The Place in the Sun

三文楽士の休日 2010浜松編

Solar Bike Race in Hamamatsu 2008-2010
ソーラーバイクレース in 浜松 2008-2010

灼熱のオーバルトラック

二年がかりのプロローグ 第二部(2009)


2008年9月

 ソーラーバイクレースin浜松2008が終わって間もない時期に谷田部先生から
   「ソーラーバイクレース浜松に出場することを決めた」
と、メールが届いた。よほど琴線に響いたようだ。とはいえ、後にTeamJunlake本部と呼ばれることになる上野原にはバイクどころか鉄工設備もモーターも電気計器も無いはずだ。どうやらヤフオクで電動パッソルの中古を狙っているらしい。


2009年9月19日 00:37   滋賀県某所

 あと4時間半後に迎えが来るのだが・・・・あれやらとれやらで眠れない。

 最も気がかりなのは、今日明日開催されるソーラーバイクレースin浜松2009に持ち込むバイクの性能が全くの未知であることだ。はたしてバイクは走るのか?

 谷田部先生から

   「ソーラーバイクレース浜松に出場することを決めた」

と、メールが届いたのは、昨年のレースが終わって間もない時期だった。よほど琴線に響いたようだ。とはいえ、後にTeamJunlake本部と呼ばれることになる上野原にはバイクどころか鉄工設備もモーターも電気計器も無い。どうなることだろうと心配していると、どうやらヤフオクでヤマハの古い電動パッソルを落としたようだ。裏では平澤某監督が色々と手引きをしている様子。


 なりゆきで、チームは谷田部先生一味とサンレイクのジョイントチームになることになった。初会合は今年の2月、都内某所。会合は盛り上がりはしたが、具体的に何をどうするかという中身には入らず、結局チーム名が「JunLake」になることだけが内定した。

 8月のソーラーカーレース鈴鹿は雨雨雨。雨のソーラーカーレースが楽しいはずもなく、さらに主催者側が競技途中で充電時間を延長するという、愚かとしか云いようのない裁定を行ってくれたおかげでエネマネ作戦もボロボロ。サンレイク本部はヤルキ下がりまくりなのだが、上野原は俄然元気だ。上野原からは、連日パッソルをどう料理したらよいか?という質問メールが来るのだが、何せ実物が手元にないのでなんともしようもない。

 件のパッソルは、その昔、ヤマハが鳴り物入りで発売した電動バイクのパイロットモデル。当時としては画期的なLiイオン電池を搭載し、軽量でスイスイ走ると云うのが売り文句だったのだが、いざ蓋を開けてみるとそのLiイオン電池が気むずかしくてクレーム連発。ヤマハ必死の努力にもかかわらず、ついには発売中止に追い込まれてしまったというイワク付きの代物である。


 Liイオンバッテリーパックは2組が附属しており、AC100V電源からの充電アダプターも付いているフルセットではあるのだが、問題は、ソーラーバイクレース会場で、各チームにあてがわれる300W太陽電池パネルからどうやって充電すれば良いかである。谷田部監督から分厚い取扱説明書のコピーをいただいてはいたが、バッテリーの安全回路や、充電器の中身に関する記載は皆無。そもそもサンレイクにはLi系バッテリーを満足に使いこなした実績は全くないのである(お釈迦にしたことはあるけれど)。

 わからないことはやってみるしかない。
 やってみようにも現物が手元にない。

ということで全ては浜松入りしてからしか、なんとも動きようがないのである。


2009年9月19日 02:00  大阪組(高橋、メン君とメンパパ)が出発。

 滋賀経由で僕を拾って、国道1号線から新名神→東名阪→伊勢湾岸→豊田から東名高速。持ち込むのはピクニックキット一式と、エレアコギターにアンプ。これからモータースポーツ競技に参加しに行くと云っても、誰にも信じては貰えまい。

 高速道路を一律¥1000にするという、思いつきとしか思えない愚かな政策に、ある者は浮かれ、ある者は怒り、ある者は嘆いているが、幸い僕たちは渋滞らしい渋滞にも捕まらず、受付開始8時直前に到着できた。

 東京組その1:平澤サンレイク監督組は、前日に静岡入り。余裕のよっちゃんで受付開始時刻より遙かに早く会場入りしていた。

2009年9月19日 07:55  大阪組、浜松オートレース場に到着



浜松オートレース場エントランス

 エントラントが来ないので、受付は後回し。ピットと充電ステイションの設営、タープも張ってハンモックも据えた。無いのは車両だけである。



毎度の充電ステイション設営



突然の轟音に天を仰ぐとブルーインパルスの編隊飛行

 さて、車両はそのころ、まだ東名高速道路の渋滞の中を西に向かって走っていた。

 そう、東京組その2:ジュンレイク監督組(谷田部監督と木村女史)は、八王子を午前2時に出発、横浜経由で東名高速に入ったのだが、高速道路代が¥1000になった5連休の初日、覚悟の上での超早起きだったのだが、現実はさらに厳しかった。パッソルが到着したのは、既に車検が始まっている午前10時過ぎであった。



東京組その2 到着

 初エントリー、初監督。長旅の疲れも見せず、超ハイテンション(だった。この時は)


 先にも書いたように、車両は谷田部監督がヤフオクで仕入れた年代物のヤマハ電動パッソル。ヘッドライトをLEDに交換した以外は、ほとんどドノーマルである。ライダー候補の木村女史の練習を始めたが、自転車で怪我をしたトラウマでバイクはダメ、とのことで今回のライダーデビューは残念ながら見送り。

2009年9月19日 11:35  タイヤ交換


 タイヤは、恐らくパッソル発売当時の物がそのまま付いていたようなので、新品タイヤに交換。やる気満々である。


2009年9月19日 13:30  6時間耐久  第1ステージ(2時間) スタート



スタートライダーはメンパパ

バイクは走った。・・・・・・・・でも5分で止まった。

話が違う。


 平澤も立ち会って、上野原キャンパス内で試走をして「大丈夫!」と太鼓判が押されていたのだが、バッテリー容量を甘く見すぎていたようだ。でもまあ、それは想定の範囲内。そもそもこのバッテリーパックこそがリコール問題をひきおこし、パッソル発売中止に追い込んだ張本人なのである。まともに動作するはずがない・・・・・・それにしても期待していたよりは随分と容量が小さい。体重が軽いライダーに交代したりしてみたが50歩100歩。


 バッテリーが5分で切れるなら5分で充電すれば良いのだ。バッテリーパックは2セットある。一組のバッテリーで間欠レースした昨年とは違う(はず)なのだ。

 バッテリーパックの中身は7直列ということなので 電圧は28−30ボルトだろう。レースで支給される太陽電池パネルは 定格 15v50w が6枚。2直3並列で30ボルト、開放電圧はさらに高く36−38ボルトくらいはある。こいつを直接バッテリーに突っ込めばなんとかなるだろう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・という希望的観測は、あっけなく崩れた。

 電流が全く流れない・・・・・・・・・接続を疑ったくらいに流れない・・・・・・・おそらく充電回路に電圧制限があるのだろう。

 このままでは充電出来ない。

 充電が出来なければ、初期充電された分を使い果たせばそこでおしまい。バッテリーは二組。内一組は既に使い果たした。もう1パックもくたばり具合は同じだろう。つまり、僕たちが今使える全電気エネルギーを使っても、後5分、総計10周くらいしか走れない。6時間耐久レースは最初の10分で終わってしまう。

 この事実が明らかになった時には、もう笑うしかなかった。


 ピットはちょうどいい具合にタープが張れ、風が通る一等地だ。秋晴れで天高く、風は清々しい。ギターを持ってきているので僕的には退屈しない。日頃怠っている基礎練習でもミッチリしようかな。誰かが「人生ゲームでも買ってこようか」と提案した。それも悪くない。青空の下で二日間マッタリすごせば、鈴鹿から引きずっていたムシャクシャした気分も少しはマシになるだろう。ピットは、やや自虐的ながらも、そこそこ明るい軽口が飛び交っていた。

 しかし、ピットの一角が、まるでムンクの「叫び」の背景のように暗い。冷たく重く淀んだ空気の塊の中には異質なオーラを放つ谷田部監督。期待に満ちて乗り込んだレースが最初の10分で終わってしまったのである。うつむき、肩を落とし、今にも崩れそうだ。メンパパ氏や木村女史が取りなしても返事は虚ろ。雰囲気を和らげようとする平澤のジョークは逆効果になり、谷田部監督の姿は益々小さく冷え込んで行く。


 ここに来て僕たちは、ようやく一つの目標を見いだした。

 バイク(物)はドーデモ良いが、氷点下にまで落ち込んだ谷田部監督を、せめて常温にまで引き上げておかねばならない。そのためにはバイクを走らさなくてはならない。

 今はまだ全競技の最初の種目が始まったばかりではないか。全種目が終了するのは26時間後。24時間以内にバイクを動くようにできれば、少なくても最後の種目には出場出来る。時間は十分ある。

 目標が定まれば、動きは速い。

 最初に目を付けたのはインバーターだ。フリースタイルでのBGM拡声用に自動車バッテリーからAC100を取り出せる小型インバーターをメンパパ氏が持ち込んでいたのである。12ボルトの鉛バッテリーを接続すればAC100ボルトが手に入る。

 こいつを使って太陽電池をAC100Vに返還すればいいんだ。これで、プラグイン充電用の充電器に電力供給して、充電すれば良いのだ。


 DC12ボルトを突っ込むと、たしかにAC100ボルトの出力は出る。  太陽電池を急いで6並列に接続し直し、出力をインバーターに入れると、エラーランプが点灯した・・・・・・・・。

     
 やっぱりだめか・・・・・DC12ボルト入力用のインバーターに、パネルの開放電圧17−18ボルトは高すぎたのだ。

 谷田部監督は、すがるような表情で僕たちの作業を見ていたが、僕と平澤が顔を見合わせて溜息をつくと、事態を察し、さら強烈なマイナス・オーラを発し始めた。浜松オートレース場の一角だけがペギラに襲われた東京のようである。この時の監督の写真を誰も撮影していないという事実から、如何に彼がシリアスに落ち込んでいたかが想像出来るだろう。
   
 やはり、DC−DCコンバータが要るのか・・・・・秋葉原か日本橋に行けば、なんとかなるだろうが、不案内な浜松で、そんなマニアックな物を明日までに手に入れられるとは思えない。

 困った・・・・・・・このままでは僕たちまで谷田部監督の冷気に襲われて凍り付いてしまうかもしれない。その時脳裏に太陽電池のV−I特性のカーブがひらめいた。電流をどんどん吸い込んでやれば太陽電池の出力電圧も下がるはず。電流を飢えたように吸い込む物は、空っぽのバッテリーだ。

   
 パネルとインバーター入力の間に空のバッテリーを入れれば、パネルからバッテリーに電流が流れ、バッテリー充電電圧にまでパネルの動作点が落ちるはず、それならどうだ、と試しにアウトドア用の電源モジュール内蔵の鉛シールバッテリーをつないでみると不安定ながらもインバーターが動作した。しかし鉛バッテリーが満充電に近づくと電圧が高くなりインバーターがトリップしてしまう。まずは鉛バッテリーを空にしなければならない、ということで最初の仕事は鉛バッテリーに充電されていた電力を放電するという情けない作業になった。

   
 ともあれ、こうして、直流をわざわざ交流に直し、さらに直流に再変換して充電するというまどろっこしい充電メソッドが確立された。

    太陽電池    

    鉛バッテリー    

インバータ(DC12V→AC100V)

パッソル専用充電器(AC100V→DC30V?)

  Liイオンバッテリー  

 なんともオバカ方法だが一応はDC−DCコンバーターの原理に忠実な構成とも云えなくはない。この際、贅沢は云うまい。レギュレーション上、鉛バッテリーの取り扱いがグレイだが、これは蓄電池ではなくアナログ降圧器なのだ・・・・・と言い張ろう。この分のペナルティが科されようが不問に処されようが、順位的に大差はあるまい。どのみちこのスピードでは後ろから数えた方が早そうなポジションしか取れそうもないのだ。

 最初に使ったインバーターの定格は100w、最大瞬間出力が300w。パネルは定格300wなので天気が良くなったらパンクするおそれがある。実際19日は曇天気味だったがそれでもインバーターモジュールは手で触れないくらいに熱くなっていた。あわててアウトレットショップに走り、定格300wのインバーターを手に入れたが、不良品なのか、負荷との相性が悪いのか、AC85ボルトしか出力せず、こんどは、パッソル充電器が動作しない。店に置いてあった最も表示出力が大きいインバーターがこいつだが、何故か一番安かった。物が高価なのには理由はないが、安いのにはやはり理由があるのだ。

   
 結局先のアウトドア用モジュールのインバーター部を切り離して、こちらを初段のDC−AC変換に使う事により、比較的安定した動作になった。常時監視していないと、トリップしてしまうがリセットすれば再動作してくれる。なんとか連続した充電が可能だ。

 件のアウトドア用の電源モジュール、こちらもフリースタイルのBGM拡声用電力を太陽電池から供給すれば、少しは得点もあがるだろうとメンパパ氏が持ち込んだ物だ。フリースタイルの出し物は「20世紀少年」。出し物を決めたのは浜の女神様:木村女史である。その主題曲の「20th Century Boy」をギターで弾こうと、提案したのは僕だが、それはバイクと一緒に走り回る役を、単に避けたかっただけだ。ギターアンプには乾電池でも使おうと思っていたのだが、それが回り回ってソーラー・ギター・アンプになったのは、メンパパ氏の差し金である。本人も気づかぬうちに先の先を読んで布石を打っていたとしか思えない周到な準備である。予言の書は、彼が書いていたのかもしれない・・・・・。


ともあれ、谷田部監督に笑顔が戻り、周辺温度も常温に戻った。

恐るべしはメンパパである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


2009年9月19日 16:00

 苦肉の策の綱渡り的充電メソッドで、なんとか6時間帯九レースの第1ステージは乗り切った。しばしの休憩の後、次は5周スプリント競技である。


 休憩時間の間 じっくり充電すれば電力的には5周くらいは大丈夫だろう。だれもがそう信じていた。スプリント競技ではライディング技術が勝負である。全員一致で隠し球のゲストライダー中村氏の起用を決定する。地元ヤ○ハにお勤めである。自社製品であるパッソルについても、一度は乗車経験を積んでおくべきだろう。とかなんとか云って、渋る本人に無理矢理ヘルメットを被せ、コースに送り出した。


 スプリントレースは 約30mをダッシュで走ってバイクに飛び乗る「ル・マン」式スタートである。ライダー中村氏は、素晴らしいスタートダッシュを見せ、なんとバイクの手前5mで靴が脱げ、履きに戻るという余裕たっぷりの見せ場を作ってなお、素早くバイクを発進させ、スタート後10m位までは猛然と加速を見せた。これが Team Junlake 唯一テクニックが光ったライディングである。



こちらはスプリント第二組、こっちの組でなくて良かった・・・・。

 ライダー本人、パッソルのパワーモードの存在を知らなかったのだが(誰か教えろよ)、ピットからの指示で適当にボタンを触ったところ偶然スイッチが入ったようである。バイクはパワーモード全開走行になった。とはいえ実のところ時速30kmしか出ない。元々そういう仕様のところを、ドノーマルのままであるからして、どうしようもないのである。抜かれながらも、最初の1周はそれなりに走っていた。異変に気付いたのは2周目に入ってすぐである。速度がみるみる落ち、1/4周ほどしたところでライダーN村氏は地面をけり出した。予想より遙かに早い電欠、ライディングテクニック以前の問題で一回目のスプリント競技はリタイヤになった。

 どうやら全開にすると、放電レートが上がりすぎ、電池から取り出せる電力量が激減してしまうようだ。パワーモードはそれにさらに輪をかける存在でしかない。結局 時速15〜20km位で、しょぼしょぼ走らない限り、ろくに距離が稼げないまま、すぐに止まってしまうのである。



バッテリーパック2本合わせても10分ほどで満杯になって
しまうので、休憩時間が長くてもバッテリーの充電的には
意味がない。しかし、人間の充電には十分意味がある。

 ようやく、バイクとバッテリーの癖を把握した僕たちは、第2ヒート(夜の部)と明日はしょぼしょぼモードで乗り切る決意を固めたのであった。


2009年9月19日 17:30 6時間耐久レース第2ステージ(1.5時間)


 ソーラー競技なのに夜も走らせるのが、このイベントの特徴の一つ。昼間と同じ距離を走っても1.5倍のポイントが付くのだ。他のチームは、このステージのためにエネルギーを残しているのだが、当チームはロクに走れないのでショボショボである。



暗闇のオドメーターチェック



明日の朝までバッテリーとバイクは一カ所に集められて保管

 昼間にはブルーインパルスの編隊飛行。さすが、航空自衛隊の基地がある浜松市、毎日ブルーインパルスの練習が見れるのか!と羨んだが、練習ではなく本番だった。浜松市は花博真っ最中。その煽りで市内のホテルが取れず、宿舎は浜名湖の対岸、しかも複数ホテルにバラバラ状態、移動だけでも一仕事なのである。ほとんど全員が徹夜明けに近い状態で朝からフル回転、ヘロヘロなのはバッテリー以上にメンバーの知力と体力なのであるが、それでも宴会は開かねばならない。なにせ Team Junlake メンバー全員が揃ったのは、この日が初めてなのだ。この夜のビールは本当においしかった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2009年9月20日 05:40


 二日目 窓から差し込む朝日で目覚める。窓の外には浜名湖。眼下まで波が打ち寄せているなかなかの眺望であった。バッテリー解放は7時からだが、ヘロヘロバッテリーは10分も充電するとすぐに一杯になってしまうので、長時間かけて充電しても(少しは増えるが)得られる物は少ない。ということで舐めきってホテルを7時出発。それでも会場入りはチームで一番早かった。

 

2009年9月20日 08:00  6時間耐久レース第3ステージ(1.5時間)

 第3ヒートは昨日の例に従ってトロトロ走り。一周600m程度のコースを平均5周程度 約3kmを時速15〜20kmで走ると9〜12分である。その間に使っていない方のバッテリーを充電する。天気も良く、コントローラーを睨んでいないとすぐにインバーターがトリップしてしまうのだが、こまめに手動リセットすれば、まあまあ充電出来る。バッテリー切れでバイクが帰ってくる頃には、ほぼ一杯になっている。つまりはノンストップで走り続けることが出来る。


 「まったり」はしているが「どよ〜ん」とした空気はない。空は快晴。ライダー交代とバッテリー交換が10分おきにあるので、それなりに忙しい。ライダーは順番。コース上の、どのあたりでバッテリーが切れるかが解らない(突然、モーターが動かなくなる)ロシアンルーレット状態である。切れたらそこからはキックで帰ってこなければならない。パッソルの座席は意外に高く、短足には辛い。

2009年9月20日 10:00  フリースタイル・パフォーマンス競技


 二日目のメインイベントはフリースタイル競技。今回、Team Junlkake が最も力を入れた部門である。出し物は「20世紀少年」。


 スタートラインから浜の女神お嬢さんが手作りした「ともだち」マスクを被り、「ともだち」幟旗を振りながら走る、高橋&谷田部二人乗りバイクを、エアギター背負った平澤ケンジがローラースケートで狙撃しながら追う。ともだち二人は、炎天下にスーツ&ネクタイ姿である。

 ゴールでは、ソーラー・ギターアンプで拡声した「20th Century Boy」が生演奏され、「ともだち」コールが沸き起こる「群衆」の中には、トレンチコート姿の中村オッチョと、白衣の女神、精一杯若作りした平澤カンナ、カメラマン件エア・マークボラン役のメンパパが待ち受ける。ギタリストの筆者も上下黒にネクタイ+黒のトレンチコートである。


 審査員席前でサインを送る「ともだち」を、微動だにせず、トレンチコートで待ち続けたオッチョが狙撃、旗を掲げたままバイクから落ちて息絶える谷田部ともだち、迫真の演技である。

残念ながら、メンバー全員が出演しているので記録画像はない。

 考え抜かれた演出と、ぶっつけ本番としては十分な上演内容であったが、審査員には全く理解されず(おそらく「20世紀少年」自体を知らない世代が多かった)全然ウケなかった。しかし、この種目での順位が、Team Junlake の成績の中で最も高かったのは事実だ。


 フリースタイル競技が終われば、ほとんど夏も終わったも同然である。後はマッタリと時間を過ごそう、そう皆が思っていたときに事件は起きた。

 しばらく姿の見えなかった浜の女神様が凄い剣幕で戻ってこられたのである。カンカンにお怒りである。一体何事かと訪ねれば、競技用バイクが置いてあるのを見つけた谷田部監督が女神女史を「バイクと一緒に写真を撮ろう」と誘ったまでは良かったのだが、バイクの所まで行くと、そこに浜松オートのレースヴィーナス嬢!。谷田部監督は女史を放っておいてヴィーナス嬢を撮影しだしたとのこと。こちらがその問題画像である。


「ジュンジュン サイテー!」

「オンナゴコロ、ワカッテナーーイ!」

 その直向きさが次第に寄せ集めメンバーの心を掴み、「ジュンジュン」という愛称まで定着してチームの求心力となりつつあった谷田部監督、その監督への尊敬の念は一気に消え、一瞬にしてボロクソの罵声を浴びる存在になってしまった。信頼を培うのは難しいが、信頼を失うのは容易い。その実例を目の当たりにした出来事であった。


 午後のスプリントは安全運転に徹した。トラブルが無ければピットクルーは退屈なのだ。ライダーと充電係以外は、ほとんどお昼寝モードである。レース場のど真ん中でハンモックで昼寝出来る、この静寂な環境こそがエコレースなのである。


 第4ステージは、初レースのメンパパ氏に満足するまで乗って頂き、最後は初オーナー、初エントラント、初監督の谷田部先生が感涙のチェッカーを受けてゴール。

 結果や順位は最初から度外視である。まったりと二日間、楽しめれば、全てよし。

 世は5連休、高速道路はどこまで行っても¥1000。メンバーは大渋滞の中に吸い込まれ 四回目の浜松は幕を閉じた。



浜松2010本編 §1 翼を持つ使いのバイク

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三文楽士の休日

SOLAR BIKE RACE in HAMAMATSU 2008-2010

2010浜松編「灼熱のオーバルトラック」 プロローグ第二部(2009)

第一稿  2010.09.10.

Copyright Satoshi Maeda@Team Sunlake
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