かどうかは解らないが、30kgの増加分には公道走行を前提とした安全装備分が含まれている可能性が高い。
 車両名   サンストラクチャー または サンストラクチャー'97 
 車両サイズ 3880 * 1700 * 1005 mm  車両重量 180kg
 太陽電池  Single Cristal Silicon Solar Cell (Sharp Corp.)
 バッテリー Pb Battery (Matsushita)
 モーター  DC Brushless Motor Unique
1998年
 朝日ソーラーカーレースinTIサーキット英田に出場。鈴鹿、神戸には姿を現さず、翌年の北米大陸横断プロジェクトの準備に入ったことが伺える。
 車両名   サンストラクチャー'98 
 車両サイズ 5000L * 1300W * 1200H mm  車両重量不明
 太陽電池  不明 推定Sharp Corp.
 バッテリー 不明
 モーター  不明 推定 DC Brushless Motor Unique
1999年
 ソーラーカーによる北米大陸横断:HAAS Project (Harnessing the Sun) を実行。主役であるソーラーカー「サンストラクチャー'99」は6代目ソーラーカーとされている(代変わりのタイミングは難解)。小型ソーラーカーがソーラートレーラーを牽引する様式に戻したのは、おそらくは輸送の便を考慮したものと想像する。鈴鹿サーキットが縁で太田鉄工所を訪問したこともあり、トレーラー連結部の構造については太田龍男氏も助言したとのこと。詳細なスペックについて書かれた資料は見あたらない。
 車両名   サンストラクチャー'99 
 車両サイズ 6550L * 1700W * 1000H mm  車両重量不明
 太陽電池  不明 推定Sharp Corp.
 バッテリー 不明
 モーター  不明 推定 DC Brushless Motor Unique
 渡米に先立ち、'99ソーラーカーレースTIサーキット英田に順位外扱いで参加していた(牽引型はレギュレーション規定外)。走行テストを目的とした物であろう。

 大陸横断達成直後には、プロジェクトを紹介するインターネットホームページ が存在したようだが、今現在は残念ながら閉鎖されている。登り坂でギア比を変える作業がヴィデオ映像に残されている *3) ため、おそらくはユニーク社のDCブラシレスモーターを用いてのチェーン駆動である。同ヴィデオから読み取ることができた日程は概略以下の通りであった。

 1999年7月22日、西海岸のロングビーチをクイーンメリー号の汽笛に送られて出発。
 翌7月23日には世界有数の風力発電地帯であるパームスプリングを通過。
 7月28日 グランドキャニオン
 7月29日 モニュメントバレー
 8月02日にはニューメキシコ州のタオス・パエブロに到着。
       休養日としてネイティブアメリカンの集落を見学。
 8月04日 サンタフェ
 8月08日 テキサス州オースティン
 8月10〜11日 米国在住の旧知の彫刻家宅にて2日かけてトレーラ部の修理。
 8月12日 休養日、NASAのジョンソン宇宙センター見学。
 8月17日 ルイジアナ州ニューオリンズ
 8月19日 フロリダ周ペンサコラ。地元新聞紙に掲載される。
 8月23日 ゴールのケネディ宇宙センターに到着。
       当日中に、さらに東に進み、大西洋に面したケープカナベラルの海岸に到着。

   総日数   33日間
   走行日数  26日間
   総走行距離 4895km

 単純に数字だけを見れば、昨今のWSCの記録などと比較すると、ずいぶんとゆっくりしたペースであるように感じられるであろう。もちろん、彼らの目的はスピード記録ではない。

 京都市立芸術大学ソーラーパワーラボは、口の悪い鈴鹿常連チームの間では「勝ち逃げ」したチームとされている。もちろん1997年のTodayクラス優勝を示してのことであり、勝ち逃げという表現には賞賛(と少しの羨望)が込められている。芸大チームにトップの座をさらわれた理工系大学チームの発憤は相当な物だったのではないかと想像する。鈴鹿ソーラーカーレースの歴史の中で「勝ち逃げ」したチームは2チームしかない。読者氏は、もう1チームが、どのチームであるか既にお気づきであろう。もちろん逃げたわけではない。鈴鹿からの引退が、レーシングサーキットに収まりきらない大きなスケールの次なる冒険を目指した結果であったところも、両チームに共通している。

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 植物は太陽光のエネルギーを使い、光合成によって大気中の二酸化炭素を還元して炭水化物の形で炭素を固定する。固定化された炭素は、数億年という長い時間を経て、石炭、石油などの化石燃料に変性される。
 化石燃料から得られるガソリンで走る自動車と、太陽光のエネルギーで直接走るソーラーカーとの対比は、 数億年という長い時間と、数分、数時間、数日という知覚可能な短い時間との対比に読み替えることが出来る。

 「ソーラーカーはレーシングサーキットの中だけのものではない。もっとスケールの大きな楽しみ方があるはずだ。それを示したかった。」 HAAS PROJECT の意味合いについて野村仁氏御自身からお聞きした言葉である。

 億年単位の時間を刻んだストロマトライトに触発された野村氏の作品と、これまた「彫刻作品」の一つであるソーラーカー「サンストラクチャー」を同時に見るとき、また、大陸横断の場を豪州大陸ではなく北米大陸に設定し、ゴール地点にケープカナベラルを選択したというところを考え合わせると、
  野村氏が目指したのは、単に先の言葉通りの意味だけでなく、

 ・太陽エネルギーの在り方という姿を借りての「時間の凝縮」 と、
 ・大陸横断という行為を通じて地球の大きさ、天体空間の大きさというものを「実感」してみること

だったのではないだろうかと感じるのである。


足跡
イベントチーム名車両名結果
1993ASRy神戸京都市立芸術大学サン・ストラクチャー1号総合16位 シャープ学生クラス7位
1994SuzukaSolar Power Lab.サン・ストラクチャー総合44位Todayクラス29位
ASRy神戸Solar Power Lab.サン・ストラクチャー2号総合10位 学生クラス6位
1995SuzukaSolar Power Lab.サン・ストラクチャー・III総合23位 Todayクラス10位
ASRy神戸Solar Power Lab.サンストラクチャーIII総合8位 Bクラス2位
1996英田Solar Power Lab.サンストラクチャーIII予選1位 総合19位
Suzuka京都市立芸術大学 Solar Power Lab.Sun Structure III総合11位 Todayクラス3位
ASRy神戸京都市立芸術大学 Solar Power Lab.サン・ストラクチャーIII総合2位 Cクラス1優勝
1997英田Solar Power Lab.サン・ストラクチャー総合2位
Suzuka京都市立芸術大学 Solar Power Lab.サン・ストラクチャー総合5位 Todayクラス優勝
ASRy神戸京都市立芸術大学 Solar Power Lab.サン・ストラクチャー総合3位 Cクラス2位
1998英田Solar Power Lab.サン・ストラクチャー総合16位
1999英田京都市立芸術大学 Solar Power Lab.サンストラクチャー順位外出走
米国横断HAAS Projectサンストラクチャー’99達成


「サン・ストラクチャー」 ソーラーカーレース鈴鹿1994にて

資料
*1) http://www.arttowermito.or.jp/art/nomura.html
*2) http://www.arttowermito.or.jp/catalog/catalogj.html
*3) 森司編,「野村仁/生命の起源:宇宙・太陽・DNA」,水戸芸術館,2001
*4) http://www.sculpture.org/documents/scmag01/may01/nomura/nomura.shtml
*5) http://www.hmn.bun.kyoto-u.ac.jp/sympo20-02/sympo4.html
*6) http://www.kcua.ac.jp/
*7) '93〜'97朝日ソーラーカーラリーin神戸,公式資料
*8) ソーラーカーレース鈴鹿歴代成績
*9) '96〜'99 朝日ソーラーカーレースinTIサーキット英田,公式資料

第一稿  2006.10.15.
微改訂  2006.10.27.
追記   2007.02.17.

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大阪産業大学

エコラン
1989? 藤田氏 Team Simon に参画
1990? 藤田氏 Team Doraemon「ソラえもん号」制作、運営に参画


1995 ソーラーカーレース鈴鹿 京セラから「Son of Sun」を借用して出場



1995 朝日ソーラーカーラリーin神戸 「Son of Sun」にて出場  拡大



1995 朝日ソーラーカーレースinTIサーキット英田 「Son of Sun」にて出場



1999 ドリームカップソーラーカーレース鈴鹿 「OSU Model S」



World Solar Car Championship Malaysia 2001   「OSU Model S」



2001 ドリームカップソーラーカーレース鈴鹿 「OSU Model S」



2003 ドリームカップソーラーカーレース鈴鹿 「OSU Model S'」



「OSU Model S'」オレンジカード



発掘調査中

画像掲示  2007.##.##.
オレカ画像追加  2007.07.02.
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立命館大学

プロジェクトチームRULS:立命館大学太陽エネルギー学生研究室(1994〜2002)
ソーラーカーサークル(ソーラーカー研究室)「NANDEYANEN」(1996〜2001)
プロジェクトチーム立命館大学 EV-Racing「我楽多連」(2003〜  )




1.プロジェクトチーム RULS発足

 RULS:立命館大学太陽エネルギー学生研究室の発足は1994年にさかのぼる。滋賀県の誘致を受けて立命館大学草津キャンパスが開設され理工学部が衣笠キャンパスから引っ越してくるとほぼ同時に4つのプロジェクトチーム
内燃機関研究会(RUICE) 自動車レース
飛行機研究会 鳥人間コンテスト
ロボット技術研究会(RRST) ロボコン
太陽エネルギー学生研究室(RULS) ソーラーカー
が設置された。大学当局の公認管理下にあるプロジェクトチームという扱いであり構内に活動場所も用意されていたようだが運営自体は学生の自主性に任されており、教職員の関与はほとんど無かったようである。この伝統は現在にも受け継がれている。
 RULSの最初の足跡は現プロジェクトチーム「EV-Racing」の活動拠点である草津キャンパス内「アクトアルファ」に引き継がれ、保管されているトロフィーの銘板:
 地球環境フェア ソーラー自転車けいはんなグランプリ「アイデア賞」1994年10月9日
に見ることができる。*1) 

 


太陽エネルギー研究室 「Star Wolf」 撮影場所不明 (画像提供 立命館大学EV-Racing)



「Star Wolf(?)」 立命館大学BKC内でのテスト風景 (画像提供 立命館大学EV-Racing)


 なお「けいはんな」は、ローマクラブの報告書『成長への限界―人類の危機』に衝撃を受け、環境との共生を意識した研究開発を進める必要を確信した奥田東(元京都大学総長)の構想に基づき、関西財界がバックアップして京都府、大阪府、奈良県を跨る地域に建設した人口の文化学術研究都市である。建設着手は1980年代後半、1993年11月には(財)地球環境産業技術研究機構(RITE)が開所され、1994年10月に関西文化学術研究都市の都市びらきが行われ、前後して(9月23日〜11月20日)「けいはんな学研都市フェスティバル'94」が開催された。件のソーラー自転車グランプリ大会を含む「けいはんな地球環境フェア」も都市びらきに関連する一連のイベントの一つであると推定されるが直接的な記録は見あたらない(web上にて、環境庁主催による地球環境フェアの記録が残るのは'97年神戸からである。)。
 1996年にはソーラーカーラリーin能登'96に「らるらる2号」にてエントリー。レース前に駆動系が故障し、徹夜の復旧作業によりにより出走にこぎ着けたものの周回数僅か2周に終わった。同年の朝日ソーラーカーラリーin神戸にもエントリーしたが、実際には参加しなかった模様。なお、修理中の画像しかないため詳細は不明であるが、「らるらる2号」は前二輪、後一輪の低いカート状の車体にソーラーパネルを平板屋根式に取り付けた構造の小型ソーラーカーであった。*2)*3)

2.ソーラーカーサークル「NANDEYANEN」創設 *12)*13)

 1994年、立命館大学に入学した杉本暁彦氏は、高校時代から抱いていた夢を実現させるためにRULSとは別に「ソーラーカー研究室」を仲間5人で旗揚げした。メンバーは一時50余名まで膨らんだとのことだが、大学非公認の同好会ゆえに構内に活動場所は無く、資金もノウハウも全くないという状態で人数ばかりが多いという有様であった。

 1995年に入り、ポリテクカレッジ滋賀のソーラーカーチーム「SPD(Solar Power Dreamers)」を見学。自作MPPTを誇るSPDに影響され、電子工学科のメンバーが電子回路の製作に取りかかったが、車体が無くては事は始まらず、なお悶々とした日々が続いたようだ。

 1996年12月、メンバーの一人が自動車関連商品を扱っていたアルバイト先に相談し、「ソーラーカーなら」とのことで紹介されたシバタファミリーソーラーカーチーム(柴田茂壽氏、太田龍男氏)との出会いが、彼らの転機となった。鉄工所を経営する太田氏は彼らのために、ソーラーカー製作に必要となる場所の提供と機械加工技術の指導を引き受けた。昔ながらの職人肌である太田氏の指導の元で機械油にまみれる覚悟の座ったメンバー:創設者の杉本氏の他、下村潤氏、清家潤臣氏、西嶋大貴氏ら7人のメンバーがサークルに残り、「何もないゼロ」からのソーラーカー製作が始まった。

 1997年、柴田氏と太田氏から朝日ソーラーカーラリーのシャープ学生クラス(書類選考で選ばれたチームにソーラーパネル、モーター、コントローラ等のソーラーカー製作に必要な基本キットが無償で支給され、それを用いて製作した車両にて競技に参加する)の存在を教えてもらった彼らは、応募する前に車両製作に取りかかることを決意する。それは製作途中の車体の写真を付けて応募し、選考委員の情に訴えようという大博打であった。
 初めて扱う大型の工作機械に戸惑いながらも、2月半ばにはアルミ角パイプによるメインフレームを組み上げ、もらい物のステアリングハンドルを取り付けた。3月には仮のサスペンションアームとタイヤを取り付け、4月にはバッテリーとモーターを仮付けしてソーラーカーの基本となる電動自動車を作り上げた。
ソーラーカー初試走
 4月13日:借り物のバッテリーとモーターをつなぐ。スイッチをつけてテレビゲームのようにオン・オフだけのアクセルにする。ブレーキは、リヤタイヤのドラムブレーキをワイヤーで引っ張ることにしておいたので、足ブレーキの手アクセルという変な操作方法での試運転となる。スピードを上げるのは心配なのでゆっくりと走る。みんなで一周ずつ走ることにしたが、みんな車をおりると顔を紅潮させて、にやにやする。
「立命館大学ソーラーカーサークル NANDEYANENの軌跡」より引用
 6月、彼らの作戦は当たり、シャープ学生クラス書類選考に合格。480wソーラーパネル、モーター、コントローラの支給を受け、正規の部品に合わせて各部の調整、再制作がなされた。このころには、市販部品を流用する場合でも足りないパーツを自分たちで作ってしまえるレベルにまで機械加工の腕は上がっていたようだ。8月に入り太陽電池を乗せるパネルフレームが作製され、9月、ついにソーラーカー「NANDEYANEN」号が完成した。*12)
 NANDEYANENはデビューとなった'97朝日ソーラーカーラリーin幕張にて見事シャープ学生クラスにて優勝し、その後も関西圏のソーラーカーイベントを中心に活動した。*4)*5) 同じくシャープ学生クラスでのデビューを飾った山口大学チームとは幕張にて隣通しのピットになった以来の仲だという。



立命館大学 ソーラーカーサークル NANDEYANEN(ver.1)
朝日ソーラーカーラリーin神戸1999(太田龍男氏撮影)

 2001年には21世紀最初のソーラーカーイベントとなったマレーシアでの国際ソーラーカーレース「WSCC Malaysia 2001」に出場。レース初日、アップダウンが過酷なシャーアラム市街地コースを走行中に制御パネルが文字通り火を噴き、消火器で消し止めるという大トラブルに遭遇したが、夜を徹して復旧作業を行い翌日のセパン国際サーキットへの出走を果たした。*6)*7) 同じ夜、Team Sunlakeもまたピット内での追突事故による損傷復旧にあたっていた。異国の地のソーラーカーレースにて共に徹夜作業を経験した両チームの交流は現在のEV-Racingチームに引き継がれている。この時、エキストラメンバーとしてSunlakeに参加していた太田有彦氏は太田鉄工所の二代目、龍男氏とともにNANDEYANENの製作に最初から関わっていた一人でもある。


立命館大学 ソーラーカーサークル NANDEYANEN(ver.2)
World Solar Car Championship in Malaysia 2001(太田有彦氏撮影)


 同年秋の2001湖国ソーラーカー・EVカーフェスタin湖東には、同イベントの副実行委員長であった柴田茂壽氏の要請を受け、大会運営の裏方にあたった。
 現在(2006年03月時点)複数のソーラーカーチーム・ウエッブサイトにNANDEYANENサークルへのリンクが残されている。同チームがウエッブサイトを利用しての情報発信に熱心であったことが伺えるが、残念ながらサイト自体は残っていない。*5)*6)*12)

3.二チーム併設時代

 一方のRULSも1997年〜1998年は「らるらる2号」の改良車であろうと推定される「2号EX」にて神戸、英田などの関西圏のイベントに出場していたが、ソーラーカーラリーin能登1996にてトラブルを起こした後輪周りのメカニズムが弱く、失礼ながらあまり芳しい成績は残せていない。同じキャンパス内に、公認/非公認と立場が異なる二つのチームがのサークルが存在していたわけであり両者間の対抗心は相当に高かったものと想像する。


立命館大学 太陽エネルギー学生研究室 2号EX
1997朝日ソーラーカーレースinTIサーキット英田 (柴田茂壽氏提供)

 1999年、RULSは「2号」に見切りを付け、新車「sky blue」を作製、この年から大潟村にて開催されることになったJISC:全日本学生ソーラーカーチャンピオンシップに参加した。固有名詞にかかわらず小文字表記であるのは早稲田大学永田研究室の名車「Sky Blue」への遠慮であろう。関係者の証言では段ビ製だったそうだが、目の覚めるような青が冴える車体画像をソーラーカーレース鈴鹿の公式プログラムに見ることができる。

4.合併、新RULS誕生

 2001年秋、約8年間にわたり分裂していた同大学のソーラーカー活動であったが、この年の秋に両者は技術提携・団体合併により「新RULS」として再スタートすることとなった。両チームとも、新入メンバーの減少により独立したグループを維持することが困難になってきたというのが本音のようでもある。NANDEYANENが名を捨てて実(学内での活動拠点)を取ったという見方もできなくはない。お互いに言い分はあろうが、ともかく本来の望ましい形となったことを前向きに評価したい。



立命館大学 「New Age」 Eco Car Festa 2003 (画像提供 立命館大学EV-Racing)


 NANDEYANEN号は発展的に解体され、山本晴彦氏が中心となった新体制の元で新車「New Age」が製作された。13) 新RULSは、深紅のボディを持つ「New Age」にて 2002年にソーラーカーレース鈴鹿に参戦した。

 2003年にはソーラーカーレース鈴鹿とエコカーフェスタin舞洲に参加、エコカーフェスタにおける16時間耐久レースでは、上位チームがバッテリー交換にて周回数を稼ぐ作戦をとる中で、ソーラーカーの原則通りバッテリー交換無しで完走し、クラス3位入賞という好成績を残した。

5.改名「立命館大学 EV-Racing」我楽多連

 2003年暮れにプロジェクト名が「立命館大学 EV-Racing」に、チーム名が「我楽多連」に改名された。*10)

 2004年にはTeamSunlakeのエキストラメンバーとして森口聡氏(当時二回生)が参加、不幸にも彼は、彼の先輩達がMalaysiaで遭遇した苦難よりさらに過酷な試練を受けることになった。*11)

 同年、Sunlakeチームより1999〜2002年にかけてソーラーカーレース鈴鹿のチャレンジクラス4連覇を達成したソーラーカーボディを譲り受け、ボディに合わせてシャーシを製作するという変則的な工法にて「ヴィマーナ」が製作された。同シャーシ製作の技術指導は太田鉄工所による。サンスクリット語で「太陽の光を受けて走る舟」を意味する名を戴いた車両は、名に反し、長年のリユースでのソーラーパネルの損傷により、晴天時でも太陽光発電量が定格の20%に満たないという状態であった。幸か不幸か、2004年のソーラーカーレース鈴鹿は台風直撃の雨中開催レースとなった。各チーム、天候を気にしてスローペースの展開となった第一ヒート、木下崇氏が駆るヴィマーナは快調に飛ばしてチャレンジクラスの首位を獲得した。二日目はペースを落とし最終的にはチャレンジクラス8位に終わったが、読売新聞の地方版に掲載された「立命館大学初日首位」の大見出しは、翌年の太陽電池パネル更新予算の獲得に十分な効果をあげた。


立命館大学 EV-Racing 我楽多連 ヴィマーナ
2004 ドリームカップ・ソーラーカーレース鈴鹿

 2005年、新たなソーラーパネルを用い、太田鉄工所の技術指導を受けて、シャーシから全て学生メンバーの手作りので仕上げられた新車「α−Fields」にてソーラーカーレース鈴鹿に参戦。第一ヒート数周回ったところでスピンしてシャーシの溶接部を破損。ヒート中は会場外に車両を搬送することが禁じられているため、まずピット内にて溶接作業の妨げとなる電装関係を取り外し、第一ヒート終了と同時に車両を搬出して滋賀県の太田鉄工所まで戻って損傷部を再溶接、夜を徹しての復旧作業にて翌朝の出走に間に合わせた。


立命館大学 EV-Racing 我楽多連 α-フィールド
2005 ドリームカップ・ソーラーカーレース鈴鹿


 2006年、一昨年にSunlakeボディに合わせて作られたシャーシを用い、今度はシャーシに合わせてボディを製作するという本来の手順にて新車を制作中。ボディ製作は往年のSunlakeと同様、発泡スチロールの削りだしによる造形の後、表面に補強繊維(Sunlake はZylonであるが、こちらはカーボンファイバー)を貼り付けるという手法が採用された。
   太田鉄工所による車体メカニックの設計製作支援、
   Sunlakeのボディ製作技術支援、
   ミツバ社のホイールインモーター、
   新しいソーラーパネル、
が組み合わされることになり、少なくとも鈴鹿にて75周回以上回れるポテンシャルのある車両が仕上がるはずであった、


2006年6月 立命館大学びわこ草津キャンパス アクトα にて

 新車「ブラタリウス」は、エコカーフェスタ備北岡山にてシェイクダウン。勢いに乗ってsuzukaに乗り込んだが、アクセルペダルの不調により65周、クラス15位、総合23位に終わった。トラブルで止まってしまった第二ヒート終盤、動作しなくなったアクセルペダルを切り離し、引きちぎった配線を手元で直結するという荒技でコントロールを取り戻してピットまで戻り、残り時間12分にピットアウトして自力でチェッカーを受けた。その粘りと執念は、必ずや来シーズンに確かな結果をもたらしてくれるものと期待する。 *14)*15)



ドリームカップ・ソーラーカーレース鈴鹿2006 Triasic Dandy と競り合う Bllattalious

 秋、浜松オートレース場を会場に開催された第1回エコノソーラーバイクレースin浜松2006に出場。総合7位。



電動バイク「グリーンモス」 2006.11.18. Econo Solar Bike Race in HAMAMATSU 2006

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立命館大学 ソーラーカー活動略史 年表

イベントRULS:
立命館大学太陽エネルギー学生研究室
立命館大学ソーラーカーサークル
「Nandeyanen」
1994立命館大学
草津キャンパス開設
理工学部が草津キャンパスに移転
RULS創設RULS
立命館大学プロジェクトチームとして発足
ソーラーカー研究室創設ソーラーカー研究室(後のNANDEYANEN)
自主的な同好会として創設
けいはんな地球環境フェア
ソーラーバイシクル大会
らるらる1号(?)
アイデア賞 詳細不明
1995活動記録無し他チームの見学など
1996SCR in 能登’96らるらる2号
 学生の部ジュニアクラスに出場
 周回数2、29位(32台中)
'96朝日SCRy in 神戸らるらる2号
 エントリーのみ出走せず
1997NANDEYANEN製作開始太田鉄工所技術指導を受け
 ソーラーカー製作に着手
'97朝日 SCRy in 幕張「NANDEYANEN」
  シャープ学生クラス優勝、総合13位
'97朝日 SCRy in 神戸「2号EX」Bクラス23位総合44位「NANDEYANEN」Bクラス16位総合31位
'97朝日SCRc in 英田「2号EX」1クラス10位総合24位
1998WSR秋田「2号EX」Sクラス31位総合71位
ソーラーカーレース鈴鹿「なんでやねん」Enjoyクラス9位総合28位
'98朝日SCRy in 神戸「NANDEYANEN」Bクラス11位総合18位
'98朝日SCRc in 英田「2号EX」1クラス11位総合23位「NANDEYANEN」1クラス4位総合10位
 学生の部総合6位
1999JISC(WSR)「sky blue」フルクラスに出場
 47位(69台中)
ソーラーカーレース鈴鹿「sky blue」Enjoyクラス13位「Nandeyanen」Enjoyクラス6位
'99朝日SCRy in 神戸「NANDEYANEN」 Bクラス4位総合8位
'99朝日SCRc in 英田「sky blue」4クラス3位 総合12位「NANDEYANEN」 1クラス優勝総合8位
2000ソーラーカーレース鈴鹿「sky blue」Enjoyクラス40位「Nandeyanen」鈴鹿 Enjoyクラス8位
湖国SC,EVカーフェスタ湖国 Cクラスに出場湖国 Cクラスに出場
2000朝日SCRy in 神戸「NANDEYANEN」 Bクラス9位総合20位
2001WSCC in Malaysia「Nandeyanen」出場
JISC(WSR)「sky blue」JISC、F2クラス 総合57位
2001湖国SC,EVカーフェスタ湖国 Cクラスに出場クラス5位総合22位オフィシャルとして参加
2001朝日SCRy in 神戸「NANDEYANEN」 Bクラス11位総合25位
合併
2001年秋、「旧RULS」と{NANDEYANEN」、技術提携・団体合併し
「新RULS」として再スタート
2002ソーラーカーレース鈴鹿
「New Age」鈴鹿Enjoyクラス18位
2002朝日SCRy in 神戸
 
2003プロジェクト名変更
プロジェクト名を「RULS:立命館大学太陽エネルギー学生研究室」から
「立命館大学 EV-Racing」に変更。チーム名を「我楽多連(ガラクタレン)」とする。
ソーラーカーレース鈴鹿
「New Age」鈴鹿Enjoyクラス25位
2003エコカーフェスタ舞洲
「New Age」16時間耐久レース クラス3位
2004Phaethon2004
Team Sunlake にチームメンバー森口氏が参加
ソーラーカーレース鈴鹿
「ヴィマーナ」鈴鹿Challengeクラス8位 総合19位
2005ソーラーカーレース鈴鹿
「α-フィールド」Challengeクラス20位総合31位
2006エコカーフェスタ備北岡山
「Bllattalious」出場
ソーラーカーレース鈴鹿
「Bllattalious」Challengeクラス15位総合24位
ソーラーバイク浜松
「Green Moss」総合7位
2007ソーラーカーレース鈴鹿
「Bllattalious」Challengeクラス15位総合21位



資料

*1) 地球環境フェア ソーラー自転車けいはんなグランプリ「アイデア賞」トロフィー, 2004.10.09.
*2) http://www.jonasun.com/oldsolarcar/info/n23_0700.html
*3) '96朝日ソーラーカーラリーin神戸 公式資料
*4) '97朝日ソーラーカーラリーin幕張 公式資料
*5) http://www15.plala.or.jp/ritu-ishikawa/katudou/history.html
*6) http://www.ritsumei.ac.jp/mng/gl/koho/ headline/info/2001/0515/soler_car.htm
*7) http://solar.inkm.net/WSCC.htm
*8) http://www.jonasun.com/oldsolarcar/link/link_s.html
*9) http://www.ritsumei.ac.jp/acd/st/student/info/headline02/headline12.html
*10) http://yaplog.jp/ruls/archive/1
*11) http://solar.inkm.net/index_phaethon.html/
*12) 清家潤臣他,「立命館大学ソーラーカーサークルNANDEYANENの軌跡」,1999年4月頃
*13) 関係者(下村潤氏、清家潤臣氏、西嶋大貴氏)インタビュー
*14) http://solar.inkm.net/suzuka2006/index.htm
*15) http://yaplog.jp/ruls/archive/223

ソーラーカーレース鈴鹿、WSR(JISC)の各公式記録については出典注記を省略しています。

第一稿  2006.05.01.
改訂追記 2007.01.04.
表訂正(1998WSR) 2007.02.17.
トップ画像交換 2007.07.01.
追記   2007.08.14.
画像追加(けいはんなGP、New Age) 2007.11.09.
一部訂正(けいはんなGP)      2007.11.09.
微改訂  2008.11.27.


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山口大学



発掘調査中

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玉川大学






発掘調査中

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太陽能車考古学研究所 2006.01.01