The Place in the Sun

三文楽士の休日

ABU DHABI SOLAR CHALLENGE 2015 and WORLD FUTURE ENERGY SUMMIT

ADSC2015 阿布達比太陽周走記/THE ARABIAN SOLAR RALLY ROAD




第2章 アブダビへの翼
Section 2 Flight to Abu Dhabi


Day 0 (20150110)   世界の屋根を越えて   Beyond the Pamir
Day 1 (20150111)   ヤス島の異邦人   A Foreigner in Yas Island




Day 0 世界の屋根を越えて Beyond the Pamir

2015年01月10日 日本 (10.Jan.2015, from Azuchi Town to Narita International Airport/Japan)

In that morning, it was sleet. And the weather was gradually changed to snow. I received a updated new rally route plan in late last night. Abu Dhabi was confused just before the event. I took railway to Narita International Airport from Azuchi town, and flight to Abu Dhabi by Etihad Airways.

 目覚めたときの雪交じりの雨は 9時過ぎには牡丹雪に変わっていた。

 昨夜遅く 新しいスケジュール表が届いた。「また変わるかもしれないけどとりあえず」って書いてある。今日は一体何が飛んでくるかな?と、家を出る直前まで恐る恐るメール端末を睨んでいたが、現地はまだ未明、今のところ静かだ。FaceBookには、世界各国のチームが空港から発信したらしき画像が飛び交っている。

14:20 安土駅 家族に駅まで送ってもらい、車上の人。



14:58 米原駅から「ひかり524号」に。

 プラットホームは小雨まじりの冷たい風。伊吹山は雲にかくれて全く見えず。だが名古屋まで来ると快晴、浜名湖越しに富士山が見えるくらいに空気が澄んでいる。



"Solar Arc" by Panasonic (formerly Sanyo Electric)



Lake Hamana



Mount. Fuji viewed from the Shinkansen



Tokyo Tower

North side of the Japanese archipelago is snow, south side is sunny. It is typical winter weather in Japan.

17:10 東京駅着 駅構内の両替所にてディルハムへの両替を済ませておく。 (JR Tokyo Station)

18:03 成田エクスプレス47号 東京駅発
19:00 成田空港 第一ターミナル駅に到着。 (Narita International Arport Tarminal 1)

 国際線の受付は4階。ETHIHAD航空のチェックインデスクは・・・・・・一番奥の「J」
 受付の列に並んでいると、なにやら見覚えのある後ろ姿。出国手続きを済まし、免税店を横目に見ながら南ウイング37番ゲートへ。ここでも見覚えのあるヘアスタイル。

 

Mr. Ikegami (Zero to Dawin Project) and Mr. Mise (Ashiya University)
They will join to Tokai University Team

 東海大チームに合流予定の世界屈指のソーラーカーデザイナーZDPの池上氏と芦屋大学二代目トップガンドライバー三瀬氏も同じ成田−アブダビ直行のエティハド航空EY871便に乗ることになるらしい。東海大チームの多くは昨日の同じ便に乗っているはず。広島チームと沖縄チームの関係者らしき顔は見あたらない。この日、この便に乗る関係者は僕含めて3人のようだ。

20:47 搭乗 (bording)



21:20 離陸 (take off)

 飛行予定時間は約12時間50分、時差が5時間あるので現地到着予定は午前5時過ぎ。搭乗率は8割くらいか?、複数の椅子を使って横になるのはちょっと無理。肩が凝って、あまり眠れない。頭痛までしてきたのでタウリンペレットとアリナミンEXPLUSを服用。到着前から体力減退を感じ、少々滅入る。これから10日間、大丈夫かな?



 海外経験はソレナリにある。技術畑の仕事、国際標準化の会議、それにソーラーカーレース。仕事で行くときは同僚と一緒だし、国際標準化の会議では日本代表団の末席の一員としてだ。ソーラーカーレースでは世界で一番頼れる仲間達と一緒だから怖いモノは何もない。しかし今回は、成り行きで引き受けてしまったものの、今更だがインスペクター(車検官)なんてやったことがない上に、20人のインスペクター中、日本人は僕一人だ。



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 年末に

「現地の警察から『公道を四日間も使うのはけしからん、三日間にしろ。』との圧力があった。」

 という話が流れてきた。
 この時期にいったいぜんたい、どうなっているんだろう。ひょっとして袖の下が必要な世界なのかな? 始まる前から口角とばしてもしょうがあるまい。大会のパトロンはアブダビ首長国の皇太子殿下だ。滅多なことはあるまい。そう楽観して正月気分に戻ったのがほんの10日ほど前だ。

 事務局のゲイルから、少々慌てたニュアンスのメールが飛んできたのは、正月明けの仕事が波に乗り始めた頃だった。コースに予定していた道路が工事中で使えない。ただいまISFがコース変更を検討中、正式に決まったら再度案内するから・・・・という、中途半端な内容だ。



ADSC2015 Original Route Plan (当初案)

 地図を広げてコースを確認してみると、問題の道路「E11」はアブダビから海岸線を西に向かって走る幹線道路だ。当初案の本戦1日目はこの道路を使って西側のアルファーマという街のミルファホテルまでの往復約300kmのコース、道の左右に海岸と砂漠が位置する絶景が楽しめそうだと期待していたコースである。この道の代わりになる(概略平行に走っている)道なんてのは存在しない。地図で見る限り何もない褐色の土地だ。

 いったいどうするんだろう?

 次に来たのは1月9日の昼過ぎ。大会幹部に宛てたメールの転送だった。新しいコース・・・・・というより新しいスケジュールは、と言い換えた方が適切そうだ。
・1日目の海岸線を走るコースはバッサリと削られ、元々2日目に予定されていたアブダビから東のアルアインを巡るループコースを1日目に繰り上げ。
・2日目は、早朝にトランポで砂漠の真ん中にあるシャムス(太陽熱発電施設がある)までソーラーカーを輸送し、そこを起点に砂漠を南北に往復する折り返しコース。その晩は大会主催者がシャムスに準備する大テントに泊まり:つまり砂漠泊が1日、前倒しされ、
・3日目は、同じくシャムスを起点に西側に往復するコースで、ゴールは起点のシャムス。レースはそこで終了し、夜の間にソーラーカーをトランポでマスダールシティ(アブダビ近くの人工都市)まで搬送。
・4日目のレースは無しで、WFESの開会式に向けてのソーラーカーパレードのみ、
 と、いう内容だ。早朝、深夜のトランポ輸送 そう、まるでマレーシア=僕のソーラーカー原点の再来である。この時点で現地入りしているスタッフは半数にも満たないはず。てんやわんやな様子が行間から伝わってくる。

他にも
・WFES入場のセキュリティが厳しいのでパスポートのコピーと顔写真を送れだの、
・レンタカーを借りる手続きが、予想していたレンタカーカウンターじゃなかったとか、
・空港に迎えに行くスタッフの予定がゴチャゴチャになってしまったので、初対面でも関係者と識別できるように「ソーラーカー」関係者と解る格好をしてこい。
だのといった連絡が、いよいよ日本を発とうという時に矢継ぎ早だ。

 もちろん、第一回目の大会の全てが計画通りに進むなんて、はなっから思ってはいなかった。それにしても、直前にコースと大幅なスケジュール変更なんてのは前代未聞だ。現地はてんやわんやだろう。そして半日後には僕自身も、その混乱(混沌)の中に巻き込まれているのだろう。

 何が、僕を待ちかまえているんだろうか。

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 身体は、すでに疲労を訴えているが、ココロは始まる前から不安と高ぶりがコンプレックスして、結局の所、眠れない。

 夜間飛行なので窓の外は真っ暗だが、ときおり下界の夜景が見える。条里のある都市は北京だろう。



Beijing

 EY871便:エアバスA340-500機は、タクラマカン砂漠の北端になる天山山脈に沿って西に進み、パミール高原を越えてパキスタン上空を通過、オマーン湾に入り、



アラビア半島東端をオマーン側から乗り越えてアブダビ空港へ。



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Day 1 ヤス島の異邦人 A Foreigner in Yas Island

(会場準備とレジストレーション HQ Setup and Team Resistration)


2015年01月11日(日曜日) アブダビ国際空港 (11.Jan.2015., Abu Dhabi International Airport)

04:23(現地時刻)着陸。予定より50分ほど早く到着。



05:12 入国手続きを済ませ、東海大と合流する二人とは空港出口で別れて出迎えを待つ。・・・・が、そもそも誰が迎えに来るのか知らされていないし、知らされたとしても初対面の外国人である。ソーラーカーっぽいシャツを着ていそうな人物を捜すが見あたらない。



 とりあえず、事務局のゲイルにメールしようと空港wifiへの接続と格闘。

05:45 やっとメールが繋がり、「空港で待ってるよ」と連絡しようとしたら、出迎えのハラドから、05:07 金の駱駝の近くで待っていると先に連絡が入っていた。あれまあ、とはいっても初対面の外国人なので、誰だか解らない。恐る恐る声をかけてみるとアタリ。すぐ近くに居たのに30分以上待たせてしまった。どうも私の嗅覚は日本人のソーラーカー関係者しか嗅ぎ分けれないようだ。



06:15 Centro Yas Island by Rotana

 ハラドにホテルまで送ってもらい、フライングでチェックイン(ホントは午後のはず)。



 さて部屋に入ったものの・・・・今日の予定を聞き逃した。何時に何処にいけばいいんだ? スケジュール表には「8時からHQ(本部)と車検場の準備」としか書いていない。だとすると7時台にホテルロビーに集合だろう。そもそも面識ある人は一人もいないのだ。

07:00 ホテルで再びwifi接続と格闘。シャワーくらい浴びたかったが諦めてロビーに行ってみるが、それらしいグループはいない。レストランに(はいっていいのかなーーーホントは明朝からだよなーーーと遠慮しながら)入ってウロウロしてみるとISFのシャツを着た巨漢を発見。実行委員長のダン・エベーレ氏に間違いない。



自己紹介して一緒に朝食。彼からは

 「ヒロシマとオキナワの車両はどうなってる?」
 「どちらのチームにも知ってる人はいるけど、実車見てないし詳しくは解らない。」

 なにやら心配の種になってる様子だ。HQはYMC(ヤスマリーナサーキット)に設置。08:30ロビー集合して向かうとのこと。

 食事を終えて一度部屋に戻ろうとすると、キムヒデ発見。



 「あれ?東海大チームはここに泊まり?」
 「レースを見に来たの?」
 「いやいや、車検の検査員:インスペクターなんですよ。」
 「あれまあ」

 しばし、情報交換。ダン氏はアタカマにも来て「アブダビの車検にもきて厳しくするぞー」と宣言していたそうな。

「鈴鹿仕様だと、電気系を全部作り替えないと無理。WSC仕様でも、かなりがんばらないと難しい。」

 レギュレーションは世界で一番厳しいASC規則書がほぼそのまま流用されている。特に米国ではソーラーカー初期にバッテリーにまつわる事故があったせいか、電気系の規則が非常に厳しい。メカ系もブレーキの所は解りにくいし、シート角度の規定もあるし、ともかく鈴鹿とは別世界だ。

08:30 ロビー集合

 ひょっとしたら、ダンさんが他のメンバーに紹介してくれるのかナー、などという甘い期待は一瞬で消え、

 「集まったか? じゃあ出発だ。」

 の一言で数台の車に乗り合わせて出発。技術スタッフに日本人は僕一人、豪州人がポール一人、オンロード担当のハラドはエジプト人、他は全員米国人で、ほぼASCの運営スタッフがそのままセットになっている様子だ。こりゃ、気を付けていないと、置いてきぼりにされちゃいそうだ。



08:45 "Solar HQ" Yas Marina Circuit Team Villa 5



 YMCに到着。まずは米国から到着していた荷物を荷ほどき。荷物には「IEF(Innovators Educational Foundation) 」の文字。IEFはASC(American Solar Challenge)とFSGP(Formula Sun Grand Prix)を運営するNPOだ。荷物の中身は、車検に使う道具類、イベント車両に張るステッカー(マグシート)、レース運営に使う手旗類、などなど。ここにソーラーカーレース運営のノウハウが詰まっているのだ。



 ソーラーカーレース実施の実働部隊として、ホームグラウンドを離れ、さらに10日以上の期間、独立して、まとまって行動できるのがASC実行部隊=IEFしか無い、ということなのだろう。ソーラーカーレース鈴鹿の実働部隊は、鈴鹿サーキットの職員とJAF等の主催団体メンバーによるテンポラリーな混成部隊。秋田(ワールド・グリーン・チャレンジ)はCEAというNPO法人が中心になっているが主力は地元有志を中心としたヴォランティア集団。おそらく豪州のWSCもそれに近いのだろう。

 しかし、IEF(ASC)にしても、常設集団であるわけではなく、普段メンバーは皆それぞれに仕事を持っている。見渡したところ半数程度はすでに現役をリタイヤした古株(失礼)のようにお見受けしたが、現役バリバリであろう年代層も少なくない。ほとんどのメンバーは学生時代にソーラーカーチームに在籍し、大規模なイベント(ASCないしWSC)を体験しており、社会に出てから、あるいは引退してからイベント運営側に参加しているようだ。

 毎年の米国でのソーラーカーイベントの度に集まって大会運営を担い、さらに遠い異国のソーラーカーレース運営のために号令をかければ集まれる人材がこれだけいると云うことである。米国の懐の深さを感じた。日本はまだまだ敵わない。



 さて、荷物を解包し、適当に机と椅子を並べてHQの準備は一応完了。車検場の準備も、機材を運んで机と椅子をいくつか並べるだけだ。午後にはチームの受付(レジストレーション)が始まるが、そのあたりは女性メンバーが仕切っている様子でテキパキと準備を進めて行く。おおよそ、誰が何をするか暗黙の了解があるようで、特に誰かが全体を指揮したり指図して回ったりなんてことは一切無い。結局僕がしたのは机を運んだのと、余った段ボールでゴミ箱作っただけだ。

 

 ソーラーHQ設置。青いポロシャツは「イベントチーム」で大会の運営面
を担う。僕たちは「テクニカルチーム」の黄色いポロ。車検時はインスペクター
(検査員)、競技が始まると審判員として活動し、大会の技術面を担う。




 米国人メンバーどうしで交わされている会話は米スラング混じりのタメ口英語なのだろう、早口かつ砕けすぎていて全然ついていけない。



会話もままならない僕に、いったいどうやって、この中に入っていけと云うんだ?




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12:05 Al Raha Mall

「サトシ、なにか要る物はないか?」

 あまりに手持ちぶさたに見えたか、あるいはよほど暗い顔をしていたのか、ダン氏が声をかけてくれた。昼食の買い出しに行くという。ついて行くことにしよう。ヤス島を出て、Al Rahaモルへ。ダン氏は片手でiphoneを操作してナビを見ながら運転している。



 「実は、左ハンドル車を運転したことがないんです。」
 「そうか、俺は日本で(右ハンドル車)運転したが、ホッカイドーとアキタは大丈夫だったがトーキョーはクレイジー過ぎて無理だった。」

 日本の免許とパスポートがあれば、現地で運転OKということで事前にコピーを提出してはいたが、左ハンドル車も右側通行の道路で運転したことも無い。今のところ、ハンドルを握らなければならない場面は無さそうだ。



アル・ラハ・モールまでは車で10分ほど(迷わなければ)
食品スーパー、電化製品、衣料品、玩具や等々+レストランがある。



カートに山盛りの食料と水のボトルを買い込んでHQに戻る

 HQが置かれたチームヴィラは3階建てで、一階に大きなスペースが二部屋(一部屋を受け付け会場に、もう一部屋はスタッフルームに)とキッチン、2−3階は各4部屋ほどの個室に別れている。二階にはバスルーム(英国式のシャワーのみ)もある。キッチンはちょっとしたレストランを開業できそうなくらい広くって、業務用クラスの冷凍冷蔵庫に食洗機、さらには圧力クッカーまで付いている。



チーム・ヴィラのキッチンルーム

 スケジュール表にはお昼の1時間「ランチタイム」が確保されていたのだが、この様子ではケータリングサービスは期待できそうもない。ひょっとしてASCスタッフには食事係がいるのかな?と思っていたら、ダン氏自らサンドイッチを作り出した。どうやら調理含めてランチはセルサービスのようだ。

 


13:00 受付(Resistration)開始

 めいめいがセルフのサンドイッチやバナナを頬張っていると、最初の参加チームがやってきた。



受付トップは地元のPI(Petroleum Institute 石油資源大学)チーム

 まず最初に個人登録:万一の際の連絡先や保険に関する情報を申告する。これを出さないと、スタッフメンバーもタグが貰えない。その後、直前に連絡があったWFESに入場するための必要書類の提出とチェック。最後にソーラーカー、先導車、伴走車などの関係車両のドライバーの登録をすると識別マークが書かれたマグネットシートを受け取れる。

 その後、続々と・・・・・



青いユニフォームは PUNCH POER TRAIN ベルギーの自動車機工部品メーカー



イリノイ州立大学 Illinois State University



フランスとモロッコの合同チーム ECO SOLAR BREIZH

15:30 東海大チーム



東海大学チーム Tokai University Team



スイスから ZHAW Solar Energy Racers ZHAW (Zurich University of Applied Science)



オーストラリアから参加のチーム・アロウ Team Arrow from Australia



トルコ、イスタンブール大学の SOCRAT (SOlar Car RAceing Team) from Istanbul

 

台湾の高雄応用科技大学「アポロ」はソーラーカーと共に登場
"Apollo Team" National Kaohsiung University of Applied Sciences from Taiwan



艾和昌先生、相変わらずエネルギッシュ。
右端は陸軍軍官学校の機械工学系、許綜升先生



オレンジのユニフォームはオレゴン州立大学。ギリギリに参加を決めたようだ。
Oregon State University



個人登録用紙の記入に苦戦中。「ねえ、ここって何書けって書いてあるの?」



最初の関門:個人登録用紙(緊急時連絡先などなど)

 事務手続きは主に女性陣が取り仕切っている。男性陣でもレギュレーション・マネージャのグレッグや、トランシーバーやGPSユニットの準備を受け持つビルは忙しそうに準備をしているが、他のメンバーはのんびりムード。チームメンバーとインスペクターも顔見知りが多いのか、あちこちで談笑中。一方、各チームのガレージでは明日からの車検に備えての準備が始められている。



米国のプリンシピア大学チーム。Phaethon2004でSUNLAKEとご一緒
させていただいたが、残念ながら当時のメンバーは居ないとのこと。



エコソーラーチームはコンテナ解包中。



イタリアから参加のオンダ・ソラーレ



オンダ・ソラーレチーム責任者のジョゼッペ・コイア氏とは10年ぶり

16:00 残り1時間

 受付終了予定時刻まで残り1時間になったが・・・・・・広島工大チームと沖縄チームが現れる気配がない。東海大チームに訊いても、特には何も聞いていないとのこと。幸い、スタッフ専用のWifiは機嫌良く繋がっていたのでパソコンでFB(Face Book)を開き、タイムラインを遡っていくと、静岡ソーラークラブの記事に山田先生がUAE観光を楽しんでいる写真を見つけた。少なくとも山田先生がUAE入りしているのは確かそうだ。FBのメッセージ機能を使って書き込みすると

 「今、そちらに向かっています。」

という返事が返ってきた。

17:00 広島チームが現地入りしているのは確かだと解ったので、こちらは一安心。

 

 スケジュール表では受付は17時までとなっているが、スタッフが引き上げる様子はなく、みんなマッタリしている。

 「ヒロシマとコンタクトできた。彼らは今こちらに向かっている。
  でもオキナワからはノーレスポンスだ。」

 一方の沖縄チームのFaceBookは年末の「アブダビ行くぞ」宣言以来、新たな情報はアップされていない。同様にFB使って呼びかけているが反応無し。

17:07 沖縄チームからようやく反応

 「まだ空港です。20分後にYMCへ向かいます。」 直行便ではなく、ドーハで乗り換える便で来たようだ。

17:28 ヒロシマチーム到着



アンロードしている車両は見覚えのある車体。往年の名車「FALCON」である。

 HIT:広島工業大学チームの中身は、山田先生(元東海大翔洋高等学校、現呉港高等学校)+静岡ソーラークラブのメンバー+広島工業大学のエコランチームのジョイントチームだ。後から解ったことだが、山田、塩川の静岡ソーラークラブコンビが先にUAE入りし、車両整備をペアリング相手のUAE大学(アブダビ市から100km以上東に離れたアル・アイン市にある)で行い、この日に到着する広島工大Gと合流と同時に、車両をYMC:ヤスマリーナサーキットまで運搬している最中だったのだ。

18:20

 オキナワチームは近くまで来ているようだが、既に日没で周囲は真っ暗。ヤス・マリーナ・サーキット周辺の道路は迷路のようにややこしい。さらにサーキットの中も迷路だ。FBを使ってぎこちなく連絡を取り続け、ゲートまで迎えに行こうとすると唯一の連絡手段であるWifiが切れてしまう。

18:46 駐車場で声がする。「オキナワー」と呼びかけると返事が返ってきた。ようやく到着。

 オキナワチームは公式には沖縄科学技術大学院大学、中身は飯塚氏率いる「チーム沖縄」とOIST:沖縄科学技術大学院大学の学生との混成だ。

 「チーム沖縄」は、沖縄の中高生によって「ソーラーカー」を製作し、ソーラーカー競技に参加するために2007年に立ち上げられたチームだ。初期のメンバーは既にチームを離れ、各地の大学チームなどで活躍している。2011年には豪州縦断WSCにも出場、今回のADSC2015に持ち込んだ車両は、そのWSC2011用に製作された車両である。

 

オキナワ・チームのレジストレーション

 OIST:沖縄科学技術大学院大学は、名の通り学部を持たない博士課程だけの大学。一学年20人で日本人学生より留学生の方が多そうである。OISTにはエコランチームもソーラーカーチームも無いので、ソーラーカー+レース参加ノウハウは「チーム沖縄」に依存している。経験者は代表の飯塚氏とドライバーのタイキ君の二人だけだろう。ADSC2015は表向きは大学チームの対抗戦という形式を採っているので、チームには大学の冠が必要となるが、海外チームを見ても、皆が皆、純粋の大学チームという訳ではなさそうだ。

ともかく

19:00 ようやく全チームの受付が終了し、スタッフはホテルに引き上げた。

 皆で食事でもするのか?と思ったが、ロビーで解散。

21:00 ほとんど寝落ち。

 時差は5時間なので体内時計は午前02時。昨夜は機中泊で満足に眠れていなかったのだ。




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第1稿(〜01/09、FB,BBS投稿)  2015.01.10.
第1稿(01/10分、FB,BBS投稿)  2015.01.14.
web公開(構成変更、画像追加)  2015.02.05.

Copyright Satoshi Maeda@Solar Car Archaeolgy Research Institute
太陽能車考古学研究所
2006.01.01
Copyright Satoshi Maeda@Team Sunlake
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