The Place in the Sun

三文楽士の休日  スペイン紀行編

Un Viaje a Espana



RENFE:スペイン国有鉄道のバレンシア駅舎


Introduccion

 2008年の8月から9月にかけて、スペインのバレンシアに一週間ほど滞在することになった。

 2004年の初夏、僕はペロポネソス半島の西岸から地中海に沈む夕日を眺めていた。4年後に、イベリア半島から地中海に登る朝日を迎えることになろうとは、想像だにしていなかった。

 今回はソーラーカーの海外遠征というわけではない。しかし、不思議なことに、何らかソーラーカーと縁があるのである。

 スペインに何をしにいったか?は横に置いておくことにして、一カ所に一週間滞在、週末から翌週末へというスケジュールの関係でフライトが上手く取れず、意図せずしてかなり余裕ある日程になった。目的地に近いホテルも取れず、宿泊地は目的地から20km以上も離れた辺境(観光地とも云う)で、毎日の移動だけでもちょっとした旅であった。加えて夏時間:夜の21時ころまで明るい上に、20時過ぎないとレストランが開かず、夕食にありつけないため、本来の用事が終わった後も数時間は街をブラブラせざるを得ないのだ。ホテルと目的地との移動の中継地点は周辺都市へのハブ的な位置にあり、同時に観光スポットであるバレンシア旧市街の起点でもあるスペイン国有鉄道の駅前だったこともあり、たっぷりとバレンシア情緒を味わうことができ、短時間ながらガウディに触れることも出来た。

地理
 バレンシア市は、スペインを構成する17の自治州の一つ、バレンシア州の州都。イベリア半島の東側、地中海に面し、マドリッド、バルセロナに次ぎ、スペインで三番目に大きい都市(人口約100万)である。

アクセス
 日本からの直行便はなく、往復とも関空から飛行機4機の乗り継ぎであった。イベリア航空は気まぐれで、毎度遅れるとともに発着ゲートもコロコロ変わる。マドリッド空港での乗り継ぎでは発着ゲート間をダッシュで移動しなければならなかった。

時差
 私が滞在した8−9月は夏時間期間中で、日本との時差は+7時間:日本より7時間遅く一日が始まる。時差ボケが残る体内時計に従うと超早寝早起きモードである。が、朝7時になっても外はまだ真っ暗。7時20分頃から東側の水平線が白み始めたかと思うと5分ほどで突然明るくなる。一方、西の山側に夕日が沈む夕刻(といっても20−21時)はジワジワと暗くなる。体内時計的には深夜就寝中だが、飲食店街が開き出すのはこの時刻。

言語
 バレンシア語。スペインの自治州は独立色が強く、各自治州毎に政府があり、それぞれ公用語を定めている。ヴァレンシア州の公用語は「バレンシア語」。北隣、バルセロナを州都とするカタルーニャ(カタロニア)州ではスペイン語ではなくカタルーニャ語が使われており、バレンシア語はカタルーニャ語の方言とされる。スペインの方言には、それぞれは複雑な歴史的、社会的な背景があり、日本の方言と一緒にしてはならないと言語学者は説く。スペイン語しか知らない人にはコテコテのカタルーニャ語は聴解できないが、書いてあればおおむね読めるという。「日本の方言とは異なる」とはいえ、無理に例えれば青森弁と薩摩弁ほどの違いかと想像する。私程度の語学力ではスペイン語、カタルーニャ語、バレンシア語を聞き分けることは出来ない。
 駅や美術館などの記述文はたいてい(スペルは大差ないのだが)バレンシア語とスペイン語の両方が併記されている。英語はホテルのフロントと空港の窓口以外では通じないと思っておいた方が良い。レストランのメニューに英語が併記されていると「ほっ」とするが、そういうところは要するに観光客相手の店な訳であるから、本当の地元料理を味わいたければ英語の通じない店に行ったほうが良い。


 最大の観光シーズンは火祭りがある3月。因みにバレンシア港を囲む市街地の道路を使って特設されたバレンシアF1サーキットでレースが行われたのが、残念なことに私が滞在する一週間前であった。
 地中海に面する海岸沿いは石英質の砂に覆われた美しい海岸。9月初めはまだまだ暑く、宿泊したホテルの滞在客の多くが夏のバカンス中だったのは間違いない。

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三文楽士の休日

Un Viaje a Espana

スペイン紀行編

第一稿 2008.09.15.
公開  2009.04.01.

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