Solar Car Archaeorogy Research Institute
English

日本ソーラーカー史 第三巻

ソーラーレーシングチーム

The History of the Japanese Solar Car Volume 3
Japanese Famous Solar Racing Teams Section 7

企業内クラブチーム

ル・ソレイユ/JCI
H.A.T.レーシングチーム(荏原製作所)
MARKSソーラーカーチーム(豊田自動織機)
イワキ・ソーラーカー・レーシングチーム(イワキ)
バカボンズ(キャノン)
エネマックス(GS日本バッテリー)
オリンパスRS(オリンパス)
サンレイク(東洋紡)

■■■   企業内クラブチーム   ■■■


ル・ソレイユ/ジャパンクレステッドアイビス(ホンダ)
LE SOLEIL - Japan Crested Ibis


チーム概要

 WSC1990に参加したホンダチームのメンバーを中心に結成された社内プライベートチーム。アデレードでのゴールの感激を味わった中村忠能氏が、同じくプロジェクトメンバーでレースを国内から見守った池鯉鮒貴氏らを誘い、社内の自己啓発制度の申請認可を得てチームを結成。資金面から当初よりアモルファスシリコン太陽電池を採用、鐘淵化学(現カネカ)からの支援を受けた。前1輪、後2輪というスタイルを頑なに守り、1992年、能登にてデビュー、WSC1993にて非公式14日間完走(SELの非公式記録32日間を更新)、WSC1996ではチーム名を「Japan Crested Ibis(朱鷺)」と改名し、「FINE」にて史上初のアモルファスシリコン太陽電池での規定時間内完走という快挙を成し遂げた。

歩み

1990年 11月 豪州 アデレード

 WSC1990ゴール ホンダチームは二位に終わった。1991年、ホンダ社内ではWSC1993に参加するための準備が水面下で始まっていたが、技術系社員の教育目的でもあったこのプロジェクトに第一回目のプロジェクトメンバーは原則として選ばれなかった。

 ホンダチームの豪州遠征メンバーであった中村忠能氏は「アデレードにゴールしたときの感動をもう一度味わいたい、ゴールの瞬間に居合わせることができなかった他のメンバーにも味わって欲しい」と、同じくプロジェクトメンバーの一人であった池鯉鮒貴氏らを誘いチームを結成した。池鯉鮒氏はレース準備に訪豪したもののレース開始直後に帰国し、日本からのチームのサポートを担当したためゴールの瞬間を見ることはできなかったのであった。*1a) *2)

1992年
 彼らは、社内の自己啓発制度の申請認可を受け、15名のメンバーにて活動を開始した。潤沢な資金が使えたであろうワークスの「ドリーム」チームとは異なり、基本的にはプライベータと同じ土俵に立つことになった彼らはアモルファスシリコン太陽電池に着目した。当時、SELチームが過去二回のWSCにアモルファスシリコン太陽電池を使って挑戦していたが規定時間内完走は達成されていなかった。アモルファス太陽電池によるWSC挑戦に大きな意義を認めた主催者ハンスソルストラップ氏はアモルファス仕様車両には特別に走行時間を一日増やすという優遇策を提示していた。彼らからの要請に、異業種から太陽電池事業に参入していたカネカ(旧鐘淵化学)が応え、チームへの支援を受諾した。*1a)*2)  チーム名は中村氏の夫人により「ル・ソレイユ」と命名された。*1a)

 エネルギー的には、ドリームクラスから一挙にエンジョイクラス以下のスペックに下がった中でのソーラーカー開発には大きな戸惑いがあったものと想像する。徹底した軽量化、省エネルギー化、そして低コスト化がソーラーカー開発の主眼となった。*2) 軽量化=必要最低限の機械的耐久性確保であり、その境界を見極める事は決めて難しい。

1992年 8月 能登
 ソーラーカーラリーin能登、周回競技に初代ソーラーカー「Nikko g-Racer」にて出場。アモルファスシリコン太陽電池仕様という以上に、前1輪、後2輪の3輪車にて前輪駆動(しかもチェーン駆動!)という特異な形態が異彩を放った。結果は、残念ながら砂地コースにて後輪破損し、リタイヤであった。

1993年
 1993年6月 北海道北見市、Nikko g-Racer の基本フレームを左後輪駆動に改造し、カウルを再作成した「Le Soleil 北見号」にて第2回ソーラーチャレンジIN北海道に出場した。天候は雨。実質的にバッテリー競技となったため、太陽電池の性能差が不利にならないという絶好のコンディションだったわけであるが、バッテリーマネジメントがうまくいかず、ゴールラインを通過することが出来なかった。公式記録はDF(Don't Finish)。

 8月WSR秋田、WSC参戦用に再作成した「Le Soleil」号のシェイクダウン。製作は大潟村のピット内でも続けられ、完成はレース当日の朝、輸送中に後輪サスペンションを破損し、リジッドサスでの走行、1−2日目は順調に走行したが、3日目最終周にてに後輪取り付け部が壊れた。直進主体のソーラースポーツラインといえどもリジッドサスでの長時間走行は難しかった。総合31位、フリークラス9位と芳しくない成績であったが、アモルファス太陽電池採用という挑戦的な姿勢が評価され「未来賞」が授与された。

 11月、豪州WSC1993。ル・ソレイユチームの6名に、カネカから派遣された技術者の山脇竹治氏が加わった総員7名が豪州遠征メンバーとなった。WSC1993にSELチームは参加しなかったため、アモルファス太陽電池での参加はル・ソレイユチームの1チームのみであった。予選は59.3km/hr(37位/52台)。スタート直前にタイヤカバー外れ、MPPT用温度センサーの剥がれ等のマイナートラブルに見舞われグリッド上にてスタート10分前まで作業は続けられた。レース前半、グリッド通過時のショックで走行系にトラブルが続出したようで、途中リタイヤでアデレードに向かったハマ零チームからグリッド通過用板を譲りうけたが、それでもなお最後にはフレームが折れてしまったという。*3) 彼らは公式レース期間である10日間が過ぎ、記録員がチームを離れた後も、朝は8時にスタート17時に走行終了、メディアストップでは10分間停止というWSCルール愚直なまでに守り、14日めにアデレードに到着、日本のプレスチーム記者から予め受け取っていた2本のシャンパンで乾杯した。*1b)*17)

1994年
「Le Soleil改」にてWSR1994に出場。順位こそ総合34位と前回より下がっているが日毎の周回数のムラが無くなり15周を回っている。*8)
 秋には関西まで遠征し、'94朝日ソーラーカーラリーin神戸に出場、総合27位、Aクラス8位。*18)

1995年
 WSR1995、「Le Soleil 改」にて 21周(7周×3日)を回り総合34位。レース中の詳細な状況についての記録は残されていないが、その数字は、トラブル無く、安定したペースでの走行が行われたことを示している。*9)

1996年
 この年、Le Soleilチームはチーム名称を「Japan Crested Ibis」、すなわち日本の国鳥「朱鷺」に改名。アモルファス太陽電池でのWSC規定時間内完走という当初の目的を目指し、新車「FINE」の開発に着手した。

 新車開発にあたっては、前回大会でのLeSoleil号のデータが徹底的に見直され、解析結果から導かれた必要性能:「372wのエネルギーで45km/hの速度で走れること」を実現するために徹底的な軽量化と、空力改善のための高い目標設定がなされた。*3) FINE号の開発についての詳細は、システム電装設計担当の富山隆氏により、太陽エネルギー学会関西支部シンポジウムにて発表され(未確認)さらに加筆・修正された内容がJCIウエッブサイトにて公開されている。FINE号の仕様を如何に示す。*3)

 車体重量を抑えるために車体サイズをあえてフルサイズより小さめに設定し、軽量化のため、通常は上下分割するカウルを一体型にて作製、車体形状は1/6モデルでの風洞実験を繰り返し、側窓を持つゴキブリ型という独特のスタイルが採用された。車輪配置は先代、先々代と同じく、前一輪、後二輪での前輪駆動という拘りのスタイルが踏襲された。

  車両サイズ 5570×1960×1007mm
  車体重量 158kg
  アルミスペースフレーム+CFRPカウル(上下一体)
  前1輪、後2輪 前輪をチェーン駆動
  CD値1.124 前方投影面積1.06m2

  太陽電池 :鐘淵化学工業株式会社製アモルファスシリコン太陽電池
        投影面積8m2、セル枚数1060枚、トータル653W、変換効率8%以上
  バッテリー:イーグルピッチャー製 酸化銀亜鉛電池 SZHR25−5
        80個 4800Wh 総重量39.9kg
  モーター :本田技研工業株式会社DCブラシレスモーター DDW4030改
        定格出力600w、最大出力>800w
  MPPT :小山工業高等専門学校鹿野研究室開発 *4)

 新車「FINE」は国内レースを経ることなく、本舞台のWSC1996でデビューした。
 予選は54.55km/hr、35位という順当な滑り出し。スタート直後の2日間は太陽電池の配線ミスに気づかず入力損を出したが、以後はほぼ順調に314〜452km/日のペースで走行を続けた。レース前半に好天に恵まれたため二組に分けたバッテリーの二組目が温存でき、悪天候に見舞われた最終日にバッテリーを使い切って走りきるという絶妙のエネルギーマネジメントで、8日目の夕方16時過ぎにゴールした。史上初のアモルファスシリコン太陽電池での規定時間内完走という快挙に対し、主催者からアモルファスクラス特別賞が贈られた。*3)

 WSCでの奮闘の様子はカネカにより製作された記録ヴィデオに残されている(内容未確認)。*19)

1997年 〜 1999年

 以後はWSRと地元栃木のイベントに参加。*10)*11)*12)*13)*14)*15)
 2000年以後は活動を停止している。
 メンバーであった富山隆氏は1999年以後、パンダサンチームに参画している。*20)

 大阪大学基礎工学部の研究紹介サイトにWSC1996時のJCIチームの画像が掲載されているがチームとの関係は不明である。*16)

足跡

イベント
チーム名
車両名
結果
備考
1990
WSC
HONDA R&D
DREAM
総合2位
発起人2名
プロジェクトに参加
1992
能登
Le Soleil
Nikko g-Racer
リタイヤ
後輪破損
1993
北見
Le Soleil
Le Soleil 北見号 
DF(Don't Finish)
 
WSR
Le Soleil
Le Soleil
総合31位(10周) 未来賞
 
WSC
Le Soleil
Le Soleil
10日目時間切れ失格
(14日間非公式完走)
 
1994
WSR
Le Soleil
Le Soleil 改
総合34位(15周)
 
神戸
TEAM Le Soleil
Le Soleil 改
総合27位、Aクラス8位
 
1995
WSR
Le Soleil
Le Soleil 改
総合34位(21周)
 
1996
WSC
Japan Crested Ibis
FINE
総合17位(8日間完走)
アモルファスクラス特別賞
 
1997
栃木
Japan Crested Ibis
FINE
総合2位
 
WSR
Japan Crested Ibis
FINE
総合10位(31周)
 
1998
栃木
Japan Crested Ibis
FINE
総合2位
 
WSR
Japan Crested Ibis
FINE
総合17位(23周)
 
1999
栃木
Japan Crested Ibis
FINE
総合11位
 

資料

*1a) 中部博, 光の国のグランプリ, 集英社, p141, 沿革
*1b) 光の国のグランプリ p210-214 ゴール
*2) http://www.bekkoame.ne.jp/~soleil/index_j.html
  http://www.bekkoame.ne.jp/~soleil/index.html
  http://www.bekkoame.ne.jp/~soleil/soleilpas_j.html
*3) http://homepage3.nifty.com/JCI/ FINE開発
  http://homepage3.nifty.com/JCI/PAGE1.html
  http://homepage3.nifty.com/JCI/PAGE11.html
*4) http://homepage1.nifty.com/Kano/MPPT/PPT3.htm 鹿野研MPPT
*5) グランドソーラーチャレンジ事業報告書
*6) ベルタデザインDDS総括,1993.
*7) http://www2.ogata.or.jp/wsr/results/93wsr.htm
*8) http://www2.ogata.or.jp/wsr/results/94wsr.htm
*9) http://www2.ogata.or.jp/wsr/results/95wsr.htm *10) http://www.littleforest.jp/meister/tochigi97/index.html
   http://www.littleforest.jp/meister/tochigi97/entry.html
   http://www.littleforest.jp/meister/tochigi97/97TOCHIGI-Cars.htm
   http://www.littleforest.jp/meister/tochigi97/race.html
*11) http://www2.ogata.or.jp/wsr/97wsr/result.htm *12) http://www.littleforest.jp/meister/tochigi98/pre.html
   http://www.littleforest.jp/meister/tochigi98/1stheat.html
   http://www.littleforest.jp/meister/tochigi98/lunch.html
   http://www.littleforest.jp/meister/tochigi98/2ndheat.html
   http://www.littleforest.jp/meister/tochigi98/entry.html
   http://www.littleforest.jp/meister/tochigi98/result.html
*13) http://www2.ogata.or.jp/wsr/98wsr/total.htm *14) http://ace.ees.utsunomiya-u.ac.jp/~urai/99.html
   http://ace.ees.utsunomiya-u.ac.jp/~urai/99taikai.PDF
*15) http://www1.vc-net.ne.jp/~miyaz/prominence/report/rep_99tochigi/report_tochigi99.html
*16) 大阪大学基礎工学部 http://www.ee.es.osaka-u.ac.jp/juken/kenkyu.html
*17) 山口京一,「太陽は昇ったか!」, モーターファン, 三栄書房, 1992.02.00. (未確認、捜索中)
*18) '94朝日ソーラーカーラリーin神戸公式結果
*19) 富山隆氏インタビュー(20070805、鈴鹿サーキットにて)
*20) ソーラーカーレース鈴鹿、公式プログラム 1999〜2007

着稿  2007.01.03.
第一稿 2007.02.17.
誤字訂正 2007.06.01.
加筆、部分訂正 2007.08.07.

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H.A.T.レーシングチーム(荏原製作所)



H.A.T.レーシングチーム 「エバラ・エコテック」(2代目)鈴鹿1993



H.A.T.レーシングチーム 「エバラ・エコテック」鈴鹿1994試走会



H.A.T.レーシングチーム 「エバラ・エコテック」鈴鹿1995




H.A.T.レーシングチーム 「エバラ・エコテック」英田1996



H.A.T.レーシングチーム 「エバラ・エコテック」鈴鹿1996


H.A.T.レーシングチーム 「エバラ・エコテック」鈴鹿1999


http://www.hatrs.com/

発掘調査中

画像追加 2006.05.28.
画像追加 2006.09.02.
画像追加 2007.01.03.


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MARKSソーラーカーチーム(豊田自動織機製作所、現豊田自動織機)
MARKS SOLAR CAR TEAM (Toyota Industries Corporation)

豊田自動織機

 御承知の通りトヨタ自動車の母体となった企業である。豊田佐吉により、株式会社豊田自動織機製作所として設立されたのは1926年(大正15年)。1933年には、自動車製造のための自動車部が設立され、僅か4年後の1937年には自動車部の分離独立によりトヨタ自動車工業株式会社(現トヨタ自動車株式会社)が設立された。母体側の豊田自動織機は社名の由来でもある繊維機械と平行して産業機械産業用車両の開発製造販売を進め、近年ではエンジンを含めた自動車用部品に加えハイブリッド車用の電気部品まで幅広く手がけている。2001年、株式会社豊田自動織機に改称された。

チーム概要

 当初は、「遊びクラブ」同好会的な位置づけで活動開始されたが、*1) 1997年には会社公認の活動となった。チーム名「MARKS」には、チーム名が歴史に残るようにという思いが込められている。*1) ソーラーカーレースデビューは鈴鹿1993。1998年に活動停止するまでの6年間、同じ車両を使い続けていた。「Renjaku」以前にプロトタイプ的な車両を製作したことを推測させる資料は発見されていない。当初からCFRPによる高いポテンシャルを有する車両を製作しており、トヨタチームとの間になんらかの技術的な交流があった可能性もある。企業内クラブチームとしては数少ないDREAM(TOMORROW)クラスの車両を有するチームでもあった。

 実質的にバッテリーカーのスプリントレースである英田では常勝、鈴鹿では1996年に総合優勝、持久走レースであるWSR秋田では今一歩表彰台には届いていないものの常に一桁順位の好成績を残した強豪チームであった。母体企業、チームメンバーのいずれからも情報発信がほとんど無く、ウエブサイトも存在していない。これまでの当研究所の発掘調査によっても、チームに関する情報はほとんど得られず、新聞やソーラーカーレース鈴鹿の公式プログラムに掲載されたが画像、短いコメント等がチームの様子を伺うための数少ない記録となっている。

 企業内クラブチームで唯一鈴鹿で総合優勝を飾ったチームとして、またワークスチームが撤退したポストDREAM時代を、プライベータの雄「ZDP」と共に盛り上げたチームとしてチーム名の由来通り、ソーラーカーの歴史に名を刻んだ。



MARKS Solar Car Team "Renjaku" 鈴鹿1995

ソーラーカー「レンジャク(Renjaku)」諸元

 車体サイズ:5550(5650)×2000×1000mm
 車輪数 4 (前後各2輪)
 車体重量130〜163kg(バッテリー有無か?)
 太陽電池 :単結晶シリコン(シャープNT340Y)
 モーター :DCブラシレス(エプソン)
 バッテリー:ニッケル亜鉛(ユアサYZN7-13.6)

 トヨタ系の伝統を受け継ぐ4輪仕様で、RARA10に似たフォルムを有している。1993年デビューから1998年の活動休止まで、少なくとも外形変更を伴う規模の改造は行われていない。初期資料では太陽電池、バッテリー、モーターの型番は開示されていない。鈴鹿公式プログラムの記載を追う限り、少なくとも1996年以後は変更されていない。

チームの歩み

1993年

 製作開始時期は推定1993年。鈴鹿1993公式プログラムに掲載された未塗装車両写真の日付は1993.05.16.である。外観から察するにカウルはCFRP。コメントには「5時から人間の集合体。『すきこそものの上手なれ』を合い言葉にがんばっています。」とあり、社内同好会的な形で活動が開始された物と推定する。なお前述の写真には記念撮影的に、女性を含む大人22人、抱きかかえられた小さな子供6人とが写っており、家族ぐるみでの活動が行われていた様子を伺うことができる。 *2)

 鈴鹿1993。耐久レースが雨のため10時間から6時間に短縮された波乱の大会でデビュー。34周を回り初出場で総合5位の好成績を収めた。ちなみに上位4台は(1)HONDA DREAM、(2)日産 SunFavor、(3)日産車体SHONAN SOLAR Z、(4)チーム知床(実は京セラSon of Sun)である。*2)*3) ワークスチームが火花を散らしていたこの時期のデビュー戦におけるこの結果は、正に大型新人と呼ばれるに相応しいものである。

 同年秋には朝日ソーラーカーラリーin横浜に出場、総合20位、Dクラス5位。公園ラリー形式に於いてフルサイズソーラーカーは圧倒的に不利である。*4)

1994年

 3月5〜6日 1994クラシックカーフェスティバル筑波ミーティング&ソーラー/電気自動車レースに出場。周回数1、順位無しが記録されている。*25)

 4月30〜5月1日 朝日ソーラーカーレースinTIサーキット英田に出場。総合優勝、以来出場しなかった1995年を除き、常勝であった。耐久レースと名乗ってはいるものの、実体は比較的短時間のスプリントレースに近くハイパワー4輪車の安定性が効果を上げたものと考えられる。*5)*6)

 秋にはトヨタ系ディーラー「トヨタオート秋田」との混成チームにてWSRのFreeクラスに出場、総合5位。ちなみに前後は(1)HONDA DREAM、(2)ZDP/BE-PAL、(3)早稲田大、(4)SOFIX、(6)東海大52SRと、いずれもWSC1993出場の猛者ばかりであった。詳細なレース状況についての記録は残されていないが、公式記録を見る限り、3日間のレースの二日目の周回数が落ち込んでおり、何らかのトラブルが生じた可能性がある。*7)*8)

 続くFIA CUP ソーラーカーレース鈴鹿'94では、3Heat制の第1Heatが(何らかのトラブルにより)零周。2Heatにはトップの HONDA DREAM に迫る猛烈な追い上げを見せたがトータル54周にて総合15位と不本意な成績に終わった。*3)*9) 恐らくこの時に記念撮影された物と思われる翌1995年大会の公式プログラムには19名が写っている。*11)



1995年

 この年の英田には出場していない。
 WSRでは総合7位。昨年より順位は落ちているが、3日間、ほぼ安定したペースで走り続け、周回数は昨年の自己記録を更新している。見かけ順位が落ちているのは海外からの招待チームが上位入賞しているためでもある。*10)

 ポストDREAM時代を迎えた混戦の鈴鹿では77周を回り、ZDP、OSU(Son of Sun)に次いで総合3位に入賞、初の表彰台となった。転がり抵抗の大きな4輪車でのこの記録は特筆できる。公式プログラムでのコメントはひと言「ガンバリマス!!」と、とことん無口である。せっかくの紙面なのでもう少し語って欲しい。*3)*11)*12)

1996年

 英田では二位のOSU model S (model S は完成しておらず、実は京セラの Son of Sun だった。)に4周差を付けて圧勝し、昨年鈴鹿の雪辱を果たした。*1)*13)*14)

 コスモ石油カップソーラーカーレース鈴鹿'96、公式プログラムには「3年前に作った古い車両で今年も出場。表彰台目指してガンバリます。」とコメントを残している。レースは昨年優勝のZDPに対し、タイヤトラブルで二位に甘んじたOSUの新車「model S」、芦屋大学の新車「Sky-Ace II」、昨年シェイクダウンの車両を熟成させた金沢工業大学夢工房の「Golden Eagle」と、いずれも向こう数年間、鈴鹿でトップ争いを演じることになる名車に加え、昨年米国から参加した2大学の合同チームが絡む大乱戦となった。めまぐるしく変わる鈴鹿の天候に惑わされず堅実な走りをキープし、二周差でOSUに続く二位に位置していた「レンジャク」はラスト30分、OSUがパンクでストップしている間に逆転し、初優勝を飾った。*3)*15)*16)

 なおこの年の鈴鹿には、EV RACE 部門に
  ストッククラス チーム名 C-MARKS A 車両名 SEV (トヨタ スターレット改造車)
  オープンクラス チーム名 C-MARKS B 車両名 RSEV(フォーミュラ型)
の二台が同チームよりエントリーしている。C-MARKS Bのコメント「今年こそは、フルコース5周なら勝てそうな気がするんですけれどねぇ。」には、短距離のスプリントレースであれば自身アリというドライバーの気持ちが込められていると読む。*15)


MARKS Solar Car Team "Renjaku" 英田1996

1997年

 英田、上位4位までが1ラップ差に並ぶという接戦を征し、3回目の総合優勝を果たした。*17)*18)

 ディフェンディングチャンピオンとして迎えた鈴鹿199。公式プログラムのコメントには「『みんなが集まればきっと何かが出来る』というスローガンのもとに結成された6年目のチームです。今年より(株)豊田自動織機製作所の正式チームとなりました。今年も優勝目指してがんばります。」とある。この時点で社内クラブからワークスチームになったと解釈する向きもあるが、特に車体や仕様バッテリーに変更が加えられた形跡はなく、実体的には同好会的な運営が続いていた物と推定する。
 予選は「他の車がコースに出る前にタイムを出す」という作戦でポールポジションを獲得。晴のち雨という難しい天気予報に翻弄される他チームを尻目に1H、2H(二日目午前)は、昨年チャンピオンの貫禄を見せ1H首位、2HはZDPに次ぐ同一周回2位をキープした。3H(二日目午後)は曇天から終盤には土砂降りの雨と大荒れになった。前半飛ばしすぎてバッテリーを消耗したレンジャクは、残り30分、8%勾配にZDPと共に捕まり無念のストップ、正に昨年とは正反対のパターンで金沢工大GE、OSUに逆転され総合3位に終わった。*3)*19)*20)

1998年

 英田では安定した走りでなんと4回目の総合優勝を成し遂げた。*21)*22)

 コスモ石油がスポンサーから降り、ドリームカップ・ソーラーカーレース鈴鹿'89と改名された大会。公式プログラムには「(株)豊田自動織機製作所の従業員が休日等に集まって作り込んだ車です。今年こそ念願の80周以上走りたいと思います。」と順位よりは記録に拘るコメントが残されている。第一日目、第1ヒートは首位で折り返したものの、二日目にOSU、芦屋大学、金沢工大に抜かれ、トータル71周にて4位に終わった。*3)*23)*24)*24')

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 1999年以後、MARKSソーラーカーチームがソーラーイベントに出場した記録は残されていない。ワークスチームが撤退したポストDREAM時代を、プライベータの雄「ZDP」と共に盛り上げたMARKSソーラーカーチームは、企業内クラブチームで唯一、鈴鹿で総合優勝、1996年 FIA CUP カテゴリー1部門の首位を飾り、チーム名の由来通りソーラーカーの歴史に名を残したのであった。

 当時のドライバー氏による数少ない証言によれば、2007年現在も実車は保管されているとのことである。

年表
イベント
クラス
チーム名
車両名
結果
備考
1993
鈴鹿
Tomorrow
MARKS ソーラーカーチーム
Renjaku
総合5位
34周
ASRy横浜
D Class
MARKS ソーラーカーチーム
Renjaku
総合20位
Dクラス5位
 
1994
筑波
 
MARKS ソーラーカーチーム
Renjaku
順位無し
1周
英田
 
MARKS ソーラーカーチーム
Renjaku
総合優勝
47周
WSR
Free
TOYOTA AUTO 秋田
with TEAM MARKS
Renjaku
総合5位
Fクラス4位
27周
鈴鹿
Tomorrow
MARKS ソーラーカーチーム
レンジャク
総合15位
34周
1995
WSR
Free
MARKS ソーラーカーチーム
Renjaku
総合7位
Fクラス5位
34周
鈴鹿
Tomorrow
MARKS ソーラーカーチーム
レンジャク
総合3位
77周
1996
英田
 
MARKS Solar Car Team
Renjaku
総合優勝
37周
鈴鹿
Tomorrow
MARKS ソーラーカーチーム
レンジャク
総合優勝
77周
EV Stok
C-MARKS A
SEV
不出走
 
EV Open
C-MARKS B
RSEV
クラス5位
 
1997
英田
 
MARKS Solar Car Team
Renjaku
総合優勝
40周
鈴鹿
Tomorrow
MARKS ソーラーカーチーム
レンジャク
総合3位
74周
1998
英田
 
MARKS Solar Car Team
Renjaku
総合優勝
35周
鈴鹿
Dream
MARKS ソーラーカーチーム
レンジャク
総合4位
71周


MARKS Solar Car Team "Renjaku" 英田1996

資料

*1)「一般部門はMARKSソーラーカーチーム『Renjaku』号がV」, 朝日新聞, 1996.04.29.
*2) ソーラーカーレース鈴鹿'93 公式プログラム
*3) 鈴鹿歴代成績 
*4) '93朝日ソーラーカーラリーin横浜 公式記録
*5) '94朝日ソーラーカーレースinTIサーキット英田 公式記録
*6) http://www.jaf.or.jp/CGI/msports/results/race/result.cgi?race_id=1994000893
*7) http://www2.ogata.or.jp/wsr/results/94wsr.htm
*8) Achievement Report '94 World Solar Car Rallye in Akita
*9) FIA CUP ソーラーカーレース鈴鹿'94 公式レポート
*10) http://www2.ogata.or.jp/wsr/results/95wsr.htm
*11) コスモ石油カップ ソーラーカーレース鈴鹿'95 公式プログラム
*12) コスモ石油カップ ソーラーカーレース鈴鹿'95 公式レポート
*13) '96朝日ソーラーカーレースinTIサーキット英田 公式記録
*14) http://www.jaf.or.jp/CGI/msports/results/race/result.cgi?race_id=1900000065
*15) コスモ石油カップソーラーカーレース鈴鹿'96公式プログラム
*16) コスモ石油カップソーラーカーレース鈴鹿'96公式レポート
*17) '97朝日ソーラーカーレースinTIサーキット英田 公式記録
*18) http://www.jaf.or.jp/CGI/msports/results/race/result.cgi?race_id=1997010296
*19) コスモ石油カップソーラーカーレース鈴鹿'97公式プログラム
*20) コスモ石油カップソーラーカーレース鈴鹿'97公式レポート
*21) '98朝日ソーラーカーレースinTIサーキット英田 公式記録
*22) http://www.jaf.or.jp/CGI/msports/results/race/result.cgi?race_id=1998000100
*23) ドリームカップソーラーカーレース鈴鹿'98公式プログラム
*24) ドリームカップソーラーカーレース鈴鹿'98公式レポート
*24')「ソーラーカー8耐スタート、愛知『MARKS』が総合首位」,読売新聞・運動面,1998.08.09.
*25) ソネットシステムズ No.58(1994 Summer), p.109, ソーラーシステム研究所, 1994.07.10.

初稿  2007.02.18.
追記(1994筑波)  2007.03.04.
微改訂 2007.05.29.
表訂正(1995英田を削除)2007.07.18
 


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イワキ・ソーラーカー・レーシングチーム(イワキ)


 湖国滋賀県の企業内クラブチーム。

 株式会社イワキは、滋賀県甲賀市(旧甲賀郡水口町)北脇、国道1号線に面して本社工場を構える金属加工会社である。主製品はC型鋼の加工、パンチングメタル、それらの応用製品。ソーラーカーイベント参戦は1993年のソーラーカーレース鈴鹿からになる。県境を跨ぐことにはなるが、会社所在地から鈴鹿サーキットまでは国道1号線に沿って1時間強の距離にすぎない。*1) 以後、1997年まで関西開催のソーラーカーイベントに出場していた



 会社業務自体は、自動車部品、ソーラーカー構成要素とは直接関係していない。社内クラブと位置づけられているが、*3) ソーラーカー製作は社長の余東奎氏自らの指示とのことで、。社長自らドライバーとして鈴鹿サーキット、TIサーキット英田を何度か走っている。社員の懇親に加えて、会社自体の宣伝、および、求人上の期待があったようである。*4)


「RK・エキセル・イワキ」 ソーラーカーレース鈴鹿1993 試走会か? 画像提供 (太田龍男氏)

 初代ソーラーカーに「RK・エキセル・イワキ」の名が付けられているが、「RKエキセル」との関係については不明。二台目ソーラーカー「サン フューチュア」は存在感のある独特の外観で注目を集め、ソーラーカーレース鈴鹿への出場回数を追う毎に周回数を増やしていた。活動のピークにあたる1996年には、F1カーに見立てた車体のウイング部分にソーラーパネルを有する三台目ソーラーカー「フォーミュラウイング」を製作し、鈴鹿と英田にダブルエントリーした。翌1997年春の英田では過去最高位の10位に入ったが、夏の鈴鹿では前年より周回数を落とした。同年秋の朝日ソーラーカーラリーin神戸にエントリーし、新聞の予告記事にも掲載されていたが、出場せず、先の鈴鹿が最後のレースイベントとなった。ソーラーカー製作の中心的役割を担っていた人物の退社に伴い、活動を停止した模様である。


’94 朝日ソーラーカーレースinTIサーキット英田 画像提供 (太田龍男氏)


ソーラーカーレース鈴鹿1995 画像提供 (太田龍男氏)

イベント
クラス
車両名
周回数
総合順位
クラス順位
備考
1993
鈴鹿
today
RK・エキセル・イワキ
15
30
19
 
ASRy横浜
 
RKエクセルイワキ
 
19
9
 
1994
ASRc英田
 
サンフューチュア
 
12
4
 
鈴鹿
today
サンフューチュア
48
18
9
 
ASRy神戸
 
サンフューチュア
 
39
12
 
1995
ASRc英田
 
サン フューチュア
 
12
4
一般の部10位
鈴鹿
today
サン フューチュア
51
22
9
 
ASRy神戸
 
サン フューチュア
 
42
11
 
1996
ASRc英田
 
サン フューチュア
 
14
6
 
 
フォーミュラーウイング
 
16
-
 
鈴鹿
today
サン フューチュア
54
23
9
 
cosmo
フォーミュラーウイング
13
51
15
 
1997
ASRc英田
 
サン フューチュア
 
10
-
 
鈴鹿
today
サン フューチュア
46
32
13
 
ASRy神戸
 
サン フューチュア
 
不出場
 
エントリーのみ

 なお、車両名については、各イベント公式プログラムに記載された綴りを採用した。
 (公式サイトには「RKエクセルイワキ」とある)


資料

*1) http://www.biwa.ne.jp/~iwaki-co/iwk0.html
*2) http://www.biwa.ne.jp/~iwaki-co/iwk2.html
*3) ソーラーカーレース鈴鹿1993 公式プログラム 他、各イベントの公式資料
*4) 太田龍男氏インタビュー


初稿  2007.10.27.

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バカボンズ(キャノン)



ソーラーカーレース鈴鹿2003


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エネマックス(GS日本バッテリー)



ソーラーカーレース鈴鹿1992


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オリンパスRS(オリンパス)



OLYMPUS RS 「ORS-7」 ソーラーカーレース鈴鹿2006



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Team Sunlake (東洋紡)




1993 活動開始






1994 2号車:レーシング仕様









1995 3号車:軽量化


1995 朝日ソーラーカーレースinTIサーキット英田








1996 4号車


1996 朝日ソーラーカーレースinTIサーキット英田





1997 5号車


1997 朝日ソーラーカーレースinTIサーキット英田





1998




1999
 クラス優勝




2000











2001




2002







2003 ドリーム仕様






2004

2005





東京電力株式会社「電力館」5階 マジカルビジョン

 エネルギーと生活の関連を学ぶ教材中、ソーラーカーの例として「Sunlake NEO」が使われた。100個のアイコンから知りたい題材を選ぶという趣向。ちなみに自動車関係の他の題材には、ホンダの燃料電池車、富士重工の電気自動車、トヨタのハイブリッド車(プリウス)。乗り物全般では飛行機(ボーイング747)、船(船の科学館)、ロケット(スペースシャトル!!)。

確かにSunlakeには航空宇宙用の素材も使われてはいるのだが。

西暦年
イベント
総合順位
クラス順位
備考
1993
プロトタイプ
 
1994
新旭
総合4位
クラス2位
 
鈴鹿
総合16位
クラス7位
 
1995
英田
総合4位
クラス3位
 
鈴鹿
総合18位
クラス7位
 
神戸
総合14位
クラス6位
 
1996
英田
総合9位
クラス3位
 
鈴鹿
総合13位
クラス4位
 
1997
英田
総合6位
クラス3位
 
鈴鹿
総合17位
クラス6位
 
1998
英田
総合7位
クラス2位
 
鈴鹿
総合10位
クラス4位
 
神戸
総合14位
クラス優勝
 
1999
英田
総合2位
クラス優勝
 
鈴鹿
総合2位
クラス優勝
 
神戸
総合44位
クラス19位
ラリー競技リタイヤ
2000
湖東
クラス2位
 
鈴鹿
総合3位
クラス優勝
 
神戸
総合13位
クラス2位
 
2001
WSCC Malaysia
総合8位
 
鈴鹿
総合3位
クラス優勝
 
湖東
総合優勝
 
神戸
総合26位
クラス12位
 
2002
鈴鹿
総合6位
クラス優勝
 
神戸
総合19位
クラス2位
 
2003
鈴鹿
総合5位
 
2004
Phaethon2004
総合11位
 
鈴鹿
総合8位
 
2005
鈴鹿
総合11位
クラス4位
 
2006
鈴鹿
総合12位
クラス6位
 
浜松
総合5位
フリースタイル2位
 
2007
鈴鹿
 

表追加   2007.07.18
 

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