三文楽士の休日 / The Place in the Sun / マレーシア編

赤道直下のソーラーカーレース
World Solar Car Championship Malaysia 2001

第3章 赤道直下の凶暴な太陽



2001.06.09(土) 公式車検&予選

04:00 お経が始まる。

07:30 ホテル食堂に集合。下村監督の体調は70%あたりか。平澤、高橋より、昨夜のコースチェックの結果、後輪のセッティングを変えるべきだとの提案あり。下り坂で下手をすると100km/hr近くまで速度が上がり、すぐに直角にカーブ。まさに命がけ。下り坂を目一杯利用するために取り付けたラチェットをフィックスすることに決定。車検までには、まだ充分時間がある。

09:00 BCにて作業開始。



 当時のサンレイクは、後輪に搭載したNGMホールインモーターの車軸に自転車用のラチェットを組み込んでいた。 ラチェット採用により、起伏の大きい鈴鹿サーキットでは、コースの半分近くを惰性のみで走行可能となる。ラチェット採用は、単純にエネルギー消費を抑えるというだけでなく、鉛バッテリーを間欠的に使うということで、バッテリー電圧を高めに維持できるという効果も生んだ。それは、ドリームカップ鈴鹿8時間耐久レースが70周回前後だった時代に、大面積の太陽電池とNiZnバッテリーを搭載したドリームクラスに、鉛バッテリー搭載のチャレンジクラス800w級ソーラーカーが挑むための秘密兵器であった。

09:50 作業完了


一般車両に混じって走行中。物珍しさに、一度追い抜いてから、引き返してくるバイクもいた。

10:15 車検会場へ自走により移動。道路は封鎖されていないため、一般車に入り交じっての走行。警察が見ているわけでもない。日本では考えられない状況である。一般車は興味津々で近づいてくる。サポートカー1台ではブロックしきれない。至近距離まで幅寄せしてくる車もありヒヤヒヤ。信号待ちするソーラーカーなんて滅多に見られる物ではない。右折をどうしよう、と思っていたが、対向車は発進しない。みんな見とれているんだ。


初体験の信号待ちから右折。背後がコンコルドホテル

11:00 車検開始。ドライバーの体重チェックで少々躓く。日本で調製してきたバラストが全然足りないのである。マレーシアに来て痩せたわけではない。体重計が極めて怪しげなのだ。後で見に行ったらデジタル式の別の秤に交換されていた。数kg損したかもしれない。

 重りが足りないので、急遽辺りに重い物は無いか?と三秒後には、平澤、前田が工事で残されたと思われる大理石を見つけ砕きにかかっていた。コクピットに入るかどうかも怪しい巨石を拾ってきた平澤は、オフィシャルに制止された。結局、複数の重りの組み合わせでも良い、ということになり用意したバラストを二個使うことでOK。しかし、秤が怪しいことを認識しながらも、そこに文句を付けず即座に追加の重りを探すという行動に出た自分たちに今は、少々呆れている。


11:30 車検終了。待機場所はブルーモスクの真ん前。午後の予選までは、ここから動けない。12:00から始まるお昼のお祈りは1時間以上続く。モスクからは拡声器を使って大音量でイスラムのお経が流されている。五音階っぽい節回しと独特のリズム、日本のお経に似ていなくもない。



 太陽は真上から照りつける。それなりに日焼けするが、ヒリヒリしたりはしない。紫外線の分布が違うんだ。赤道直下はオゾン層が厚い。短波長側の成分が少ないのである。気温は高いが、日本の都会の夏のように体温以上になることはない。せいぜい30〜33℃ってところか? 問題は湿度。90%以上あるのは間違いない。


木陰を求めて。ぶっかき氷を頭に乗せて涼を取る。

15:30 予選開始。スラロームと最高速の合計で競われ、停止時はブレーキテストを兼ねるというもの。ドライバーは自称、元暴走族の平澤、堂々の4位。下村監督、体調万全とは云えないが、明日からのレースを前に、「寝ていろ」と云っても寝ている性格じゃない。モンモンと過ごした約2日間を吹き飛ばすかのようにの予選時からバシバシ指示が飛ぶ。


予選はコースの一部を使った最高速テストとスラロームテストの点数の合計

17:00 BCブダヤコンプレックスに戻る。往路があまりに怖かったので、立命館大学と組み、前後をサポートカーでガードし、間にソーラーカー2台をはさんで帰ることにした。


 突貫作業中のUTM(自動航空学研究グループ)にエールを送って欲しい、とのTVクルーからの要望に応え、信号喇叭を借用してHAMA零チームと競演させていただいた。UTMのSURIA KAR IIは。なんとかLEG 1に間に合った。

 サポートカーは5人乗り、男性メンバーは6人いるのでどうしても一人あぶれてしまう。この日は筆者があぶれさせて頂き一足先にホテルに帰らせて頂きました。早速、もう一つの目的に向けて行動開始。筆者のもう一つの目的はマレーシアの民族楽器収集である。ところが、フロントや売店で、マレーシアの民族楽器が何処に行けば手に入りそうか?と尋ねるも、答えは「知らない」ばかり。 考えてみれば、当然の結果ではあった。 もし、日本で外国人から「三味線や楽箏が欲しい。どこに行けば買えるか?」と急に問われて、すぐに答えられる人がどれだけいるだろうか?

 部屋に帰ると掃除中。ダメモトと思って掃除に来ていた地元のお姉さんに尋ねてみると、普通の楽器屋ならすぐ近くにあるとのこと。早速その店に向かう。ホテルから徒歩5分ほどのその楽器屋は、なんとYAMAHA音楽教室である。 奥からはヴァイオリンの音が聞こえてくる。 とりあえずYAMAHAブランドのソプラノリコーダー(Made in Indonesiaだった)を一本購入し、店内で日本の曲を数曲披露、いったい何事か?と人が出てきたところで尋ねると「クアルンプールのセントラル・マーケットに行け」 とのこと。やっとこさ貴重な情報を得ることができた。

18:00 他のメンバーは明日からの本戦に備え、BCにて準備中だが、ホテルに取り残された筆者はすることもないのでホテルのプールに行くことにした。泳いでいるのは欧米人5−6人。モスレムの家族連れも涼を求めてプールに入っているが、オトウサンとまだ小さい子供達は普通の水着だが、オカアサンは伝統的イスラムファッションのまま、ジャブジャブとプールに入り、子供をあやしている。ブルーモスクを拝みにきて、このホテルに滞在しているのだろう。日本だったら周囲から興味本位の視線をあびるところだろうが、誰も意に介する様子はない(それ以前にプール監視員から制止させられるだろうが)。昨日のランチタイム、クアラルンプールのショッピングモルのレストランでは、西洋式、中国式、インド式、みな様々に自分たちの流儀の様式で食事していた。多民族国家マレーシアならではの光景だろう。


地元新聞にデカデカと写真が

19:00 メンバーに合流。 なんと、ここに来て、エアロパーツが紛失しているということにようやく気づいたとのこと。「やられた!?」 思い起こせば、初日にコンテナから降ろした記憶がない。積み忘れることの無いように、まとめておいたはずなのに。大至急の材料調達に走り回るが、ベニヤ板、日本なら何処にでも落ちている発泡スチロールが見つからない。

19:15 明日からの競技に関するブリーフィングが予告された時刻に会場に向かうと、???予定された会場は大宴会場に姿を変えている。 マレーシアには慣れっこになっているはずの、イベントプロデューサー笹氏(オルティブ、日本窓口)も、このときは顔色が変わっていた。

19:45 30分遅れにて別の部屋で日本人向けブリーフィングが始まる。このころにはマレーシア時間に慣れてきてしまっている。平澤、高橋、前田 が参加した。

 1) 公式言語は英語
 2) 全体説明はこのブリーフィングが最初で最後
 3) 勝負は3日間の走行距離の合計。チェッカーと同時に、その場で停車。
500m毎にオフィシャルが立ち、レース終了時の位置を記録する。
 4) LEG3,LEG4は公道。完全封鎖に努力するが(!)完璧さは期待できそうもない。
犬、猿、オートバイがコースに入り込む可能性もある。
(実際、マレー猿と体長1m超の大蜥蜴の目撃情報が寄せられた)。
 5) コース内、起伏、下り坂+急カーブ、ロータリーなど危険個所に注意。
 6) 公式通知はHQに掲示されるbulletin。New Bulletin が優先される。
   たとえばLEG1、LEG3はグリッドスタートに変更になっている。
   Bulletin、Noticeをチェックするのは参加者の義務。いちいちアナウンスはしない。
 7) マレーシア旗 :スタート
チェッカー :ゴール
黄旗 :注意、危険、追い越し禁止
赤旗 :重大な問題発生 停止
緑旗 :クリアー
 8) オフィシャルの許可があれば、コース内にサポートカーは入って良い。
 9) メディアの車がコース内に入る。
10) コンサルタント、審判委員長、紹介
11) 長谷川ドクター(ラリードライバー経験者)からの注意。水分補給を忘れずに。
初日、かなりのドライバーが脱水症状で倒れたらしい。 2日目、レース後の充電時間に我がチームも飲料水不足で、高橋が脱水症状に。(セパンには売店が無い) 三日目(も人工都市なので生活インフラは無い)は、オフィシャルからミネラルウオーター12リットルが各チームに配られた。
12) ISL岩田氏より、模範的ソーラーカーレース(スピードではなくエネルギーマネージメントを競う競技であるということを)をアジアに見せてあげてほしい。
13) 特例 そもそもは、1日目、3日目は公道を走るので免許が必要。しかしながら、コースクローズドが表向き保証された(現実には完全封鎖には至らなかったが、)ということで、堺市立工業高校の高校生ドライバー(当然、免許無し)の参加を参加者全チームの同意があればという条件付きで認めたい。特に異論無し。

細部で芦屋大学と大阪産業大学が火花を散らす場面もあったが、VIPが多数出席するパーティ開始を、あまり遅らせるわけにはいかないということで幕。
20:50 先の大宴会場でウエルカム・ディナーが始まった。中華料理。ホテルには申し訳ないが、昨夜の屋台の方が数段美味しい。


先ほどの大宴会場。舞台左奥に東海翔洋の先代Falconが置かれている。
日本から寄付された、というような紹介に東海大関係の皆さん「???」

 来賓によるマレー語の長い挨拶。さっぱり解らない。4〜5人出てきたが、みんな原稿の丸読み。だったらせめて英語でしてくれよ。 生演奏でマレーシア舞踏が台上で披露されるが、バンド編成はギター、ベース、ドラムス、キーボードにフルートとパーカッション。唯一パーカッション奏者の奏法だけが少しだけ民族色を出していたが、使っていたのは近代スタイルの楽器ばかり。メチャクチャうるさい。メンバーはグロッキー気味。適当なところで退散。

23:00 紛失したエアロパーツを、今晩中に作り上げなければならない。全員が疲労で潰れては元も子もないので、熟眠班と作業班に別れる。作業班(竹原,平澤,前田)はパーティを抜けだしBCブダヤコンプレックスに移動。24時間OPENのはずのBCに鍵がかかっているではないか!。 10分後、別のチームが鍵を調達してきてOPEN。

 警備員氏に貰った貴重な発泡スチロール、ベニヤ板、ピレピタカット(マレー語でガムテープ)による深夜の製作作業。アーミーナイフのノコギリが活躍する。


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三文楽士の休日 / The Place in the Sun / マレーシア編
赤道直下のソーラーカーレース
WSCC MALAYSIA 2001
World Solar Car Championship Malaysia 2001 10-12 JUNE

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第4章 異教徒への試練

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