琵琶湖周航の歌
Circumnavigation on the Lake Biwa

「琵琶湖周航の歌」 メロディの変遷




******  INDEX  ******

メロディの系統的分類
音階と和声
メロディ変遷の概略
メロディ変遷年表
個別譜例
琵琶湖周航の歌資料館の視聴CDの旋律分類



「琵琶湖周航の歌」メロディの系統的分類

 「琵琶湖周航の歌」のメロディは「ひつじぐさ」を原曲とする。後ほど詳解するが、そもそも原典に最も近いはずの「三高歌集」に掲載された五線譜が全くあてにならず、今日、その楽譜通りに歌っている人はいない(数字譜から五線譜に書き改められた際の誤記に起因する)。「琵琶湖周航の歌は」楽譜としてではなく、もっぱら先輩から後輩へ口伝で伝えられ、その間にすこしずつ変化しながら今日に至っている。よって、多くの異本が存在するが、概ね二つの系統と、その中間的な移行形に整理出来る。仮に「正旋律」、「移行形」、と「新旋律」と呼ぶことにする。これらの差異は14小節目後半4-5-6拍の音程(「しがのみやこーよー」の「よー」)と、7小節(しみじみと)15小節(いざさらば)の上昇音型(全音階的か、ヨナ抜き音階的か)である。

正旋律:比較的古い形で、現在京都大学男声合唱団で歌われているメロディ
 14小節「しがのみやこよ」の「こよ」が「こ−−よ−−」=「レ−−ソ−−」
 さらに7小節(しみじみと)15小節(いざさらば)が単純上昇音型である場合が比較的多い。

新旋律:加藤登紀子の歌唱に見られる形。
 14小節「しがのみやこよ」の「こよ」が、「こ−およ−−」=「レ−ドラ−−」となる
 7小節(しみじみと)15小節(いざさらば)の6拍目が
 次小節の最初の音と同じ音程になりヨナ抜き化している。

移行形:昭和30年代後半から現れ、京大グリーが採用した旋律。
 14小節「しがのみやこーよー」は新旋律であるが
 7小節(しみじみと)と15小節(いざさらば)は正旋律と同じく全音階的

 以下に、原曲「ひつじぐさ」、琵琶湖周航の歌「正旋律」、「新旋律」の各々五線譜を示す。なお、比較しやすくするためハ長調(C)に移調し、表記を6/8拍子に統一してある。


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 便宜上、「正」「新」を使ったが、どちらが正しいとか間違っているとかを云々したい訳では無いことを最初に断っておく。繰り返しになるが、そもそも「琵琶湖周航の歌」に原曲はあっても「原典」は存在しない。今歌い継がれている形は、みな「琵琶湖周航の歌」なのである。

旋律
2小節
6小節
7−8小節
14小節
15−16小節
  ひつじぐさ  
  ファ−−ミ−レ  
  ファ−−ミ−レ  
  ラ−−シ−シド〜  
  レ−−ソ−−  
  ラ−−シ−シド〜  
三高歌集
ミ−−ミ−−
ファ−−ミ−−
ソ−−ラ−ド〜
レ−シソ−−
ソ−ソラ−シド〜
正旋律
ミ−−ミ−−
ミ−−ミ−−
ソ−−ラ−シド〜
レ−−ソ−−
ソ−ソラ−シド〜
移行形
ミ−−ミ−−
ミ−−ミ−−
ソ−−ラ−シド〜
レ−ドラ−−
ソ−ソラ−シド〜
新旋律
ミ−−ミ−−
ミ−−ミ−−
ソ−−ラ−ド〜
レ−ドラ−−
ソ−ソラ−ド〜



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「琵琶湖周航の歌」の音階と和声

 # 「琵琶湖周航の歌」には、そもそも伴奏も和声も無いのだが、
 #  メロディの流れの裏にある和声進行をイメージ=西洋音楽的に
 # 解釈しながら論じるならば、

 原曲「ひつじぐさ」は全音階で構成されている。すなわちドレミファソラシの西洋音階7音が全て使われており、和声的にも賛美歌に見られるような教科書的な和声が付けられている。

 正旋律では西洋音階7音の内の「ファ」が無くなっており、ヨナ(4度:ファ、7度:シ)抜き化の兆しが見える。

 移行形、新旋律では、14小節目後半の音程が変わっている。この部分の音程は、続く15-16小節に現れる終止形(=定型的な楽曲の終わり方)につながる重要な位置の和声に関わることであって和声進行の主骨格自体が変わってしまうということになる。
 7小節目、15小節目の上昇音型については、移行形では正旋律に見られる全音階的な形「ソーソラーシ|ドー」が残されているが、新旋律になると「ソーソラード|ドー」と7度の「シ」が無くなりヨナ抜き的になる。ただし、この部分の音程は、小節変わり目(和声の変わり目)でその小節の和声を取るか、経過音を取るか、あるいは、次の小節の和声を先取りするか、という問題であって、和声進行の大筋は変わらない。これは、ときおり見られる他の部分の差違についても、同じ事が云える。

 気持ち良く歌って頂く(酔いにまかせて唸っていただく--失礼--)方にとっては、どちらでも良いかもしれないが、譜面を書かなければならない立場になると、これらは大問題なのである。

 音階が全音階からヨナ抜きに移行していくのは、日本人の一般的な特質であろう。なお7度音程は1小節目と5小節目の各5拍目、「われはうーみ」「たびにしーれ」の「ー」部分に残っているので、ヨナ抜き化は完了していない。




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「琵琶湖周航の歌」 メロディの変遷 概略

<誕生−口伝>

 1917年に、谷口氏が、小口太郎の詞を「ひつじぐさ」の旋律に乗せて歌い、寮のコンパで披露し、1918年頃に谷口氏と岡田氏が寮で盛んにこの歌を歌って広めたということであるが、谷口氏と岡本氏がどのような旋律で歌っていたかを知る術は無い。この頃には谷口氏に「ひつじぐさ」を教えた岡本氏は卒業しているので、おそらくは、谷口氏が歌っている段階で「ひつじぐさ」との差異が生じていたものと想像する。

 1925年前後には、すでにこの歌はかなり広まっていたようである。メロディの形は正旋律の形に、一応落ち着いていたのであろう。メロディの形が定まっていなければ、もっと多くの異本が生まれていたはずだ。当時既に、今の東大vs京大対抗戦につながる一高vs三高対抗のボート競争が琵琶湖で行われていたことから、ボート部同士の交流等により広がっていったものと想像する。(あるいは数字譜くらいは早い段階で出来上がっていたのかもしれない。)

<数字譜>

 現存する最古の数字譜(1933年)は、すでに今日の「琵琶湖周航の歌」の「正旋律」に近い形になっている。この楽譜はボート部ではなくバレーボール部に所属していた人が書き残している。

 三高歌集 昭和11(1936)年版に略譜(数字譜)が掲載された。未確認であるが、おそらく昭和十四版と同じである。
 三高歌集 昭和14(1939)年版に掲載された数字譜は(なんと!)4/4拍子である。出だしも弱起ではなく1拍目の頭から開始されている。拍子とリズム割りは別にして、音程面では一部にヨナヌキ化の兆候が現れている点が興味深い
 三高歌集 昭和22(1947)年版に掲載された数字譜では、今日の「正旋律」の形になっている(歌詞は一部異なる)。

<五線譜>

 三高歌集 昭和27(1952)年版からは五線譜化された楽譜が掲載され、その楽譜は昭和58年版まで、そのまま掲載されつづけている。本来、原典扱いされるべき楽譜なのだが、今日この楽譜どおりに歌っている人は誰もいない。一部には「ひつじぐさ」の名残かと思われる箇所ものこされているのだが、他に明らかな誤記が二カ所あり、さらに誤記である可能性が高い音程の誤りが二カ所あり、あまり信用することができない。

 1960年頃までは 三高−京大内では、多少細部が変化しながらも正旋律系が主に歌われており、この旋律は、今現在も京大男声合唱団に受け継がれている(ボート部OB年配者は正旋律で歌うが、比較的若い世代は新旋律で歌っている)。東京にも正旋律が伝わり少なくとも1967年までは受け継がれてる。

<移行形(琵琶湖哀歌の影響)>

 一方、京大内では、1960年頃から新旋律への移行形が現れ、一般学生はこちらのメロディで歌うようになっていた。一説に「加藤登起子が変えてしまった」とも云われているが、実際には加藤登喜子の歌唱でヒットする以前からメロディの変化は生じていた。このメロディの変化は「琵琶湖哀歌」と混同されることによって生じた物と考えられる。
 「琵琶湖哀歌」は昭和16年(1941年)に遭難した四高ボート部員の鎮魂歌として作られた曲とされているが、実のところは、この事件をネタに儲けようと考えたレコード会社により即席的に作られた曲である。明治43年に発表された「七里ヶ浜の哀歌」と「琵琶湖周航の歌」のコード進行を拝借し、メロディの半分ほどが「琵琶湖周航の歌」と同じというパクリ曲だが、第二次世界大戦開始前の殺伐とした世情の中で、皆、勇ましい軍歌に飽き、悲話を求めていたためか大ヒットした。この「琵琶湖哀歌」の終わり4小節が「琵琶湖周航の歌」の新旋律、移行形に全く同じである。
 1960年は「琵琶湖哀歌」ヒット後に生まれた世代が入学した頃と重なるが、その時既にボート部の中では「移行形」が歌われていたようである。京大グリークラブがアレンジしたのは、こちらの移行形である。加藤登紀子が聞いて採譜したのも「移行形」であると思われる。

<新旋律>

 加藤登紀子氏の歌唱では7小節目、15小節目の6拍目の「シ」音程が装飾音符風に処理されており、移行形と新旋律のさらに中間的な形になっている。記譜上、この装飾音符的な「シ」音を省略するとヨナ抜き的な「新旋律」になる。加藤氏の琵琶湖周航の歌は 1971年4月10日発売の「日本哀歌集/知床旅情」に収録、同年5月にシングル化(最初はB面扱い)され、以後、全国的に新旋律が歌われるようになった。

 以上が「琵琶湖周航の歌」誕生から現在までのメロディ変遷の概略仮説である。以下、年表と各譜例を示して行く。



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「琵琶湖周航の歌」メロディ変遷年表

西暦元号イベントメロディ出展
1913年大正2年9月吉田千秋訳「ひつじぐさ」の歌詞が
雑誌「ローマ字」に掲載される。
 *1)*2)
1915年大正4年8月吉田千秋作曲の原曲「ひつじぐさ」
雑誌「音楽界」大正4年9月号に掲載される。
ひつじぐさ*2)扉
1915-17年大正4-6年桜楽会(三校の音楽サークル)指導者が
「ひつじぐさ」を題材として持ち込む
ひつじぐさ*1)*2)
1915-17年大正4-6年岡本愛祐、桜楽会メンバーから「ひつじぐさ」を教わる。ひつじぐさ*1)*2)
1915-17年大正4-6年谷口謙亮、岡本愛祐から「ひつじぐさ」を教わる。ひつじぐさ*1)*2)
1917年大正6年6月琵琶湖周航。今津にて谷口謙亮が小口太郎の詞を
「ひつじぐさ」のメロディで歌う。「琵琶湖周航の歌」誕生。
 
1917年大正6年9月寮の新歓コンパにて谷口謙亮が「琵琶湖周航の歌」を披露*1)*2)
1918年大正7年1月谷口謙亮、岡田徳吉が寮で盛んに「琵琶湖周航の歌」を歌う*1)*2)
1924年大正13年岩崎氏(昭和2年卒)が歌を覚える(記憶)三高歌集版と同じ 
1924年頃大正13年頃吉田冬蔵(千秋の実弟)、旧制新潟高校にて
「琵琶湖周航の歌」を歌う。兄の作とは平成まで知らず。
 
1926年以前大正15年以前中安タカネ(中安治郎の妻)の回想、女学校時代に
「琵琶湖周航の歌」をよく歌った。
安田p65
1927年昭和2年久保氏(昭和2年入学)歌を覚える。戦後に採譜三高歌集版と同じ 
1931年昭和6年京大男声合唱団創立(二年後に混声化)   
1933年昭和8年三高祭にて、数字譜が書かれた漫画はがき販売正旋律1933版 
1933年昭和8年SPレコード「琵琶湖周航の歌」発売 タイヘイレコード4580B
歌は第三高等学校自由寮生徒による
未確認滋賀の歌
1936年昭和11年三高歌集に楽譜(数字譜)が掲載される。未確認、恐らく
昭和14年版と同じ
 
1939年昭和14年三高歌集 重訂補版「琵琶湖周航の歌」
大正八年 小口太郎 作歌作曲
数字譜 4/4拍子 
1941年昭和16年6月東海林太郎と小笠原美都子 「琵琶湖哀歌」
作詞:奥野椰子夫、作曲:菊地博
新旋律に酷似 
1941年昭和16年三高歌集 重訂補版「琵琶湖周航の歌」
大正八年 小口太郎 作歌作曲
数字譜 4/4拍子 
1947年昭和22年三高歌集 昭和22年版 数字譜正旋律1947版 
1950年頃昭和25年頃三高創立90周年記念レコード(1958年)の
吹き込みメンバー多数が在籍
正旋律1958版 
1952年昭和27年三高歌集 昭和27年版 楽譜が五線譜化される
(大正8年小口太郎作詞作曲とある)
三高歌集版安田付録
1953年昭和28年野ばら社「愛唱名歌集」に五線譜が掲載される。 正旋律N 
1955年頃昭和30年頃東大ボート部員だったM氏が歌を覚える。正旋律1958版 
1958年昭和33年三高創立90周年記念レコード正旋律1958版 
1961年昭和36年ボニージャックス「琵琶湖周航の歌」ソノシート未確認相楽氏講演
1962年昭和37年ボニージャックス「琵琶湖周航の歌」EP正旋律 
1962年昭和37年3月ペギー葉山「琵琶湖周航の歌」発売正旋律 
1962年昭和37年早稲田大学合唱団によるソノシート正旋律W 
1962-70年昭和37-45年2007,08年開催の吉田寮同窓会出席者が多数在寮新旋律 
1964年昭和39年2月三鷹 淳「なつかしの校歌・寮歌集(第二集)」発売
「琵琶湖周航の歌」を収録
正旋律 
1966年昭和41年京大合唱団から京大グリークラブ分離独立  
1967年昭和42年4月望月志郎、京大ボート部にて「琵琶湖周航の歌」を覚える移行形 
1968年昭和43年11月寮歌は生きている
三高歌集掲載五線譜の誤記が訂正された譜面
正旋律 
1970年頃昭和45年頃ニニロッソ、LP「青春の詩集」に「琵琶湖周航の歌」を収録し、
同曲をシングルカット。録音はイタリア
正旋律K 
1971年昭和46年4月加藤登紀子、LPに「琵琶湖周航の歌」収録新旋律K 
1971年昭和46年加藤登紀子、シングルレコード発売、最初はB面新旋律K 
1971年昭和46年7月須藤リカ、"シングルレコード発売正旋律K 
1971年昭和46年ケイ・松永、シングルレコード発売新旋律K 
1972年昭和47年N氏、京大グリーに入団し合唱版を歌う移行形 
1972年昭和47年東海学生歌集に「琵琶湖周航の歌」掲載。(野ばら社と同じ)正旋律N 
1973年昭和48年3月京都大学グリークラブ版(推定第2版、加藤版風イントロ)移行形 
1975年頃昭和50年頃ペギー葉山 滋賀県緑の歌「みどりいっぱい」のB面に「琵琶湖周航の歌」を収録正旋律 
1979年昭和54年5月京都大学グリークラブ版 第三版(加藤版風イントロ付き)移行形 
1983年昭和58年三高歌集 昭和58年版 楽譜は昭和27年版と同じ
作曲 吉田千秋 と明記
三高歌集版安田付録
1984年昭和59年夏ジョンデンバー、南こうせつ、加藤登紀子、
びわ湖水の祭典にて「琵琶湖周航の歌」を歌う。
移行形NHK19840825
2006年平成18年京大ボート部100周年  
2006年平成18年京大男声合唱団による斉唱(YouTube)正旋律1958版YouTube
2006年平成18年記念式典での伴奏(京大管弦楽団金管八重奏)正旋律1958版YouTube
2006年平成18年記念式典での歌唱 年配者正旋律YouTube
2006年平成18年記念式典での歌唱 若年者新旋律 
2006年頃平成18年山本良久氏の演奏
(元高校校長、S39年東京の国立大学卒)
三高歌集版に近いVocaloid
2007年平成19年2月吉田寮同窓会(S37-45 1962-70年卒業生多数)新旋律www
2008年平成20年2月吉田寮同窓会(S37-45 1962-70年卒業生多数)新旋律www
2008年平成20年2月アンサンブルあざみ・山梨マンドリンクラブOB&OG移行形mp3
2008年平成20年4月有限会社ちくさ出版の無料楽譜ライブラリ 正旋律www
2008年平成20年滋賀男声合唱団 「ひつじぐさ」と「琵琶湖周航の歌」を歌う新旋律www
  
敬称略
  


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個別譜例

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原曲:「ひつじぐさ」

 原曲である「ひつじぐさ」の主旋律を、6/8拍子に書き換えた譜面。確かに歌い出しは全く同じであるが、琵琶湖周航の歌の正旋律(比較的古い形)と比較しても、同じなのは1、3、4、5、11、12,14,16、と、全16小節中の半分に過ぎない。しかし基本リズムがほぼ同じで、音程が違えどおおまかな旋律の上行/下行の動きがほぼ重なるため、この曲が「琵琶湖周航の歌」の原曲であることを疑う余地はほとんど無い。


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昭和2年 同年入学の久米直之氏が記憶したメロディ

 堀準一氏の資料に 「昭和二年入学(昭和五年卒業)の久米氏が寮で習い覚えたメロディーを戦後に採譜したメロディ。同じく昭和二年文乙(卒業)の岩崎丙伍午郎氏が歌うメロディも同じ。」が掲載されている。*1)p.113 メロディは「三高歌集 昭和27(1952)年版に掲載された五線譜」と同じ。旧歌詞は堀準一氏が書き加えた物である。


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 ただし、ここに述べられた久米氏と岩崎氏の証言は、(失礼ながら)甚だ信憑性が低い。後述するが、少なくとも三高歌集 昭和27(1952)年版に掲載された楽譜は簡易譜(数字譜)から五線譜化される際に明らかに誤記されているからである。

 「昭和11年 三高歌集に掲載された簡易譜」の項。
 「昭和22年 三高歌集に掲載された数字譜」の項
 「昭和27年 三高歌集に掲載された五線譜」の項、参照。


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昭和8年 三高祭漫画はがき 正旋律1933版

 昭和8年5月1日、三高祭にて販売された漫画はがきに掲載された数字譜を五線譜化したもの。現存する最古の譜面であり、採譜者もはっきりしている。後に三高歌集に掲載された譜面よりも現在、京都大学男声合唱団で歌われている形に近い。相違点は9小節目6拍目のみである。ここに見られる「のぼるさぎりや」の「さ」が下がる形を、原曲「ひつじぐさ」の名残と見ることもできるが、この音は同じ和声内なので、そう言い切るのも難しい(今でも多少崩した形の演奏では、この形になることがある)。偶数小節に8分休符が入っているのは、2小節ごとにブレスして歌っていたのを忠実に採譜した結果であろう。


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昭和8年 タイヘイレコード社から発売されたSPレコード メロディ未確認

 第三高等学校自由寮生徒の歌唱を収めたSPレコードが発売された。以下は、このレコードを所有しておられるスナック「音聴話(おとぎばなし)」公式サイトからの引用である。
琵琶湖周航の歌

このレコードは『琵琶湖周航の歌』の最も古い録音盤です。伴奏は無く生徒の合唱となっています。
作歌・作曲は小口太郎と表記されています。数少ない希少盤です。
B面は『逍遥の歌』同じく三高(現在の京都大学)の寮歌です。

三高歌 琵琶湖周航の歌 作歌・作曲:小口太郎 第三高等学校自由寮生徒
レコード番号:4580B 発売年月:昭和8年
出展 スナック「音聴話」  滋賀の歌 SPレコードの部
http://www.geocities.jp/a1894m2632/siganouta.html


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昭和11年 三高歌集に掲載された簡易譜 (推定 正旋律)

 昭和11年に発行された三高歌集に簡易譜(数字譜)が掲載されたとされている。堀準一氏によると、この楽譜は4/4拍子の完全小節(弱起無しの意味)で書かれていた、とされている。昭和14年重訂増版、昭和16年版と同じ数字譜であろうと考えられる。


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昭和14年(1939年) 三高歌集 重訂増版

 堀準一氏が、昭和11年に発行された三高歌集に4/4拍子の完全小節(弱起無しの意味)の簡易譜(数字譜)が掲載されたと記録されている物と譜例であろうと推測される。少なくとも昭和16年版までは、この数字譜が掲載されている。
 耳で聞いたメロディを楽譜に書き留めることが出来る人は、今日でもそれほど多くはないが、昭和11年当時はさらに希少なスキルの持ち主だったであろう。そのスキルを有する、この版(昭和11-14年版)の採譜者は、通常は3拍子ないし6/8拍子で記譜される琵琶湖周航の歌を4/4拍子に採譜している。

 当初は「応援歌か軍歌のように拳を振りながら歌って覚えたのか?」と受け止めたが、桑山(旧姓村上)初穂様からの御指摘により誤解であることに気が付いた。冒頭に「靜に」と表現指示が書かれていることからも、決して行進曲風に歌われていた訳ではないことが解る。桑山様からは「採譜者が日本語のリズムを重視して、あえて4/4拍子に書き留めたのではないか」とのコメントを頂戴している。

 琵琶湖周航の歌のメロディの、西洋音楽的なリズム上の強弱と、歌詞の持つ日本語(関東弁)としてのリズム(イントネーション)は必ずしも一致していない。
日本語の強拍                         
歌詞           
メロディの強拍                

日本語の強拍                        
歌詞           
メロディの強拍                
 このような事例は希ではなく、むしろ一致している曲の方が珍しい。メロディは、小節の頭=強拍からではなく、前小節の弱拍から開始される「弱起」であるため、冒頭部分の音楽的な強拍は「われは」の「れ」にある。日本語のイントネーションを重視する立場では、「われは」の「わ」に強拍=小節の頭を配置することになる。6/8拍子を8分音符分ずらしての記譜ではあまりに不自然となるため、採譜者氏は冒頭をシンコペーション風の音型にして無理矢理4/4拍子に押し込んだのである。「のぼるさぎりや さざなみの」の部分は単語の頭が小節の頭と比較的一致するが、「しがのみやこよ」では再び弱起を無理に強拍にずらしているため、冒頭と同じシンコペーションに戻っている。昭和8年の「三高祭漫画はがき」版と昭和22年版との双方が6/8拍子で記譜されているところからして、歌そのものが変化したわけではない。4/4拍子は、あくまで採譜者氏の感性によるものだ。3拍子(6/8拍子)での歌唱と、この4/4拍子での歌唱が共存すれば、あちらこちらでリズムのズレが生じるわけであるが、そもそも指揮者がいるわけでなし、そんな些細なことは誰も気にしないのである。

 音程に関しては、後に掲載されるようになる昭和27年版の五線譜より正確である。なお最後の「いざさらば」の「ら」音が「シ」ではなく「ド」にあがっており、ヨナ抜き化の兆しがみられる。

 

昭和14年(1939年) 三高歌集 重訂増版  楽譜部分拡大


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昭和16年(1941年) 三高歌集 重訂増版

 昭和14年(1939年) 三高歌集 重訂増版に同じ。

 

昭和16年(1941年) 三高歌集 重訂増版  楽譜部分拡大


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昭和16年(1941年) 琵琶湖哀歌

 昭和16年4月6日 第四高等学校(現在の金沢大学)漕艇班員を含む11名が遭難死した事件を題材にして作られた曲。


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 一般的には犠牲者への追悼曲と捉えられているが、事故の翌々月にレコードが発売されるという手際よさ、詞と曲の安直さ、成り行きでデュエットになったレコーディングの経緯、などからして、レコード会社(帝国蓄音機)により「話題性が褪せぬうちに」と即席で作られた便乗商法的御当地ソングである。

 この曲の成立過程と内容については別項にて詳しく述べる。この曲は、近江八景のつまみ食いに滋賀の名所と遭難にまつわるキーワードを並べて作られた安直な歌詞に、「七里ヶ浜の哀歌」のコード進行と「琵琶湖周航の歌」のメロディを無理矢理組み合わせて作られた曲を付けた代物である。「琵琶湖周航の歌」が原曲「ひつじぐさ」の名残を残すことに拠る不自然さを排除した結果、実は「琵琶湖周航の歌」より歌いやすい。それが故に「琵琶湖哀歌」のメロディが、逆に「琵琶湖周航の歌」に取り込まれるという逆影響を与えてしまったのである。

詳しくは「6.他の関連曲 琵琶湖哀歌」


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昭和22年 三高歌集に掲載された数字譜 (正旋律)

 「OJJの山歩き」と題されたブログにて、昭和22(1947)年発行の三高歌集の一部が公開されている。ガリ版刷りされた藁半紙をステプラーで閉じただけの粗末な作りだが、紙を入手することさえ難しかったであろう敗戦直後の混乱期の中で、先輩から受け継いだ寮歌・学生歌を、平和な世に歌い継がなければならないという三高生の強い思いを感じることができる。

 数字譜 準備中

 調子がFであること、6/8拍子、表現記号「Dolce」が明記されている。昭和11年版の4/4拍子記譜が、6/8拍子に戻されているところから、歌自体は6拍子(3拍子系)で歌い継がれていたことは確かであろう。
 以下に示すのは、この数字譜を五線譜に書き直した物である。メロディは「正旋律」の基本形である。
 なお、歌詞は一部が今日の物とは異なっている。


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 さらに、昭和8年「三高祭漫画はがき」掲載の数字譜と比較してみる。旋律線の音程で異なる箇所は「のぼるさぎりや」の「さ」の音一カ所だけ(「ノボルサギリヤ」の「サ」)である。


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参考サイト
  OJJの山歩き
  http://ichidohayarihe-ojj.blog.so-net.ne.jp/2008-12-30

  三高歌集 昭和22年版 琵琶湖周航の歌の頁
  https://blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_595/ichidohayarihe-ojj/img0151-62fe4.JPG


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昭和27(1952)年 三高歌集に掲載された五線譜

 簡易譜だった三高歌集は、昭和27年版にて五線譜に改訂された。安田保雄編『小口太郎と「琵琶湖周航の歌」』には、
 「歌詞がほしいとおっしゃる方が多いので、『三高歌集』(昭和27年版)からコピーしてお送り申し上げます。」
というコメントと共に、この五線譜が添えられている。また相楽利満著の『琵琶湖周航の歌の世界』にも掲載されている。ここに掲載した楽譜は、それを忠実に浄書したものである。


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 改段が小節途中にあり、かなり読みにくく、初歩的な誤記が二カ所ある。
4小節目、「サスラヒノ−」の「ノ」と「ー」の間にあるべきタイが無い。

さらに続く「タビニシアレバ」の「タ」の部分、8分音符のはずだが4分音符になっている。
これらの誤りを修正し、改段を小節線に合わせたのがこちらになる。堀準一氏の資料にて「昭和2年入学の久保氏が習い覚え、戦後に採譜したとされる譜例」と同じである。


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<楽譜の書法>

 小節の途中で改段する書き方そのものは、間違いではない。楽譜を書き慣れている人が、メモ的にメロディを書き留めるような場合によく現れる形である(要するに雑な書き方である)。しかし、清書する場合、さらには印刷物に残すような改まった場面では小節線と改段を合わせるのが普通である。

 また、10小節目後半、付点4分音符にすべきところが、4分音符と8分音符に分けられて、わざわざタイでつないである。これも間違いではないが、特に歌詞割り上の問題等があるわけでもなく、特にこの部分だけをこのように書き分ける意味は見あたらない。

<誤記>

 先に指摘した音楽的に明らかな誤記二カ所:「タイの書き忘れ」と「8分音符を4分音符に書き間違え」について考えてみよう。前者を訂正するにはタイを書き足せばよいだけだし、後者も4分音符に旗を書き加えれば訂正出来る。楽譜が読める人であれば、一目で見つけることが出来る初歩的な誤りであり、さらに、直そうと思えば書き加えるだけで簡単に訂正できるものである。にもかかわらず、その誤記が訂正されていない。この状況を如何に解釈すればよいだろうか?

<数字譜との比較>

 ここで、三高歌集の数字譜(簡易譜)と五線譜を比較検討してみたい。以下に三高歌集 昭和22(1947)版の数字譜(を五線譜化した譜面)、ならびに三高歌集 昭和27年版の五線譜を並べて示す。なお表記を6/8拍子ハ長調に統一してある。


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 一見して、五線譜が数字譜を単純に書き直した物では無さそうだ、ということが解る。五線譜と数字譜には異なる部分が多々存在する。もう少し詳しく見てみよう。

<音の長さ/休符>

 数字譜と五線譜の、長音の長さ/休符の取り方には大きな違いがある。フレーズの終わりの長く伸ばす音の箇所、具体的には「さすらいの」の「の」、「しみじみと」の「と」、「さざなみの」の「の」、「いざさらば」の「ば」の部分、数字譜ではいずれも付点四分音符だが、五線譜では二分音符分の長さ(付点四分音符+八分音符)になり、伸びた分だけ後ろの休符が削られている。

 一般に音楽的な歌唱訓練が十分になされてない人が歌った場合に、ブレスが長くなるために長い音符が削られて短くなり、その分だけ休符が長くなる傾向がある。よって歌唱を忠実に譜面化すると、数字譜のように休符が長めの楽譜になる。同時期に採譜されたと推定される野ばら社版でも同じ特徴が見られ、さらに音が短くなっている。実際にこれらの楽譜通り忠実に歌うと、歌のフレーズはブツブツに切れてしまう。
 一方、昭和27年版五線譜では長く伸ばすべき音は、あるべき長さに伸ばして書かれており、その分だけ休符が短くなっている。こちらの方が音楽的には好ましい譜面の書き方であると云える。

<旋律の相違点>

 数字譜に比較して五線譜では6小節目「たびにしあれば」の「れ」が半音高い。この音「ファ」は「ヨナ抜き(4度7度抜き)」における「4度」の音になる。原曲「ひつじぐさ」と同じ音程であり、原曲の名残を感じさせる箇所であるが、同じ形が出てくる2小節目の方は現在の旋律と同じ「ミ」である。昭和27年頃には、既に歌の誕生から35年が経過しており、吉田千秋の名前はおろか、この歌が元々「ひつじぐさ」の替え歌であったことも、さらに「ひつじぐさ」という曲そのものも忘れ去られており、この時期に先祖返りするとは考えにくい。

 7小節目6拍目「しみじみと」の後の「み」が高くなる点は、この版のみに見られる形で特異的である。昭和30年代後半に東京でこの歌に触れたと推定される山本良久氏の演奏は、基本は正旋律だが、この部分だけこの版のようになっている。要確認ではあるが、おそらくは三高歌集五線譜を見ての演奏で、前述の6小節目のみを一般的に知られている旋律に合わせた物と想像する。

 14小節目前半の部分、「こー」が「レーシ」と下がる所は数字譜にも、原曲「ひつじぐさ」にも見られない新しい動きである。みかけは新旋律「レード」]に似ているが音程は異なる。数字譜が付点四分音符であるのを、四分音符と八分音符に分けているので、ここだけを見れば単なる書き間違いではなさそうにも思えるが、10小節目後半の部分で付点4分音符にすべき所をわざわざ4分音符と8分音符に書き分けてタイでつないでいるので、このように書こうとして誤記した可能性も捨てきれない。

 旋律の裏にある和声進行を考えると、14〜15小節の部分、「新旋律」と「移行形」は和声進行的に自然な形になるが、「正旋律」の和声進行は不自然で少々ぎこちない。これは14小節目が原曲「ひつじぐさ」の音程を残しているにもかかわらず、15小節目だけが変更されてしまっているため、和声の接続がおかしくなっているからである。(三高歌集五線譜版における14小節目前半の音の動きをとれば、この小節の和声を強く印象づけることができ14小節目後半の音も取りやすくなるが、これは考え過ぎか?)

五線譜化過程の推定

 以上述べた点を元に、五線譜化の過程を推察してみる。

 先に述べたとおり、この五線譜は、旧版の数字譜を単にそのまま五線譜化した訳ではない。かなり楽譜を書き慣れている様子であることと、数字譜には無かった新たな音楽的要素が加わっていることから、この五線譜を書き上げた人物が高い音楽的素養を有していたであろう事が伺い知れる。新たに採譜し直されたものだと考えてもいいだろう。

 一方で、楽譜を読める人なら一目で気づき、さらに簡単に修正出来る誤記が訂正されていない。

 この矛盾する二つの要素は、昭和27年版の編集にあたって、おそらく2名以上の人物が楽譜編集に関与したことに起因すると想像する。

 まず、楽譜を書き慣れた人が簡易譜(数字譜?)から五線譜に下書き的に書き換えたのである。その人物は、かなり音楽的素養が高い人であった。単純に書き換えるだけでは物たりず、一部は自分で採譜して補いながら、より音楽的に完成度の高い楽譜を仕上げたのだ。しかし、膨大な歌曲を五線譜化しなければならなかった彼の筆跡は次第に雑になり、小節の切れ目と改段を合わせる手間さえも惜しまれた。

 浄書(ガリ版書き?)担当者は別の人物だった。彼はは几帳面で、丁寧に作業を行ったのだが残念なことに楽譜は読めなかった。よって彼は先の人物が書いた下書きを、ひたすら忠実に清書した。

 結果、このような、小節途中で改段するといった熟練者の慣れた書法と、初歩的な音楽的誤りの見過ごしという初心者的な所行が同居した五線譜が出来上がったのである。

昭和27年版五線譜の正誤(まとめ)

 6小節目、7小節目の特異点は、下書きが雑であったために浄書過程で生じた誤記である可能性が高い。

 14小節目については単純に誤記とは言い切れず、謎が残る。

 というのが本稿の結論である。

 本家本元の三高歌集に掲載された最初の五線譜な訳であり、「このメロディを習った」と証言する久保氏、岩崎氏の証言も残っている(失礼ながら、このお二人の証言/歌唱力が怪しい)。この五線譜は、本来原典として扱われてもおかしくない存在なのだが、内容的にはかなり怪しい部分が多いのである。なによりも、今日、このメロディで歌っている人が誰もいない事実が、この仮説を無言で支持してくれていると考えている。
 

昭和27年(1952年) 三高歌集  楽譜部分拡大



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昭和27年 野ばら社「愛唱名歌集」 1952年(正旋律1958版に近い)

 昭和27年初版の野ばら社(本社は東京)発行「愛唱名歌集」の改訂五版(1969年)に掲載されている楽譜。音の動きは1958年録音の創立90周年記念レコードと同じ=今日でも歌われている古いスタイルのメロディと同じ、であるが、音の長さがかなり短めである。歌詞の途中や、メロディラインの途中に休符が入るなど不自然で、さらにニ長調で書かれている点も特異的である。これらより、楽譜を見て写したのではなく、誰かが歌うのを忠実に聞き取って採譜し、歌集に掲載したものと推定する。

初版から掲載されていたという確証は無いが、下記に示す本書の構成からして、初版時には日本の曲中心の構成で、後からp204以後の外国曲を付け足していったものと思われ、かなり早い時期から掲載されていたと考えて良いと思う。
p 12〜 主に唱歌
p116〜 ちいさい秋みつけた 中田喜直
    以後、滝廉太郎、山田耕筰、中山晋平、團伊玖磨など日本の作曲家の作品
p180〜 日本民謡
p187〜 寮歌     琵琶湖周航の歌は p190
p202  仰げば尊し
p203  蛍の光
p204〜 フォスターの草競馬 以後は外国の曲
p370〜 クリスマスソング、賛美歌
p376〜 君が代、英国、米国、仏国、ソ連、独国の国歌
この時期に、東京地区にて、正旋律で歌われていたであろうことを示す証拠の一つとして貴重である。


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昭和30年前後 東京大学ボート部に伝わっていた「琵琶湖周航の歌」 1955年前後

 私が勤務している職場は琵琶湖畔にある某メーカーの事業所である。琵琶湖のほとりであるからか、はたまた京都大学OBが比較的多いからか、宴席などで「琵琶湖周航の歌」を歌う機会は少なくなかった。

 私が最初に配属された部署の大ボスだったM氏は、仕事上は非常に厳しく怖い人であったが、職場でクラシック音楽の話が交わせるのが私一人だったからか、ずいぶんと可愛がって貰った。職場の懇親会の二次会は、M氏行きつけのカラオケスナックになることが多かった(勿論通信カラオケ等ではない、VHDカラオケである。)M氏の持ち歌はフランクシナトラで、歌は上手く、音程もしっかりしていた。特に楽器の心得等は無さそうだったが、クラシック音楽を好み、日本モーツァルト協会の会員でもあった。語学にも堪能で、耳が良かったのは確かである。

 この二次会の最後は毎度「琵琶湖周航の歌」であった。カラオケにあったのは1〜4番まで、イントロもメロディも加藤登紀子版のコピーであった。この際にM氏が「14小節456拍目の音《しが〜の み〜や こ〜よ〜》の《よ〜》の音を加藤登紀子が(自分で歌って歌唱例を示し、元々は(ハ長調記譜で)ソ音だったのだがラ音に)変えてしまった。」と教えてくれた。1985年前後のことである。ちなみにM氏は1930年代半ばの生まれ、東京大学出身で学生時代はボート部の主力選手だった(日頃運動している様子は全く無かったが、50才を超えてなお町民運動会では100mを13秒台で走る運動能力の持ち主だった)。大学時代に琵琶湖周航の歌を覚えたとすれば1950年代半ばということになる。京大vs東大戦の際に、京大ボート部から直接教わったのかもしれない。


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三高歌集 創立90周年版 -1958-

 昭和33年(1958年)に発行された創立90周年版(第11刷)。昭和27年版と同じ。
 

創立90周年版 昭和33年(1958年) 三高歌集 第11刷  楽譜部分拡大



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三高歌集 昭和33年版

 昭和33年(1958年)に発行された三高歌集に掲載された楽譜。昭和27年版と同じ。


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昭和33年(1958年) 三高歌集 第12刷  楽譜部分拡大



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昭和33年 創立90周年記念レコード 正旋律1958版

 昭和33年(1958年)に発行された「創立90周年記念レコード」で歌われているメロディから採譜されたとして掲載されているもの。吹き込みメンバーの卒業年次は、
    昭和5〜9年(1930〜1934年)が3人
    昭和13〜20年(1937〜1945年)が11人
    昭和22〜25年(1947〜1950年)が19人
 著者の堀準一氏(昭和7年卒)が覚えているのも、このメロディだとのことである。歌を覚えた時期は各々の卒業年次から3年ほど前ということになる。

 さらに平成18年(2006年)、京都大学ボート部百周年、医学部ボート部五十周年記念してYouTubeにアップされた京都大学男声合唱団による「琵琶湖周航の歌 斉唱版」もこのメロディである。

 以上より、このメロディが、昭和初期から第三高等学校〜京都大学に根付いた今に生きる「正調」とも云うべき節回しであると云ってよかろうと考える。


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三高歌集 昭和35年版

 昭和35年(1960年)に発行された三高歌集に掲載された楽譜。昭和27年版と同じ。

 

昭和35年(1960年) 三高歌集  楽譜部分拡大



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昭和37年 早稲田大学合唱団 1962年

 ソノブックス社から昭和37年4月1日に発行されたソノブック「学生歌名曲集」に収録された合唱から採譜された譜面。収録されているのは全国の大学、旧制高校の校歌、寮歌であるが、歌っているのは在京大学の合唱団であり、「琵琶湖周航の歌」も早稲田大学合唱団によって歌われている(男声4部)。早稲田大学グリークラブも別の曲で参加しており、両者は別団体である。ソノブックはソノシート4枚を含む小冊子風で、当時の学生気質などに関するエッセイや、有名人の在学当時の写真などが掲載されているが、演奏曲については歌詞と作詞作曲者、演奏者名が載っているだけで、曲に関する解説や演奏団体に関する説明は全くない。

 早稲田大学合唱団による男声四部合唱は独自のアレンジ(編曲者不詳)であり正旋律を基本にしているが最後の2小節のみ旋律パートが不明確になっている。


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MIDIファイル


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昭和37年 ペギー葉山 1962年

 ペギー葉山は(説明の必要もなかろうが)日本のポップス歌手の草分け的存在、声楽で音大を目指すが青山学院女子高等部時代に洋画の影響でクラシックからジャズ・ポピュラーに転向した。東京都出身。誰もが知っている「ドレミの歌」の訳詩(日本語詞の作詞)者でもある。

 昭和37発売のEPの歌唱は、装飾音やコブシの無い正旋律の朗々としたものである。
 ペギー葉山が歌った滋賀県緑の歌「みどりのいっぱい」(南英一作詞/大津KMコーラスグループ作曲)のB面に「琵琶湖周航の歌」が収録されており、昭和37年発売のEPと同じ録音である。なお、A面の「みどりいっぱい」も同じ編曲者である。「みどりいっぱい」の録音時期についての情報は歌詞カード、盤面からは一切得られない。そもそも、この歌曲が如何なる由来を持つのかが不明である。作詞は南英一、作曲は大津KMコーラスグループとされている。レコードは45rpmのEPであるが、定価表示が無く、記念品的な扱いであろうと思われる。滋賀県では昭和50年(1975年)5月25日に植樹祭が行われており、確証はないが、おそらくはその関係で製作されたものかと想像する。

 一方、琵琶湖周航の歌資料館に収録されているペギー葉山の歌唱は新旋律になっている。


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吉田寮の同窓生が歌う「琵琶湖周航の歌」 1962-70年 昭和37-45年

 京都大学の吉田寮は現存する最古の学生寮である。この吉田寮の同窓会には昭和37〜45年(1962-70年 )に在寮していた方が多数所属しておられるとのことである。寮歌の伝統を受け継いでいる所という意味ではボート部と並び、「琵琶湖周航の歌」の本家の一つであるといえよう。

 この吉田寮の2007年2月と2008年2月に開催された同窓会の席上で「琵琶湖周航の歌」が歌われた。吉田寮同窓会のウェブサイトに写真と録音が掲載されている。写真を見る限り、ソレナリの年齢の方々が出席しておられるようである。歌の方は、かなりお酒が回ってからの歌唱のようで、怪しげな部分が少なくはないが、14小節目の「しがのみやこよ」は明らかに下がっておらず「新旋律」である。

 基本的にはボート部や合唱団という団体とは直接関係のない方々である(中には所属していた方もおられるかもしれないが)。新旋律が後日に刷り込まれたという可能性を完全に否定する事は出来ないが、少なくともソコソコ御年配の方々が新旋律で揃って歌っている点は見逃せない(ボート部OBの年配者は正旋律で歌う)。加藤登紀子以前に「新旋律」が歌われていた可能性を示す状況証拠の一つにはなると考える。


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昭和42年 京都大学ボート部に入部した望月氏が習ったメロディ 移行形 1967年

 昭和42年、京都大学に入学した望月志郎氏が入部するクラブを物色中に、
突然、色の黒いごつい連中に取り囲まれ、
「今から琵琶湖まで来い。ボートを漕がしてやる」
と強引にオンボロバスに乗せられ
と、拉致され、そのバスの中で
「では、今から京大端艇部の部歌、琵琶湖周航歌を諸君にも覚えてもらう」
となって、マネージャーが何小節かずつ区切りながら歌唱指導をした
と、いうことで記憶したメロディを本人が採譜したもの。 望月氏が採譜したメロディ


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 3/4拍子である点は異なるが、メロディ自体は京大グリークラブが採用したものと同じで、14小節目は「新旋律」だが、7小節目、15小節目は全音階的な上昇音型であって「正旋律」を残している「移行形」である。

 望月氏は昭和37年〜41年の間、ボート部に所属、現在は男声合唱団「ふんけんクラブ」団員という、本家ボート部出身で現役合唱団員(楽譜が読み書き出来る)という希有な存在である。ボート部の合宿の際に、青春歌集(おそらく野ばら社版と同じ正旋律)を見ながらギターを弾く人に合わせて歌った所、指導されたメロディと異なることに同期入部全員が気が付いたとのエピソードも記憶しておられる。加藤登紀子がレコード化する前に既に14小節目が変化していたことを示す貴重な証拠である。

望月氏採譜のメロディを6/8拍子に書き直した物


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昭和43年 「寮歌は生きている」に掲載された五線譜

 服部喜久雄氏(旧制高校寮歌保存会)編による「寮歌は生きている」には、旧制高等学校の校歌、寮歌682曲が収められている。五線譜付きで、いずれも各高の寮歌集などからの複写ではなく、新たに起版されている模様である。

 琵琶湖周航の歌の五線譜は、三高歌集と同じ譜割りになっており(小節途中での)改段箇所も同じであるが、4小節目で抜けていたタイが書き加えられ、「タビニシアレバ」の「タ」の部分、4分音符であったのが8分音符に訂正されている。音程については変更されていない


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昭和45年 ニニロッソ「青春の詩集」に「琵琶湖周航の歌」を収録 正旋律 1970年頃

 ニニロッソのトランペット独奏によるLP「青春の詩集」に「琵琶湖周航の歌」が収録され、同曲がシングルカット(GLOBEレーベル、発売元:日本ビクター、定価\400)された。録音はイタリアで行われている。解説には「小口太郎の作詞作曲で、古くから親しまれているが、昭和37年、キングからペギー葉山のレコードが出ている。曲もこれによく似ている「琵琶湖哀歌」があるので、間違えられやすい。」とある。メロディは正旋律であるが、「しがのみやこよ」の「し」にあたる音が省かれている。


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昭和46年 加藤登紀子「琵琶湖周航の歌」1971年版

 ポリドールレコードから昭和46年(1971年)4月10日に発売されたLP「日本哀歌集/知床旅情 加藤登紀子」に収録された「琵琶湖周航の歌」を採譜した物。装飾音的なところも敢えて音符化してある。


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 森田穣二編 吉田千秋「琵琶湖周航の歌」の作曲者を尋ねて 増補改訂版 p170に掲載されている山村基毅氏の§千秋経歴判明の経緯§(初出は「潮」1993年12月号)には、
 ちなみに三高生が聞きなじんでいる歌と、加藤登紀子さんの歌ったものとには微妙な違いがある。叙情的な歌いっぷりは加藤さん独自のものとしても、メロディの、とくに《志賀〜の み〜や こ〜よ》の《こ〜よ》が異なる。加藤さんの場合には《〜》の部分で音を下げ、さらに《よ》で下げるが、もともとは《こ》を伸ばし、《よ》で下がる歌い方なのだ。ただ、加藤さんのために弁明するなら、彼女に歌を聴かせてくれた昭和46年当時の京都の学生達は、このような節で歌っており、決して彼女が勝手に改変したわけではないのである。
とされている。

 新旋律が加藤登紀子氏のレコード発売以前に存在していたことと、正旋律と新旋律(加藤登紀子歌唱)との差違に明確に言及した数少ない文献の一つである。ただし「しがのみやこーよー」の「こーよー」部分の音型に触れているのみであって、正/新旋律の根本的な違いである「よー」部分の音程には触れていない。

「日本哀歌集/知床旅情」は、何度か再版され、CD化もされている。

http://www.tokiko.com/discography/discography02.html


 同年、ポリドールから発売されたシングル盤「少年は街を出る」のB面扱いで「琵琶湖周航の歌」収録された。録音は「日本哀歌集/知床旅情」に収められたものと同じである。後にB面の方が人気が出て、両A面扱いになった。森田編書では、「レコード化の提案は加藤登紀子自身であった」とされている。なお森田編書ではシングル発売年を昭和51年5月21日としているが、これは誤りである。前年に知床旅情で日本レコード大賞受賞という記述とも合わない(知床旅情でレコード大賞を受賞したのは1970年)。

 特筆すべきは、歌詞カードに五線譜が掲載されていることである。3/4拍子で、完全な新旋律である。


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 ルポライター稲尾節氏は、加藤登紀子氏に琵琶湖周航の歌を伝えたのは後に結婚することになる藤本敏夫(同志社大学)やその取り巻きの京都近郊の学生達であったと述べている。*)「琵琶湖周航の歌 うたの心 p20」  が、加藤氏自身は同書に寄せた巻頭文で父親が故郷の歌として「琵琶湖周航の歌」を歌っていた事に触れている。因みに、加藤登紀子氏の祖父は滋賀出身で京都で呉服商として成功した方である。父は満州鉄道勤務、その関係で加藤登紀子氏が生まれたのは1943年、満州のハルピン、終戦で日本に引き揚げた後の幼少期は京都で暮らしている。よって「琵琶湖周航の歌」とはもっと早い時期に出会っていたはずである。



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昭和46年 ケイ・松永版 「琵琶湖周航の歌」 1971年

 ヴィクターレコードからケイ・松永の歌唱で1971年に発売されたレコードから採譜したメロディである。加藤登紀子氏の歌唱から装飾音を取り除いた、まさに教科書的な「新旋律」である。(申し訳ないが私はこの歌手には全く記憶がない。1970年頃のデビューで、主として いずみたく氏の作品を歌っていた。熊本県出身との記述があり、京都とも琵琶湖とも直接関係はなさそうである。)


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昭和46年 須藤リカ版 「琵琶湖周航の歌」 1971年

 クラウンレコードから須藤リカの歌唱で1971年に発売されたシングルレコード。加藤登紀子、ケイ・松永と同年であるがこちらは正旋律で歌われている。歌詞カードに楽譜も掲載されている。

 須藤リカは1969年に「愛の宝石」で歌手デビュー。1972年には「須藤リカ/南こうせつとかぐや姫」名義でアニメ「海のトリトン」のエンディングテーマ曲をリリースした。なお、当時の「かぐや姫」は「神田川」の大ヒットの1年前で、一般には無名に近い存在だった。須藤リカは以後芸名を「立原和美」「すどうかづみ」「すどうかずみ」と変え、TV、映画などに出演している。

楽譜準備中


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昭和47年 京都大学グリークラブ 推定第2版 1972年頃

 1972年に京都大学グリークラブで歌われた「琵琶湖周航の歌」は、望月氏が昭和42年に習ったとされる旋律と同じ移行形である。男声四部合唱のハミングによる4小節のイントロ(加藤登紀子版風)に続き、1番は斉唱、2番は男声四部合唱、3番前半はハミングバックのソロ、後半は四部合唱という構成である。作者、編曲者はかかれていない。筆跡が、後述する第三版に酷似しており、同じ編曲者であろうと推定される。


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新旋律、コード付き

 加藤登紀子氏のヒット以後、たいていの楽譜はこの形となった。


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昭和54年 京都大学グリークラブ第三版  1979年

 京都大学グリークラブ団員(OB)二人の競作とされている。音楽的な構成は第二版とほぼ同じだが、前奏が「Ah」になり、合唱部分は一番高い声が旋律になるようにアレンジが変更され、さらに後奏が付けられている。旋律は移行形。


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昭和58年 三高歌集 第16版

 昭和58年に発行された三高歌集の最新版(2009年現在)に掲載された「琵琶湖周航の歌」。五線譜自体は昭和27(1952)年と全く変わっておらず、同じ物がそのまま複製されている。が、作歌年が大正8年から大正7年に改められ、作曲者として吉田千秋の名前が掲載されている。


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 堀準一氏が、三高同窓会報50号(昭和53(1978)年)にて大正6年説を発表し、さらに三高同窓会報56号(昭和57(1982)年)にて『次回印刷の時から、「周航歌」の表記を大正6年小口太郎作詞、原作曲吉田千秋」と改めていただきたい』と提案した後であるが、作歌年に関する論争は、この後、平成元(1989)年まで続いている。大正7年説を採る野呂達太郎氏は、「大正6年の周航時、コンパで披露された際の詞は、まだ未完成段階であり、作品として完成したのは大正7年である」と主張している。作詞の過程については別頁にまとめる予定である。

 先の例に倣って、小節線の位置を合わせて浄書した譜例。


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昭和59年 びわ湖 水の祭典 1984年

 南こうせつが、「ジョン(ジョンデンバー)が日本語の歌を覚えてきた」と紹介し、ジョンデンバーが歌い出したのが「琵琶湖周航の歌」であった。歌詞はかなり怪しいかったが、メロディは移行形である。途中から南こうせつと加藤登紀子が加わり三人での斉唱になったが、三人とも移行形で歌っている。

john denver-country roads and song of the lake biwa



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平成16年 世里奈 2004年 新旋律変形

 インディーズ出身の女性シンガー「世里奈」のメジャーデビューのシングルCD「琵琶湖周航の歌」が2004年7月14日に発売された。琵琶湖周航の歌は、2番までのショートヴァージョンと6番まで歌った完全版の両方が収録されている。伴奏はジャズ風のピアノトリオに生ギターが絡むブルース風。歌唱はけだるいブルース風に始まるがさびはソウルフルに歌い上げる熱唱で、従来にはない全く新しい歌い方である。同曲は2005年2月23日発売のアルバム「世里奈」のボーナストラックにも収録されている。

 メロディーはヨナ抜きされた新旋律が基調になっているが、歌詞割りが一カ所、音程が2カ所が変更されている。

 歌詞割り変更は、「旅にしあれば」の部分である。
  た びーに しーあ れーば  原曲
  た びーに しあー れーば  世里奈歌唱
  ソ ドード ドシラ ミーミ

 音程の変更は以下の2カ所、
  のーぼ るーぎーりやー(歌詞)
  ソーソ↑ソーミーレドー(ハ調記譜)

 「さぎりや」の「さ」は元々は前音と同じ「ソ」であるが「レ」に下げられている。

  しがーの みーやこーーよー
  ソラーソ ミレドミードラー

 「みやこ」の「こー」の音程は、元々は「レ」であるが「ミ」に上げられ、結果この部分のコード進行も変更されている。

 BBSにて本CDを紹介下さった「serina」氏によれば、ライブハウスなどで活動していた世里奈を発掘したのは滋賀県の「e-radio」で、彼女に「琵琶湖周航の歌」を歌わせたのも同局とのことである。歌詞カードに掲載された歌詞は高島市のHP(元今津町のHP)と同じであり、収録にあたり過去のシンガーの歌唱は、あまり意識していなかったであろうことを伺うことが出来る。先の変更も、意図的に改変したというよりは自分流に歌いこんだ結果であろう(言い換えるなら、他のシンガーの歌唱をあまり聞いていない、ないしはメロディを覚え込んではいなかった)と推測する。


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平成18年 京大ボート部100周年記念 京都大学男声合唱団

 京大ボート部100周年を記念して、琵琶湖の映像をバックに京都大学男声合唱団が1番から6番までを斉唱した様子を収録したDVDが発行された。この映像と音声はYouTubeでも視聴できる。正旋律である。

琵琶湖周航の歌 斉唱版



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平成18年 京大ボート部100周年記念式典

 平成18年(2006年) 京都大学ボート部の100周年記念、医学部ボート部50周年記念式典が開催され、その席で出席者500人により「琵琶湖周航の歌」が歌われた。この時の様子二台のカメラで収録され、その両方を YouTube で視聴することができる。これがなかなか興味深い。

 伴奏は京都大学管弦楽団の金管奏者による金管8重奏。リーダー格のトランペット奏者氏によるアレンジで「正旋律」になっている。奏者氏の証言によれば、資料としてボート部関係者から数点の楽譜(ピアノ譜含む)が渡され、メロディについては細かな注文(詳細不詳)があったそうである。

 歌唱は、さらに面白い。老若500人全員が肩を組んで上機嫌で斉唱している中をビデオカメラマンが移動しながら録画しているので、年代層と歌っているメロディがよく解る。全体としては正旋律主体、年配者は間違いなく正旋律だが、若い世代は新旋律で歌っているのである。

 ボート部に伝統として正旋律が伝わり、メロディの差に注意するように注文を付けるほど拘っている関係者も健在ではあるが、若い世代は新旋律を覚え込んでしまっている、ということである。

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平成19年 滋賀男声合唱団 第8回定期演奏会

 イントロ代わりに「ひつじぐさ」斉唱、連続して琵琶湖周航の歌の1番が斉唱で、2番、3番が男声四部合唱で歌われた。新旋律である。


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琵琶湖周航の歌資料館の試聴用CDに収められた演奏の旋律分類



DISCNo.タイトル演奏者、歌唱者録音時期旋律
分類
各部旋律形
(パネル記載のまま)演奏形態イントロしみじ[み]としがのみや[こよ]
DISC11WATER-LILIESピアノ演奏ピアノ独奏 原曲にない短いイントロあり
2七里ヶ浜の哀歌ボニージャックス男声四部重唱
+オケ伴奏
 
3ひつじ草京大グリークラブ男声斉唱 
4琵琶湖周航の歌ボニージャックス男声四部重唱
+オケ伴奏
1961-62年正旋律 
5琵琶湖周航の歌加藤登紀子女声独唱
+オケ伴奏
1971年新旋律登紀子イントロ元祖装飾音風に[シド]レ4ド8ラ4.
6琵琶湖哀歌山本和美女声独唱
+オケ伴奏
 
7琵琶湖周航の歌ペギー葉山女声独唱
+オケ伴奏
(1962年に非ず)新旋律 装飾音風に[シド]レ4.ラ4.
8琵琶湖周航の歌倍賞知恵子女声独唱
+オケ伴奏
 正旋律 [シ]レ4.ソ4.
9琵琶湖周航の歌小鳩くるみ女声独唱
+オケ伴奏
 新旋律 崩さず[ド]レ4ド8ラ4.
10琵琶湖周航の歌都はるみ女声独唱
+オケ伴奏
1981年以前新旋律
変形
登紀子風イントロ装飾音風に[シド]シ|ガーアノミヤ|
コーーヨーー|
DISC21琵琶湖周航の歌尺八 
村岡実とオーケストラ
尺八+オケ伴奏 正旋律 崩さず[ド]レ4.ソ4.
2琵琶湖周航の歌ギター 木村好夫単音ギター
+オケ伴奏
 新旋律登紀子風イントロ崩さず[ド]レ4ド8ラ4.
3琵琶湖周航の歌コロンビアオーケストラビッグバンド
+弦楽
 新旋律 崩さず[ド]レ4.ラ4.
4琵琶湖周航の歌奥田宗宏と
ブルースカイ
ダンスオーケストラ
ビッグバンド
+α
 新旋律 崩さず[ド]レ4.ラ4.
5琵琶湖周航の歌明治大学
マンドリン倶楽部
マンドリン
オーケストラ
 正旋律 [シ]レ4.ソ4.
6琵琶湖周航の歌大正琴大正琴
+オケ伴奏
 新旋律登紀子風イントロ崩さず[ド]レ4(ドレド)8ラ4.
7琵琶湖周航の歌ニニロッソトランペット独奏
+オケ伴奏
 正旋律 [シ]レ4.ソ4.
8琵琶湖周航の歌クロードチアリ単音ギター
+オケ伴奏
 新旋律登紀子風イントロ レ4(ドレド)8ラ4.
DISC31琵琶湖周航の歌渡 哲也男声独唱
+オケ伴奏
 新旋律登紀子風イントロ装飾音風に[シド]レ4(ドレド)8ラ4.
2琵琶湖周航の歌小林 旭男声独唱
+オケ伴奏
 新旋律登紀子風イントロ装飾音風に[シド]レ4(ドレド)8ラ4.
3琵琶湖周航の歌ボーチェコンパーニヤ男声独唱
+オケ伴奏
 正旋律 [シ]レ4.ソ4.
4琵琶湖周航の歌佐藤光政男声独唱
+オケ伴奏
 新旋律 装飾音風に[シド]レ4.ラ4.
5琵琶湖周航の歌フランク永井男声独唱
+オケ伴奏
 新旋律 崩さず[ド]レ4ド8ラ4.
6琵琶湖周航の歌鶴岡雅義と
東京ロマンチカ
男声独唱
+オケ伴奏
 新旋律 装飾音風に[シド]レ4(ドレド)8ラ4.
7琵琶湖周航の歌舟木一夫男声独唱
+オケ伴奏
 正旋律 [シ]レ4.ソ4.
8琵琶湖周航の歌松方弘樹男声独唱
+オケ伴奏
 新旋律登紀子風イントロ装飾音風に[シド]レ4(ドレド)8ラ4.


公開    2009.01.21.
改訂追記  2009.02.21.
三高歌集昭和22年版 追記  2009.02.28.
改訂  2009.03.08.
三高歌集昭和14年版、16年版 追記  2010.05.15.
同、画像追加  2010.11.28.
琵琶湖周航の歌資料館視聴CD項追記  2010.12.26.
ペギー葉山項追記  2011.08.31.
ケイ松永EP発売年訂正(1976→1971)  2011.08.31.
加藤登紀子EP掲載楽譜訂正(1976→1971)  2011.08.31.
須藤リカEP項追記  2011.08.31.
三鷹淳、ニニロッソ、世里奈を追記、ペギー葉山訂正  2011.12.23.
ペギー葉山 再訂正 2012.02.21.
三高歌集昭和14年版訂正 2012.02.21.

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