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11:35 干拓博物館へ
一通り、全部の車両の写真が撮れたので、次は、今回の大潟入りのもう一つの目的:あこがれのジョナサンに会いに行くことにした。ロシア縦断を為したソーラーカー「ジョナサン」は、大潟村の干拓博物館に展示してある。
会場を抜け出し、またまた視界が届く限り真っ直ぐな道を大潟村役場の方向を目指してひたすら走る。大潟村周辺地図
目的地まで3km
目的地まで600m・・・・・距離計算が少々合わないが、細かいことは気にしない。
目的地の看板発見
11:50 干拓博物館到着
村の中心部はうっそうと繁る防風林に囲われている。木々の逞しさが干拓されてからの年月を物語る。防風林に遮られて見渡すことが出来ないが、干拓博物館はすぐに見つけることが出来た。
大潟村干拓博物館 入り口
入館料¥300、入り口を入ってすぐの所に・・・・・・・・・・
ジョナサンがいた。
直線主体のデザインだが、ゴツゴツ感の無いスタイリッシュなフォルム。
後方には従者のように小型ソーラーカーを従えている。
干拓前後の八郎潟の航空写真をバックにもう一枚
後輪一輪をチェーン駆動。後輪サスはスイング
アームだがスプリングの取り付け方が個性的
カウルは天然素材
なんと! 秋田杉と竹籤に和紙:すなわち「障子」構造なのである。
手ぶれは御勘弁。カウルを裏側から無理やり撮影すると、
障子構造がよく解る。 ナイフスイッチはご愛敬
ステアリングはバーハンドル。ブレーキも手で操作のようだ。
WSC1999に出場
風防はスライド式
後方に流れるラインもスマート
多結晶パネルと単結晶パネルが混在しているが、現役時
は単結晶パネル。多結晶に張り替えられた分は二代目の
「ラザルテ・ジョナサン」に流用されているはず。
太陽電池パネルが外してある所から覗き込むと
いにしえのEPSON製モーター
Mode Studio Q は、著名なヘア・デザイナーである Mr.Jona Sun の本業
フロントサイドの秋田杉に刻まれた「Jona Sun」
名前の由来は「カモメのジョナサン」らしい。
秋田杉のフロントノーズ
展示パネルには「ユーラシア横断」の文字
こちらが、その偉業「ロシアンジャーニー」の説明パネル
パネル左半分の拡大 パネル右半分の拡大
こちらはテールに貼られたオーストラリアのナンバープレート
全体のフォルムからはホクサンの「Phoebus III」に似ているが、
ボディの厚みは「Jona Sun」の方がずっと薄くなっている。
こちらは丸いヘッドライトがチャーミングな小型ソーラーカー
サイドには「大潟村ソーラースポーツライン」の文字
左側には「大潟村ソーラー課」の文字。公用車だったんだ!
「ジョナサン」の制作者は、Mr.ジョナサン=山本久博氏。モードスタジオQ代表、WSR創始者の一人であり、僕が初めて参加した2001年のソーラーカーレース:WSCC in Malaysiaのレースの準備段階から参画していたスタッフであり、ジョナサンによるユーラシア大陸横断「Russian Journey」というグランドツーリングを成し遂げておられる豪傑であらせられる。
レース終了後に頂戴した名刺の肩書きは
秋田県地球温暖化防止活動推進センター
特定非営利活動法人 環境あきた県民フォーラム
風の王国 PROJECT 理事長
かの日、ジョナサン氏は Russian Journey に出発する直前の貴重な時間を使ってマレーシアに立ち寄り、運命の瞬間に居合わせ、同行のTantony氏(特定非営利活動法人クリーン・エナジー・アライアンス代表 谷 惇(たに つとむ)氏)がそれを日記に記されたのであった。当時、ソーラーカー一年生であった僕は、誰が誰かも解らずに、ただ目の前の課題だけにココロを奪われていたのであったが。今日まで8年、ようやくご挨拶する事が出来た。
「いやあ、よく一晩で修理して復活されましたねえ」
と、しっかり覚えていて下さり、感激なのである。
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セクション4 火を噴く太陽神 へ
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仮公開 2009.09.00.
公開 2011.03.26.
Copyright Satoshi Maeda@Solar Car Archaeolgy Research Institute
太陽能車考古学研究所
2006.01.01