三文楽士の休日 / The Place in the Sun / マレーシア編

赤道直下のソーラーカーレース
World Solar Car Championship Malaysia 2001

第4章 異教徒への試練


2001.06.10(日) LEG1 SHAH ALAM

01:00 作業終了

02:00 ホテルに帰って飲む缶ビール(スーパーで購入)が美味しい。就寝。

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05:30 ホテルの食堂前に、食事を終えて集合

05:40 BCに移動。 なんと、また鍵がかかっている。裏口は開いているので、中に入るのに支障は無いが、ソーラーカーを出すことができない。



06:45 06:00には移動開始のはずが、今頃ようやくドアが開く。後5分遅かったら、誰かが(僕かもしれない)鍵を壊しにかかっただろう。 鍵を持って現れた係員に抗議するもニヤニヤ笑っているだけ。



08:00 自走により移動し、スタート地点に待機。Team Sunlake のモットーは納期厳守なのだ。

 LEG1は、シャーアラムの市街地を閉鎖してつくられた、ブルーモスクの横をとおり、サレンゴー州の都庁を一周する8.21kmの特設コース。9:00−15:00の6時間耐久レース。サレンゴー州の州都は首都クアラルンプールでは無く、シャーアラムなのである。 午前中の少しでも涼しい時間に、ということでスタートドライバーは下村監督、体調80%。


LEG1 スタート準備。4番グリッドにつける。

09:00 スタートのはずが、コース閉鎖の確認が取れていないとのことでスタート延期。 コースに囲まれる都庁エリアには、立体交差により特設コースを横切らなくても出入りが可能なのだが、一周8.21kmもの一般道を、数少ない係員だけで封鎖できるかどうかは正直云ってかなり怪しい。

09:07 7分遅れでスタート。

10:?? スタート&ゴールのゲートが風に煽られて倒れる。OSUのModel Sが通過する直前になんとか脇にどけられた。OSUのすぐ後ろにSunlake号。

10:40頃 ドライバー交代の為のピットイン。コースの凹凸が激しいため、車体の細かい部分にガタが来ている。 エアロパーツの装着はピレピタカット(ガムテープ)だが、高湿度でボディが慢性的に結露しているため粘着力が弱い。車体の下に潜り込んでの点検と応急処置。 なんと、その時、!!同じようにドライバー交代にピットインしていた 隣のピットの車が暴走しSunlake号に追突してきた。!!

悲鳴と怒号が飛び交う。

 追突車はSunlake号の後尾部を潰し、さらに車体の上に乗り上げた。追突車の車体底にある牽引フックがSunlakeの太陽電池パネルにめり込み、20枚中5枚のパネルが割れた。


潰れた後尾部

 Sunlakeの主なメンバーとは職場も共通しており、僕は、チーム創成期から今日までの彼らをすぐそばで見てきた。 総合研究所長の肝いりで創設された頃のSunlake は会社からの十分なバックアップを受け、40人もの大所帯を抱えていた。 社内のファッション部門が起こしたデザイン画を元に、エンジニアリング部署が設計を担当し、フルサイズの巨大な車体に大勢が群がっていた。そんな彼らを、僕は一歩離れて冷ややかな視線で見つめていた。 誘いも受けてはいた。専攻は電気工学だ。工作の腕には少々自信もあった。が、大人数で物を作り上げるという煩わしい作業は、趣味の世界では音楽だけで十分だった。 最初の一年が過ぎると大方の熱は冷め、メンバーは一挙に10人以下に減った。その後も転勤や退職で一人、また一人とメンバーは減り、今、車両の製作改良に直接関わっているメンバーは実質4〜5名、チームの扱いも社内の一同好会という枠を超えることは無くなった。

 そんな彼らから、ドリームカップ・ソーラーカーレース鈴鹿のチャレンジクラス優勝、総合入賞に至るまでの悔しい話、嬉しい話を、僕は何度も何度も、繰り返し、繰り返し、聞かされてきた。 WSCC マレーシア 2001 は、社内の同好会にすぎない小さなチームが、こつこつと実績を積み上げ、社内外の評価を得て、ようやく掴んだ海外の晴れの舞台だ。 彼らの知恵と汗と意地の結晶であるSunlake号は僕にはとてもまぶしかった。見た目は無骨で仕上げも荒っぽいが、その姿は機能美の極致だ。 この数日間、彼らと共に行動し、共に車両に手を加えてきたことで(元々、物に感情移入しやすい達なのであるが)、Sunlake号は僕自分の一部になりつつあった。 颯爽と風を切って疾走するSunlake号のイメージが僕の心の中に醸成されていた。

 そのイメージが音を立てて崩れた。 Sunlake号のボディラインは潰れて歪み、くしゃくしゃに割れた太陽電池パネルが悲しそうな青い色を放っている。 ぶつけた側のチームは泣き崩れていた。

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ソーラーカーの暴走事故

 過去のソーラーカーレースで何度も繰り返されてきた悲劇「ソーラーカーの暴走」が残念なことに、マレーシアでの記念すべき第一回大会でも繰り返されてしまった。 電動車であるソーラーカーの多くはガソリン車のようなクラッチや変速機を持たない。アクセルに相当するのは電気的なボリュームである。主電源を切断せずに作業していて、うっかりボリュームに触れてしまって暴走、というトラブルは少なくない。 私がレース観戦に行った2000年度の湖東でも暴走した車両が、メンテのために外して地面に置かれていた他チームのボディーを踏みつぶすという事故が起こっていた。

ソーラーカーの安全性

 追突された時に、既に乗り込んでいた高橋は、ほとんど衝撃を感じなかったという。実際、車自体もほとんど動かなかったため、私を含め、車両の下に潜り込んでいた3人は擦り傷ひとつ負わなかった。 ボディが潰れることで衝突の衝撃が吸収されたのだ。Sunlake号のシャーシはカーボン繊維補強コンポジット製で、太陽電池とウインカー以外のほとんどの要素がこのシャーシに取り付けられ、ドライバーもシャーシの中に座る。 アッパーボディは、発泡スチロールを削り出して作られた外形の表面に世界最強の化学合成繊維ザイロンのクロスをエポキシ樹脂で貼り付けることにより製作されている。Sunlakeと名指しは無いものの、「発泡スチロールボディは安全性に問題あり」とする意見があるが、見方を変えれば、緩衝材として働く発泡スチロール製ボディの中にカーボンコンポジット製の頑強なシャーシを配したこの構造は、衝撃吸収上、極めて合理的な構造であると云える。 もちろん発泡スチロールだけでは衝撃を受けた際に緩衝部材が飛び散ってしまうことも考えられるが、緩衝要素をザイロンの薄い外骨格で包むことにより、全体が、あたかもエアバックのように作用するのである。

「もう、『ボディが発泡スチロール製だから、安全面に問題がある』なんて、誰にも云わせない。」(下村)

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事故直後のピットエリア

青字部引用

 約2時間、周回数にして10周を経過した時点でドライバー交代の為ピットイン。ドライバーはS監督からワタクシkazuoへと交代する。 交代自体は素早く行なったものの、ボディの下回りの固定が甘くなってきており、これを補修する為、しばらくガムテープを使った応急処置作業が続く。

「まあ車体への負担も考えて、最初はゆっくり行こうかな?」

とか考えながら、作業が済むのを待っていたその時、 考えられない悲劇が我々を襲ってきた。

グァシャーン!

隣りのピットでドライバー交代を行なっていたチームのクルマが突然暴走!!  その勢いのまま我々のSunLake号の後尾部に激突してきたのである。  SunLake号の後尾部は大破!!!

・・・ただただ絶句・・・最も見たくない状況が目の前にある・・・

 激突の衝撃はボディが壊れることにより吸収してくれたおかげで クルマの下にもぐって作業していたピットクルーにも、コクピット内にいた 私にも怪我は無かった。これがせめてもの不幸中の幸いである。

http://www.geocities.co.jp/Outdoors/8250/wscc2.html  (by Kazuo)

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「いいか、絶対に最後まで走り切れ。途中でやめたりしたら許さんぞ。」

 彼らにそう告げて、僕達は立ち上がった。告げた相手は、彼らの瞳に写っていた自分達自身だ。 僕たちには泣いている暇なんて無い。

この一件については、ジョナサンの日記に客観的な記述がある。
我々の対応を評価してくれている人がいたのは嬉しい。

http://www.jonasun.com/~hiroweb/russianj-nikki-6-10.html

12:00頃  車両をBCに移動。まずは、割れたパネルを剥がさないと、ボディのダメージが見積もれない。解析班と材料調達班に分かれ行動開始。 携帯電話で解析結果が逐次、連絡されてくる。

 シャーシ部には大きな損傷無し。さらに幸いなことに、アッパー部のリムにも致命的ダメージはなさそうだとのこと。アッパー部は、表面をザイロンクロス含浸エポキシ樹脂で補強した発泡スチロール製。中の発泡スチロールはグシャグシャに潰れているが、世界最強の繊維クロスで作ってある外殻は、原型を保っている。例えるなら、ザイロンの袋の中にコンパウンドが詰まっているような状態である。

 電話相談の結果、後尾部全体を型で整形しておき、必要な部分にはザイロンクロスの補強を入れ、内部にエポキシ樹脂を注入して固めてしまおう、ということになり、僕たちは即席の整形型を作るためのベニヤ板や材木類、太陽電池パネルを再貼り付けするためのコーキング材などを買い込んでBCに戻った。 渡航前に、「これ使うような事態になったらオシマイだよなあ」と云いながら積み込んだ予備の太陽電池パネル、ザイロンクロス、エポキシ樹脂、それらを全て使うことになってしまった。



 急いで整形用の型を作らなくてはならない。 電動ジグソーか、せめて回し弾き鋸が欲しいところだが、マレーシアのDIYショップにあった鋸は、全て欧米式の幅広押切りタイプ。 手元にある鋸は、初日、飛行機搭乗前の荷物検査で引っかかった僕のスイス製アーミナイフ「ハンター」付属の鋸刃のみである。 BC入り口の階段でその鋸を引いていると、ガードマン氏が見かねて押さえるのを手伝ってくれた。 「おまえが木工の腕を振るうような事態になったらオシマイだ」と云われてマレーシアまで来たのだが、ここでオシマイにはしない。



15:00 LEG1終了。ぼちぼちとBCに帰ってきたチームが、日没までの太陽光による充電に入る。天気は快晴。充分フルチャージできるだろう。パネルの修理のため充電さえ出来ない我々のために特例として機器による充電が認められた。車が走れる状態になれば、これでハンディなしだ。 立命館大学のみなさんが、食事の買い出しを申し出てくれた。感謝。 他のチームのメンバーは気のせいか? 日焼けして見える。

「僕らも焼けたかったよなあ」(竹原)

 四苦八苦したが、ボディへのエポキシ注入完了。シャーシ、ボディーの細かな損傷部分のリペアも、なんとか完了。 明日レース会場であるセパンに備え、後輪のセッティングもサーキット用に戻した。


ベニヤ板と角材の弾力を利用して曲面に圧力をかけて整形する。

19:00 エポキシが固まるまで、各自休息。

22:00 BCに再集合。目論見どおりボディは固まっている。 損傷した5枚のパネルの内、完全に割れてしまった3枚を予備パネルに交換。中国製らしきシリコーンシーラントでパネルを取り付ける。明朝までに固まってくれるだろうか?


三日連続の深夜作業

24:00 作業終了し、ホテルに帰る。明日の朝は早い。


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三文楽士の休日 / The Place in the Sun / マレーシア編
赤道直下のソーラーカーレース
WSCC MALAYSIA 2001
World Solar Car Championship Malaysia 2001 10-12 JUNE

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第5章 憧れのセパン

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