Solar Car Archaeorogy Research Institute
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ソーラーカーの歴史
(太陽に魅入られた者達の物語)
イントロダクション

Introduction for the History of the Solar Powered Vehicles


(1)まえがき と 御挨拶
(2)ソーラーカー前史(太陽電池開発史)
(3)最初のソーラーカーは?
(4)太陽電池開発年表

■■■ まえがき と 御挨拶 ■■■

 古くなったソーラーカーからは太陽電池パネル、モーター、電気回路、機構部品類が取り外され、新しいソーラーカーを製作するために再利用される。映画初期の作品の数々が、当時高価だった硝酸セルロース製の透明フィルムを再利用するために失われてしまったのと同様、博物館等に展示されている一部の歴史的なソーラーカーを除き、多くのソーラーカーは、その実体を後世に残すことは無い。

 1989年、名古屋デザイン博に併催されたソーラーカー・デザイン・グランプリ、同年の朝日ソーラーカーラリー以後、多くのソーラーカーイベントが日本で開催されてきた。しかしながら、今日まで継続して開催されている鈴鹿ソーラーカーレースと、ワールドソーラーカーラリーin秋田を除けば、ほとんどのイベントの記録は莫大なる情報の山に埋もれてしまい、参加チームのウエッブサイトや地方新聞の記事に、その断片を伝えるに過ぎない。

 20世紀の偉大なる先人達の足跡を辿ろうとしたとき、私が行き当たったのは日本のソーラーカーの歴史や、開催されたイベントに関するまとまった書物やウエッブサイトが極めて少ないという現実であった。ならば自分でと考え、以来、ウエッブ、新聞記事、雑誌、文献、成書等を集め、それらの記録の断片をつなぎ合わせて、過去に行われたイベントの全体像を再現してみようという作業に取りかかった。作業を進めるに連れ、それが途方もなく膨大な作業になりそうなことに気が付いた。土器の断片や、柱の跡などの限られた情報から、当時の人々の営みを把握しようとする考古学がそうであるように、事実の記録と推量、推測、想像とをつなぎ合わせて組み立てたストーリーは、新しい事実が明らかになると脆く崩れ去り、また新に土台から積み上げ直さなければならない。

と、いうわけで

 本来、完成させてから公開したかったのですが、かような状態に付き、いつになったら完結するかまったく見当がつきません。したがいまして、本サイトでは、まとまった都度、部分部分毎に公開していこうと考えております。
 なお、本サイトは、雑誌、新聞、書物などの刊行物、ソーラーカーイベント関連の公式資料、ならびにウエッブサイト等、既に公開されている情報と、御本人の承諾の元、提供頂いた資料、直接お聞かせ頂いた情報を元に構成されています。文中、敬称を略している場合があります。予め御了承ください。浅学貧聞につき、錯誤、勘違いなど多々あろうかと思いますが、遠慮無く御指摘、御指導の程、お願い致します。また古いイベントに関する資料、記事などお持ちでしたら、是非とも御紹介頂きたく重ねてお願い申し上げます。

2006年1月 前田郷司@太陽能車考古学研究所


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■■■ ソーラーカー前史(太陽電池開発史) ■■■


 教科書的には1839年、仏蘭西の若い科学者エドムント・ベクレルが光起電力の発見者とされている。これは、電解液に浸した一対の金属電極板の一方に光を当てると、金属板間に電圧が発生する、というものである。発見者は当時19歳。湿式太陽電池の遠いご先祖と解釈することもできなくはない。放射線を発見したベクレルは別人。*1)*2)*3)

 固体では、1876年、英国にてW.G.アダムスとR.E.デイがセレンの光電変換効果を発見した。1883年には米国の発明家チャールズ・フリットがこの原理を用いたセレン光電池を開発。カメラの露出計などに使われたセレン光電池の原型である。*1)*2)*3)

 1918年、今日のシリコン単結晶成長に使われている引き上げ法が、ポーランドのチョクラルスキーにより提案された。*1)*2)*3)

 1947〜1952年にかけて米国AT&Tベル研究所にて、半導体PN接合に関する実証実験、理論構築、特許出願がなされ今日の半導体の基礎が築かれた。さらにベル研究所にて、1954年、G.M.ピアソン、D.M.チェーピン、およびC.S.フラーが変換効率4.5%の単結晶シリコン太陽電池を開発し学会誌に投稿した。変換効率は数ヶ月後には6%にまで改良された。GaAs太陽電池も同時期に開発されている。*1)*2)*3)

 半導体技術を独占しようとしたAT&Tの野望は独占禁止法によって阻まれ、AT&Tは半導体技術を広くライセンスアウトしなければならなくなる。太陽電池技術もライセンスアウトされ、はやくも1955年にはホフマン・エレクトロニクス社が出力14mW、変換効率2%の太陽電池の販売を開始している(価格は$25!)。*3)*4)

 1ワットあたり、$1800という価格は民生用にはとうてい使える物ではなく、太陽電池の利用は軍用、宇宙用等の最先端技術分野に限られていた。1957年10月04日、ソ連が世界初の人工衛星スプートニックを打ち上げたことにショックを受けた米国は、海軍が開発していた多段ロケットに、太陽電池を動力とする人工衛星ヴァンガード1号を乗せ12月06日に打ち上げようとしたが、打ち上げ直後にロケットが爆発して失敗。翌1958年1月31日に、今度は陸軍が開発したロケットを用い、エクスプローラー1号の打ち上げに成功し米国は、なんとか面目を保った。陸軍と海軍の内輪もめによりソ連に先をこされた米国が、NASAを設立して宇宙開発を軍から切り離したのはこの騒動の直ぐ後である。*5)*6) 世界初になるはずだった太陽電池搭載人工衛星は幻に消えたが、二台目は太陽電池から電力を得て112日間動作し、宇宙空間におけるエネルギー源としての太陽電池の有用性が実証された。

 日本ではシャープ(株)が1959年から太陽電池の研究に着手。1963年に最初の国産太陽電池を開発し、1966年には長崎県尾上島の灯台にシャープ製の当時(地上では)世界最大であった242wattのソーラーパネルが設置された。 *7)*8)

 1971年には通産省が太陽電池のクリーンエネルギーとしての側面に着目して調査に着手した。日本経済が成長一本槍から環境調和に少しだけ向きを変えようと舵を切りかけたとき、1973年のオイルショックが日本経済を襲った。第4次中東戦争勃発により石油価格が大幅に値上がりし、アラブ産原油に依存していた日本の経済と産業は大きな打撃を受けた。*9)
 翌1974年、通産省工業技術院、石油代替エネルギー開発を促進するサンシャイン計画開始。太陽電池の研究開発には日立、東芝、NEC、シャープ、松下電器、東洋シリコンの6社が参加した。*10)
 シャープは、Tyco社から技術導入していた京セラと共にFEG(リボン結晶)法を工業技術院に提案したが却下され、民間主導でリボン結晶の実用化を推進するためにシャープ、京セラ、松下電産、モービル(米)、タイコ・ラボラトリーズ(米)の5社にて「ジャパン・ソーラー・エナジー社(JSEC)」を設立した。リボン結晶太陽電池は京セラにより商品化されたが、変換効率に劣ったため、京セラは1982年の多結晶太陽電池量産開始とともにリボン結晶太陽電池の生産を止めた。*10)*11)*12)*13)

 アモルファスシリコン太陽電池は1976年に米国で開発され、1978年にはサンシャイン計画に組み込まれた。代替エネルギ開発に関わる予算規模が米国の1/7に過ぎなかった日本は、太陽電池の研究をアモルファスに絞った。シャープ、サンヨー、鐘淵化学(現カネカ)が量産化に成功し、1980年前後に各社から発売されたソーラー電卓は、まさに太陽電池の民生化を象徴する商品であった。1980年前半には夢の素材としてもてはやされていたアモルファスシリコン太陽電池に関する研究開発は、シリコン単結晶の価格が低下すると共に相対的な価格優位性を失いつつあり、シャープが事業をキャノンの売却して撤退、そのキャノンも後にアモルファス太陽電池の製造を休止することになる。*14)*15)*16)
 サンシャイン計画における太陽電池開発の詳細については、文献*9)*10)を参照されたい。
 1980年には太陽電池を含む石油代替エネルギー開発を担う組織としてNEDO「新エネルギー開発推進機構」が設立された。*17)

 このころには工業製品としての単結晶シリコン太陽電池の変換効率は15%程度に達しており、世界各地に太陽光発電の試験プラントが設置されていた。手を伸ばせば届くようになった太陽電池を用いて電気自動車を走らせようという試みが世界各地で行われ始めていた。こうして私たちは、1982年12月19日、ハンス・ソルストラップとラリー・パーキンスが伝説的な豪州大陸横断旅行に出発した日を迎えたのである。

資料
*1) http://www.pvresources.com/en/history.php
*2) http://www.geocities.com/semnews/milestones.html
*3) http://inventors.about.com/library/inventors/blsolar2.htm
*4) http://www.ecopo.ec.kagawa-u.ac.jp/tetsuta/semicon/semicon1.html
*5) http://ncst-www.nrl.navy.mil/NCSTOrigin/Vanguard.html
*6) http://www.californiasciencecenter.org/Exhibits/AirAndSpace
  /MissionToThePlanets/Explorer1/Explorer1.php
*7) http://www.sharp.co.jp/sunvista/about/history.html
*8) http://sharp-world.com/corporate/info/his/h_company/1963/index.html
*9) 川鉄テクノリサーチ株式会社,「国家プロジェクトの運営・管理状況分析調査報告書 I」,2001.03.
  http://www.meti.go.jp/policy/tech_evaluation/ e00/01/h12/h1303i29-1.
*10) 島本実,「ナショナルプロジェクトの制度設計―サンシャイン計画と太陽光発電産業の生成―」,
  一橋大学博士論文要旨,1998. http://www.cm.hit-u.ac.jp/kyouiku/mcm/thesis/shimamt1.html
*11) http://www.kyocera.co.jp/prdct/solar/spirit/history/75-81.html
*12) http://www.kyocera.co.jp/prdct/solar/spirit/history/82-86.html
*13) http://www.nhk.or.jp/projectx/184/index.htm
*14) http://www.dentaku-museum.com/calc/calculator/first/solarcell/solarcell.html
*15) http://www.sanyo.co.jp/clean/solar/hit_e/index_e.html
*16) http://www.kanekaeng.co.jp/solar/index.htm
*17) http://www.nedo.go.jp/english/index.html

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■■■ 太陽電池開発年表 ■■■

太陽電池開発と初期のソーラーカー

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TOYOTA RaRa II 琵琶湖岸にて


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