三文楽士の休日

Phaethon2004

ギリシャ・ソーラーカーラリー道中記

 




*** パトラの光 ***




 

2004年 5月 24日 月曜日 21:30 パトラ大学 機械&空力学科 駐車場

 失意にくれる僕たちの前に、ギリシャの青年が二人現れた。地元ギリシャ代表 パトラ大チームの学生メンバー、ニコスとジョンだ。彼らは調子の良くないステアリング関係のパーツの改造に、これから実習工場に向かうという。事情を説明すると一緒に来いという。現物合わせのためにはモーターも運ばなければならない。台車は無いか?と問うより早く、彼らが重いモーター入りの木箱を抱えて小走りに歩き出した。実習工場で僕らを迎えてくれたのは、体重100kgを軽く超えるであろう巨漢のマスター・テクニシャン(機械実習工場の親方)のゲルギオス氏であった。旋盤を貸して欲しいと頼む僕たちに、巨漢に似合わぬ可愛い(失礼)笑顔のマスターは、僕たちを自分の部屋に連れて行き、「どんな部品が必要なのだ?」と問う。大田と高橋がラフスケッチを見せると、方眼紙を取り出し、自ら寸法を再確認しながら図面を引き出した。英語が全く通じないマスターにニコスとジョンが通訳。


マスターの工房にてシャフト加工を相談 旋盤加工中。背後のカメラはダッシュ

 




2004年 5月 25日 火曜日 01:00  パトラ大学 機械&空力学科 実習工場

 図面を引き終えたマスターは、自ら旋盤を操り、細かい部分は持ち込んだエール大のモーターに現物あわせしながら見事なシャフトを作ってくれた。すでに日付は代わり、1:00時を回っている。取材陣のダッシュチームも付き合ってくれている。途中でジョンがギロピタ(ローストポークと野菜と香草を薄いパンで巻いたファストフード)を差し入れてくれる。「社会人が学生におごって貰うわけにはいかない」と代金を払おうとしたが「ここはギリシャだ、僕たちに任せろ」と。全員、機械油にまみれた中での食事だったが、このとき食べたギロピタよりおいしいものは無かった。


マスターの工房にて シャフト完成記念写真

 

 グリファダにFH-Bocheum(ハンスGo)のモーターを取りに帰ったグループも帰ってきた。疲労困憊の中での往復420kmのドライブは8時間を要し、アテネでは道に迷い、最後は睡魔との戦いで竹原/下村が10分交代で運転してきたという。 森口の語学力は、ラルフとうち解けるのに、とても役だったようだ。彼らのモーターのダメージは回転軸のベアリング部分であり、回転子は外観上大丈夫そうだ。しかし、ここは安全策をとるべきだろう。動くことが確実な、エール大から借用したモーターをマスター謹製のシャフトを使ってサンレイク号に取り付けるという方針が採用された。作業完了は午前02:30。形だけ、ホテルに帰る。すでに03:00を回った。が、バッテリー補完が解除される日の出には、モーターのテストをしなければならない。結局睡眠時間は2時間足らずとなる。


深夜 パトラ大の駐車場でのモーター取り付け作業

 




2004年 5月 25日 火曜日 ラリー第2LEG パトラ〜オリンピア 119.2km

 朝06:00 行動開始。山から強い風が吹き下ろす。解除されたバッテリーを使い、エール大チームから借用したSCMー100型モーターのテスト。モーターは聞き慣れた音を出して、無事回ってくれたが、ギャップを最も離した状態、すなわち最高速仕様に調整されたままであった。平地でのスピードは出る代わりに、トルクは弱くなるため、スタートダッシュは効かず、登坂能力も低い。再調整したいが、残念ながら、必要な専用パーツが今は無い。


5月25日早朝 ホテルの駐車場からパトラ大学の方向。
山から海に向かって風が吹き下ろし、重い雲がパトラ大学の背後の山を覆う

 

 万が一の事態を想定し、FH-Bochum(ハンスGo)チームから借用した回転子を使わなければならなくなった場合に備えて、必要になる部品の加工を、これまた朝からずうずうしくパトラ大学チームのコストポロス教授(ジョージルーカスにそっくり)にお願いする。パトラ大チームを見送りに来ていたマスターが「まかせておけ」と気前よく作ってくれた。部品加工完了10:00。ギリシャ語が扱えたなら、通訳なしで感謝の気持ちを伝えることができるのに。


取り付けたモーターのチェック サンレイク号 スタート準備完了

 

Are you OK?」   「 Maybe ・・・」

 

 大急ぎでセットアップし。10:30に出走。昨日、ほとんど走れなかった僕たちにとっては、今日がラリー初日に等しい。昨日同様、不安そうに、後ろを気遣うクリスの先導で、おそるおそるスタート。ドライバーは昨日の雪辱に気合いが入る高橋。不安とは裏腹に、サンレイク号は快調に滑り出し、高速道路への立体交差の坂道もなんなく登り、時速70−80kmで巡航していく。 しばらく行くと、海岸線沿いに走る高速道路を降り、ここからペロポネソス半島中央部の山岳地帯を突っ切ってオリンピアに向かう難所に入る。昨夜、パトラ大メンバーに教えてもらった通り、路面の状態はかなり悪い。をたいをにたた 

陽射しは弱く太陽光入力は少ない。行く手の山は険しく、路面の舗装状態も悪い。


 

 


高速道路から降りる地点で道を間違え、途中ではぐれてしまった第二サポートカー(家族カー)は、自らラリー用のコマ地図を見ながらの走行しなければならない羽目になってしまった。目の前の坂道はとてつもなく急な坂に見える。天気はいまひとつで太陽光入力はそれほど大きくないだろう。エネルギータンクであるバッテリーを、過充電で1/3を失ったサンレイク号は登り切ることができるのであろうか?。行く手には古代ギリシャの神々が宿ったであろう険しい山々がそびえ立つ。


ラリー用コマ地図。 曲がり角や看板、特徴的な地形などの目印と、スタート地点からの距離が
与えれており、これを見ながら走る。全部で200頁。めくりながら運転するのは不可能なので
実際には、サポートカーからトランシーバーでソーラーカーに指示を出す。

先導ライダーも同じ地図を見ながら道案内してくれる訳だが、オートバイを運転しながら、
このマップを見るのも至難の技。実際には時々間違えそうになった。目印を一つ見落とすと、
たちまち迷子。看板はギリシャ文字なのでなかなかうまく読み取ることができない。

 

 家族カーの不安をよそに、坂道の途中で止まっているソーラーカーはいない。標高325mの峠を越え、本日最初の中間ゴール:SS3のスタート地点で僕たちはサンレイク号に再会した。ここまで登り切っていたのだ!。

 

 一日のコースは図のように3つに区分されており、それぞれの区分毎に規定時間が定められている。第二区間と第三区間の最初の部分には、限定された区間でスピードを競うSS:スペシャルステージが設けられている。

 通常区間は、一般車に混じって公道を走り、規定時間内到着すればペナルティなし。SSは、完全に一般車両からは隔離・閉鎖され、消防車や救急車が待機したクローズドなコースで競われる。SSでは第1サポートカーと先導バイクだけがソーラーカーに追従することが許されており、第二サポートカーは、別の道を先回りしてSS区間終了後に合流しなければならない。別の道を先回りしろ、といわれたって、そのための道案内や地図がある訳ではない・・・。 

 

僕たちにとっての最初のSS、高橋はこれまでの鬱憤を晴らすかのように、うなり音をあげて山道のコースを駆け上がっていった。幸い、山の中なので何本も道があるわけではなく第二サポートカーも無事合流。SS3を終えると、コースはそのまま登り坂に入り、さらに山を登る。空には相変わらず薄雲がかかり、太陽光入力は頼りない。登り坂では純粋に位置のエネルギーの増加分だけ確実に電力を必要とする。しかも路面は相変わらず悪く、タイヤの転がり抵抗がどうのこうのというレベルではない。残存エネルギーが気になる。 しかし、サンレイク号はゆっくりと着実に歩みを進め最高到達地点、標高763.9mまで登り切った。!


標高763.9mまで登り切ったサンレイク号

 

SS待ちの間にライダー達もコースの予習

 

SS4は上下左右に曲がりくねった山道。ここからは道は一本しかないので、第2サポートカーもソーラーカーの後ろを追いかけて走る。SSが終われば、後は下り坂なので、エネルギーは、あまり気にすることはない。高橋は時速100km近い猛スピードで過激にコーナーを攻め、必死に追いかけるサポートカーの中は荷物が転がりまわり、悲鳴に満ちていた。


古代ギリシャの神々が宿る山々の間を縫って走る。上下が激しい上に路面も悪い、
曇りがちで日射も弱く、ソーラーカーにとっては苦しい道だが、眺望は素晴らしい。

 

SS4を終えると、オリンピアへの下り道。回生ブレーキ(モーターを発電機として利用)を使用し、電力を蓄えながら坂道を下る。オリンピア遺跡の横を過ぎて、15:00頃、本日のゴール地点へ。他のチームの皆さんが拍手で出迎えてくれる。オフィシャルの皆さんも祝福してくれる。心の底から嬉しい。


オリンピアのゴール

 

 少し遅れてパトラ大チームも到着 車体がかなり重そうだったので坂道を登り切れるかどうか心配していたが、なんとか乗り切ったようだ。昨夜と今朝の感謝を込めて、今度は私たちが拍手で出迎える番だ。 彼らのソーラーカーの名はHERMES:ギリシャ神話に登場する俊足の神の名である。神々の使者であり、同時に旅人の守護神でもある。 ギリシャの神々は僕たちを見捨てはしなかった。

 

 電力の消費量は予想よりずっと少なく、わずかな充電時間で満充電まで復帰する(バッテーリー容量が2/3になっているので、あまり嬉しいことではないのだが)。夕刻には古代オリンピック発祥の地 オリンピア遺跡の見学ツアーも組まれており、それに参加する余裕もできた。昨日、一昨日も、歓迎の催しがあったらしいが、作業に没頭していた僕たちは、それすら知らなかった。もちろん知っていても参加している余裕は無かったが。

 

 古代オリンピア競技場のスタートライン

ゼウス神殿跡

 

夜はオリンピアの街に繰り出し、久しぶりのまともな食事。思えば、昨日の朝から、この夕方まで、まともに食べたのはマスターの工房で差しれて貰ったギロピタだけだったのである。

この日、オリンピアでは、各国のソーラーカー組織の代表者が集まり、オリンピック毎にソーラーカーレースを開催しようという宣言文書への署名が行われた。僕たちは、いわば第一回ソーラーカーオリンピックの出場者ということになった。改めて走れたことに感謝する。

 

Ancient Olympia

 

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