三文楽士の休日

Phaethon2004

ギリシャ・ソーラーカーラリー道中記

Antirrio

 




*** ソーラーカー 海を渡る! ***




 

2004年 5月 27日 木曜日 ラリー第4LEG パトラ〜デルフィ 109.94km+α

 本日の出発地点はコリンティアコス湾を挟んでパトラの対岸にある港町アンティりオ。Rion-Antirrion大橋はまだ完成していないため、フェリーで対岸まで移動しなければならない。フェリー乗り場までは、当然のように自走。サンレイク号は、ギリシャにも船便で来たわけだが、あくまでもコンテナに格納されての話である。ソーラーカーが、自分でフェリーに乗り込むなんて話は聞いたことがない。

フェリーに乗り込むサンレイク号 フェリー甲板にて。不運なドライバー氏は周囲が狭すぎてサンレイク号から降りることができない。

 

フェリー甲板にて。手前左から南台湾大、育英高専、ヘリオデット(独)、
OSU。舳先側、左からパトラ大(ギ)、フツラ(伊)、芦屋大TIGA

 

08:30から移動開始と予告されていたが、実際には8:00頃から動き出した。すこしはギリシャ時間が読めるようになってきたということか。一般車で混雑するフェリー乗り場では、少々緊張したが、乗ってしまえば揺れも小さく、ハンドブレーキと車止めだけでOK。快晴のコリンティアコス湾を横切るフェリーからの眺めは絶景かな絶景かな。とてもカメラの小さなファインダーには入りきらない。


 パトラの対岸 アンティリオに無事上陸

 

 

パトラ大のヘルメス号と並んだサンレイク号

 

09:45 対岸に到着。待機場所ではパトラ大と隣同士になり、お互いの車両を見てディスカッションすることができた。一昨日から急速に親密度があがっているパトラ大チームとサンレイクであるが、両者とも忙しすぎて、これまでは、他チームの車両を観察する暇なんて無かったのだ。。


ヘルメス号の前輪をチェックする平澤 サンレイク号を覗き込むパトラ大メンバー

 

11:30 スタート。 出発地点は港の一角 風が強く潮を含んだしぶきがソーラーカーを濡らす。出発直後のコースは、小さな港町のメインストリート。狭い商店街の魚屋や八百屋の前を、町の人に手を振られる中、ソーラーカーが走る。学校の前を通るときなどは大人気である。サポートカーからも手を振り、国際親善。


小さな港町の商店街を走る コリンティアコス湾の眺め

 

 「こんなに調子がよいと日本に帰りたくないですね」(太田)
「パトラで、他のメンバーが部品加工している間、一人で車の番をしていたときは
夢ならさめてくれ、日本に帰りたいって思っていたけどね」(平澤)

 

 道はコリンティアコス湾に沿っているが、山が海の手前まで迫っているため、道は登ったり、降りたり。景色がすばらしい。琵琶湖の景観を10倍したようなイメージ。海岸沿いにはところどころ海水浴場があり、少し休憩して水浴びでもしていきたい気分。「海がきれいだねー」とソーラーカーに呼びかけると、 「ガードレールしか見えないよー(高橋)」。しっかり写真とヴィデオに残しておいてあげよう。

 

第二サポートカーから第一サポートカーに「後方からFH-BochumチームのハンスGoが接近し、我々を追い抜こうとしているている。」との緊急連絡が入る。第一サポートカーは後ろの窓にベッタリと 「注意! 前方ソーラーカー走行中」 という表示が貼り付けてある上に、機材満載であるため、ルームミラーは何の役にも立たず、後方視界はゼロに等しい。 後ろ側の情報は第二サポートカーが頼りである。 予備部品のモーターを一緒に8時間かけてパトラからアテネまで取りに帰ってくれたFH−Bochumチームの邪魔をするわけにはいかない。道は曲がりくねって視界はあまり良くない上に、一般車の通行量も少なくはない。サポートカーからサンレイク号に「たとえ自分が道から落ちることになっても、ハンスGoに道を譲れ。」と指示が出る。

 

ようやく見つけた短い直線コースでハンスGoに道を譲る。

 

 道は上り坂に入り、山の中腹に残された古代遺跡デルフィを目指す。途中2箇所のSSをこなし、本日のゴール、デルフィのスポーツセンター(標高500m)に14:30に到着。デルフィ市から冷たいジュースが振る舞われる。車両の仮保管場所はバスケットボールのコートである。比較的地面が平らなのでタイヤの角度の調整を行っていると、オフィシャル氏が急に私の腕を掴んでこっちに来いという。何事か?とついて行くと、先ほどのジューススタンドでウゾ(ouzo)が振る舞われている。独特の香りのあるギリシャ焼酎。オリーブの実の漬け物をコリコリ囓りながら飲むのが正当流であるとのこと。おいおい、私はともかく、あなたはまだ仕事中なのではないのかな?。 先導ライダー達が暇そうなので、カリンバを披露。ウケた。


 

ギリシャ初の山田晴三流カリンバ奏法講習会

 

 16:00頃 デルフィ市長の挨拶とデルフィ賞の紹介があったあと、デルフィ遺跡へのツアーが案内される。SLを模したバスの定員は60人 早く乗れ早く乗れと半ば無理矢理乗せられて遺跡ツアー開始。予告より30分も早い。定刻に合流する手筈になっていた家族の皆さんとは離ればなれになってしまった。ギリシャ時間はプラスマイナス両方を想定しておかなければならないのが難しい。結局、奥様方は第二便で遺跡まで来ることができたのだが、置いてきぼりにされ角が生えていた奥様方にオトーサン一同必死にイイワケしてました。

前輪平行度の調整中 デルフィ遺跡の古代アポロ神殿跡

 

 ツアー終了後、車両保管場所になる麓の港町イテアまで自走による移動。明日の朝の出発は早く、充電している時間が無いため、ここで電力を使ってしまうわけにはいかない。幸い下り坂である。回生ブレーキをうまく使って発電しながら、必要最低限のエネルギーで走行する。ロケットスタートが専門だった高橋も、すっかり省エネ走行が板に付いてきた。港の一角にある車両保管場所への到着は日没直前であった。

  今日のSSは山間部の険しく曲がりくねった道。イタリアのフツラチームは転倒し、右前のボディと右前輪を損傷。ボディはともかく、右前輪の車軸が曲がってしまっている。ドイツのヘリオデットもクラッシュしたらしく、太陽電池パネルを損傷している。オーロラもモーターの調子が良くないらしい。Phaethon2004の参加チームは、いずれも名だたる強豪揃いであるが、流石にこれだけの長丁場になると、各チームとも疲れが見えてきているようだ。この日のサンレイクは、私が誤ってブレーカーを落としてしまい30秒のロス。ごめんなさい。

 

 ドリームカップ鈴鹿がスピードレースと化していることはパトラ大メンバーもよく知っていた。サンレイク号は、その鈴鹿で鍛えられてきた。ドライバーの腕も確かだ。SSでは、最高速110km/hr超、平均でも90km/hr前後のスピードである。実際、サポートカーで追跡するのも必死である。初日に走れなかったペナルティを差し引けば、3位争いに十分絡めるポテンシャルを持っている。しかしだ、上位2チーム:芦屋大と大阪産業大学のタイムはサンレイク号のタイムの7割ほど。なんと時速140km/hrである。毎晩、翌日のコースの下見にいっているとはいえ、ちょっとついては行けない世界に入りつつある感あり。芦屋大のドライバー氏は、「どうして、そんなに速く走れるのだ?」という質問に対し、「アクセル全開、ブレーキ踏まない」と答えてるとのこと。命は大切にしておくれ。

 

 この夜は、思い思いに港の海沿いの出店に繰り出した。エビもタコもイカも、みんなオリーブオイルでカラリと揚げられて出てくる。魚料理の価格は一桁ゼロが多い。へたに注文すると、とてつもなくデカイのが一匹丸ごと出てくるらしい。ラムチョップが美味。乾燥した草を食べてそだった羊は臭みがないという。食後のギリシャコーヒーは失敗。コーヒー豆の粉を使ったお汁粉である。甘党の私でさえ辟易する甘さ。宿泊したナフシカホテルは、ヨーロピアン・カントリー風の調度品で統一されており、私の好み。

 

デルフィ遺跡の古代競技場

 

 

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