三文楽士の休日

Phaethon2004

              ギリシャ・ソーラーカーラリー道中記

*** 序章 ***

 

2002年 7月28日 日曜日 17:20  Dream Cup SUZUKA 2002

 ドリームカップ鈴鹿ソーラーカーレース。チャレンジクラスの表彰台に立ったチームサンレイクのドライバー高橋と平澤の耳元にプレゼンターであるJAFの役員氏が「是非、ギリシャを目指して欲しい」と囁いた。このときすでに日本ではJAFが窓口となり、水面下でギリシャソーラーカーレースPhaethon2004への準備が始まっていたのだ。

 

Dream Cup SUZUKA 2002

 

 軽量かつ大容量のリチウムイオンポリマー電池と高変換効率のガリ砒素太陽電池が、ソーラーカーレースを、これまでの省エネルギー駆動とエネルギー管理を競う戦いから、十分な電力を背景にしたスピード競技へと変えつつあった。格闘技に例えるなら、中量級に相当するチャレンジクラスであることに拘り、軽量化と低空気抵抗化の極限を目指すことにより、無差別級に相当するドリームクラスと渡り合ってきたチームサンレイクであるが、太陽電池総発電量が制限され、80kgもの鉛バッテリーを搭載せざるを得ないチャレンジクラスのスペックのままではPhethon2004招待枠に入ることは絶望的である。僕たちは一か八かの可能性に賭け、チャレンジクラスからドリームクラスへ鞍替えすることを決意した。

 




2003年 7月 27日 日曜日  Dream Cup SUZUKA 2003

ドリームカップ鈴鹿2003。太陽電池搭載量を増やしながらも、サンレイク号のコンセプトである低空力追求型の流線形シルエットを保った新型ボディを作製し、バッテリーをリチウムイオンポリマー電池に交換した新生サンレイク号は、ドリームクラス中、最低の太陽光発電容量であったが、監督の嘆願により5チームにまで拡大された招待枠になんとか滑り込むことができた。

それから7ヶ月間、長距離のラリー競技向けに緩和されたバッテリー搭載容量に合わせてリチウムイオンポリマー電池の増設がなされ、さらに、悪路が予想される一般道を走るために足回りの改良と車体の補強がサンレイク号に加えられた。

スリムな2002年型(チャレンジクラス) 少し太めになった2003年型(ドリームクラス)



2004年 3月 29日 10:00-15:00  名古屋港

 ギリシャは遠い。極東から参加する日本チームにとって最大の課題は車両の運搬である。苦肉の策として、東海大翔洋高校OBを中心とするファルコンチームと共同で一台のコンテナに二台のソーラーカーを積み込むこととした。積みこみ地は静岡と滋賀の真ん中である名古屋港。前日まで車両改良作業は続き、名古屋までの往路でもDIYショップを探して資材を買い足し、さらには、現地で応急充電台を組み立てるための鉄パイプの切断とヤスリがけ作業を行いながらの運搬という絵に描いたような泥縄作業であった。デリケートなソーラーカーを二段積みする作業も困難を極めたが、ともあれ無事コンテナへの格納は完了。ファルコン号とサンレイク号は一足先に仲良くアテネへと旅だっていった。

 

コンテナの中に、建築現場用鉄パイプでジャングルジムを作り、上段にファルコン、中段にサンレイク、
その下にタイヤや工具類を詰め込む。文字にするとこれだけだが、実際には5時間近くかかった。

 

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