三文楽士の休日 / The Place in the Sun / マレーシア編

赤道直下のソーラーカーレース
World Solar Car Championship Malaysia 2001

あとがき



 本レポートはサンレイク公式サイトの叩き台となった筆者のメモを再編集した物で、2001年6月7〜14日の時々刻々に私の目に映った場面と私の感情の素直な記録である。ウエッブ収録にあたり画像貼り付けと、ドライバーの視点からの記述を加えたいという意図よりロケットスタート氏のサイト(残念ながら閉鎖中)から一部引用させていただいた内容を挿入させていただいた。テキスト自体にも若干の手直しを加えたが、帰国直後に勢いで書き上げた生々しさを残したく思い、テキストの修正は最低限に留めた。 画像をご提供頂き、引用を許可頂きましたチームの皆さんに感謝致します。 できれば、レース全体を記述したかったが、本編の通り自分たちのことだけで精一杯で、自己中心的な内容にならざるを得なかったことをご承知いただきたい。 他のチームや、地元の方々とほとんど交流できなかったのは少し残念に思っている。

 あのアクシデントが無かったら、恐らくこのウエッブサイトは存在していないだろう。あの瞬間に魔物に囁かれ、セパンサーキットのロケットスタートで呪縛に捕らわれたのは確かだと思う。以来、呪縛から逃れる術を探しているのだが、いまだに見つけることができない。
マハティール首相からのメッセージにもあったように、マレーシアは経済成長著しい熱気溢れる発展途上国であった。地方の椰子の木畑に建つ茅葺き屋根を想わせる粗末な農家と、首都クアラルンプールの高層ビルの対比に象徴されるアンバランス。イスラムファッションとヘソ出しルックの女性が並んで歩き、英語とマレー語と中国語が(すべてアルファベット表記、マレー語辞書を引いても見つからない単語は中国語)混在する混沌。 それら全てが熱帯の日射と高い湿度の空気の中で渾然一体となり、すさまじいばかりのエネルギーが満ち溢れていた。

 体感的な物価は日本の1/3、言い換えれば平均的な収入レベルも1/3。 にもかかわらず、日本と同じ価格の高級ブランド商品に人々は群がり、まさに「消費は美徳」の世界。 ソーラーカー展示上では子供を連れたお母さん方が積極的に質問してきた。書店のスペースの半分は学習参考書類。ほとんどの人とは英語で意思疎通可能(英語が通じたと書けないのはこちらの会話能力によるところが大きい)。高い教育熱と、国際感覚、ふやけた日本は直に追い越されてしまうだろう。いや、意識の上では既に追い越されていると捉えた方が正しいかもしれない。


<引用>

 巨大ショッピングモールで目にする光景は、まさに「消費熱」…「何か買わせろぉ!」という熱気が渦巻いている。それをかき消さんばかりにものすごい勢いでエアコンが効いている。映画館はこの僕でさえサマーセーターかブランケットが欲しくなることがある。道路には溢れんばかりのクルマ、おそらく排ガス規制はゆるいハズだ。多くのこうした発展を目指す国は「先進国のように…」と願っている。できれば、WSCCマレーシアを通じて、そういった国々に高効率・低消費エネルギーのライフスタイルが、現在の先進国と呼ばれる国々の生活よりも優れる可能性があることを示せれば…と願ってやまない。

 土屋敏明 マレーシアレポート(WSCC公式サイト)2000.12.04 より



 レース前日のブリーフィングにてISF(International Solarcar Federation)の岩田氏からも同じ主旨のご発言があった。 重い鉛バッテリーを搭載した800Wの手作りソーラーカーが、サイズ一杯に太陽電池を敷き詰め、NiZnやLiイオンバッテリーを搭載したスーパーカーと互角に勝負するところを見せれれば、少しはその趣意にも沿えるかな?とも思ったのだが。結果は、たくさん太陽電池を乗せ、かつ高価な=軽量のバッテリーを搭載したソーラーカーが速いよ、ということになってしまった。 大会のメッセージが、はたしてマレーシアから参加した人たちに通じたかどうか、私には少々自信がない。

 イベント終了から4年を経過して、あえて、WSCC Malaysia 2001 の記録を掲載しようと考えたのは、近年、東アジアにてソーラーカー熱(台湾からのWSC参加チーム増加、台湾一周ラリーの企画、OSUによるシルクロード走破計画、北京五輪プレイベント等々)が次第に高まりつつある中で、そのきっかけとなった本大会に関する記録がWeb上にあまりに少ないと感じたからである。 もちろん、参加された日本チームのサイトや、WSCCの企画段階から参画され、レース当日は大会役員として参加された谷氏、山本氏による詳細なレポートは、少し検索すれば見つけることができる。 しかしながら残念なことに英語で記載されたサイトがほとんど見あたらない。 参加チームのほとんど日本製のソーラーカーを用いていたということからはやむを得ない状況であるとは思うが、Worldが冠についているからには、これは少々寂しい。 何時仕上がるか御約束はできないが、気長に英訳していこうと考えています。

2005.08.31 Satoshi Maeda@Team Sunlake



空港のセキュリティチェックで引っかかったアーミーナイフと万能工具

左:スイスアーミナイフ Victorinox のHuntman。合唱友達夫婦の新婚旅行土産
右:Gerber Multi-Plier レース時本番では、万が一のための車載工具として
  針金と一緒にサンレイク号のコクピット内にガムテープで固定される。

背景:マレーシア地図 KLCCからの帰路で道に迷いかけた反省からホテルの売店で
   買い求めたが、結局その後は使うことなく終わった。



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あとがき その2


 マレーシア編を公開して2年がすぎようとしている。本編公開にあたって、サンレイク以外の参加チーム車両の写真が少ないというところが少々気になっていた。
 先日来、太田鉄工所にてスキャンさせて頂いた写真を見直していたところ、本大会での他チームの画像をたくさん見つけることができた。もちろん、サンレイク、立命館大学「Nandeyanen」とともに WSCC Malaysia 2001 に同行頂いた太田有彦氏により撮影されたものである。これを機会に、テキストだけだった旧「参加チーム一覧」を「参加車ギャラリー」に改変し、ついでに Microsoft WORD から直接出力していたがために非常にソースが読みにくかったHTMLを全面的にTAG打ちし直して、フレーム構成に組み替えることにした。

 英訳して公開するとという約束は遅々として進んでいない。この間に立ち上げた「太陽能車考古学研究所」に、多くの方々から、たくさんの貴重な資料をご提供頂いており、当面はこちらの整理に注力させて頂くということでお許しを願いたい。もちろん、このレポートも、ソーラーカーの歴史の一頁を記した記録として残ればと思っている。

2007.07.17 Satoshi Maeda@Team Sunlake



初稿   2001.06.17
改訂   2001.06.19
追記   2001.06.25
公開 第2版(web版) 2005.08.28
改訂 第3版(HTML再構成、参加車ギャラリー・他に画像追加) 2007.07.17

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三文楽士の休日 / The Place in the Sun / マレーシア編
赤道直下のソーラーカーレース
WSCC MALAYSIA 2001
World Solar Car Championship Malaysia 2001 10-12 JUNE

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