物語の発端は2年以上過去に遡る。
2008年7月13日 滋賀県某所 サンレイク・ガレージ
前年秋から SUNLAKE EVOの製作と オリンピア騒ぎの渦中で、サンレイクメンバーは精神的にも肉体的にも一杯一杯であった。そんな中、道具を探して掘り返していた棚の奥から、不吉な塊が見つかった、丸く膨らみかかっているが、元々は直方体だったはずである。4年前、パトラ大学に向かう高速道路脇で狼狽した記憶がまざまざと蘇った。
それはリチウムイオンポリマー電池末期の哀れな姿だった。ギリシャ遠征時に1/3を過充電で駄目にし、さらに残りの2/3も雨の鈴鹿での過放電でお釈迦にしてしまった残骸である。その際、危険レベルにまで膨らんでいたセルについては処分したはずだが、まだ原形を保っていたセルについては、日頃の貧乏性が災いして捨てることが出来ず、それらはガレージの棚の奥にしまわれ、忙殺される日々の中で記憶からも消えかけてしまっていたのだった。
そのセルが、パンパンに膨らんでいるではないか、これはまずい。
慌てて、埋まっていたセルを全て取り出し、処分に取りかかったが、よく見れば、全てが膨らんでいるわけではない。大多数は正常な状態だ。電圧を測ってみると、まだ、かろうじて生きている状態。きちんと管理して充電し直せば使えそうだ。貧乏性=貧乏症は一度かかると治らない。
「忙」という字は「心を亡くする」と書く。正常な判断能力が鈍っていた僕は、即座に、残ったリチウムイオンポリマー電池がソーラーバイクに使えるのでは?などと、とち狂ったをことを思いついてしまったのであった。
バイクは勿論 FUJIO号。
2006年、太田鉄工所に、第一回ソーラーバイクレースin浜松への出場を相談に行ったところ、「ちょうど、一台作ろうと思っていたところや。」という有り難いお言葉に乗り、製作をお手伝いさせていただいたものの、電流容量を読み違えて高価なIGBTを何台も潰してしまい、最後の最後はリレーを使ったON/OFF駆動、あげくにレース直前、メンバーの一人がバッテリー正負を間違えて、動力系配線の被覆を全て融かしてしまい、配線を総取り替えしなければならなくなったという難産の末に生まれた電動バイクである。
FUJIO号2008
バイクの心臓部になるモーターは安川電機製800watt、DCブラシモーター:立命館大学ソーラーカーサークルのNandeyanen号が、1996朝日ソーラーカーラリーin幕張の学生クラスに初出場し、クラス優勝した際に搭載されていた由緒あるモーターだ。しかし、永久磁石の経年変化により界磁が弱くなり決定的にトルク不足。当初設定したギア比も高すぎたのであった。
翌2007年、大容量のIGBTを使った制御系に載せ換え、さらに駆動系をコグベルトとチェーンを使って二段階に減速に交換、ようやく完成形に仕上げたものの、ソーラーカーのお古のバッテリー4直で駆動という仕様が、レギュレーションに定められたバッテリー容量を大幅にオーバーして、−88kmものハンディを背負っての参加になり成績はボロボロ。傾斜のあるオーバルコースにパイロンによる登坂スラロームが設置されたコースに、トルク不足かつ40kg近いバッテリーを抱えた重量級バイクは無力と云うことを思い知らされる結果だった。
鉛バッテリーを、このリチウムイオンポリマー電池に載せ換えれば、労せずして実に30kgの軽量化が実現出来るのである。
2008年7月23日 大阪市内
ソーラーカーレース鈴鹿2008開幕の1週間前。ただでさえ一杯一杯に拍車が掛かっているところに、さらに我がチームはFIAへの意見書をまとめるのに脳みそ沸騰状態である。
朦朧としながら出張先の夏の日差しの中を歩く僕に、「8月末からスペインに行ってこい」という鞭打つような電話がかかってきた。ミッションは僕の専門外の分野の調査。直感的に、盆休みは予習と準備に費やされて事実上無くなるなと覚悟したが、そんなことはドーデモ良い。最大の問題は帰国予定がソーラーバイクレース浜松の6日前の深夜、バイクレースの直前に自分の手では作業らしい作業が全く出来ないということだった。
2008年8月1〜3日 ソーラーカーレース鈴鹿
2008年8月23日 太田鉄工所
太田鉄工所では既に、
・HANA号 をより省エネ仕様に
・FUJIO号 をカットビタイプに
という二つの計画が進行中であった。中身はHANA号はモーター取り替え、FUJIO号はギヤ比見直し+超軽量バッテリー採用である。
2008年8月30日〜 9月07日 バレンシア
2008年9月08日
時差調整に取ってあった休みであるが、御礼とお土産(話)を届け方々、任せっぱなしバイクを見に太田鉄工所を訪問。
・Hana号はモーター載せ替え。
環流ダイオードが全く熱くならない、ということで、
かなり省エネ化が進んだものと期待できる。
・FUJIO号はギア比1.5倍 + 軽量化(Liイオンポリマー電池)
2008年9月10日 バッテリー充電
恐る恐る、バッテリーを充電。57V,10A,2.5時間 約1400WH
本来二分割にしておきたいところだが、余裕がないのと怖いので、今回は見送り。
2008年9月12日 バイク積み込み担当は平尾と前田
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日時 2008年9月13日(土)〜14日(日)
場所 浜松オートレース場
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2008年9月13日 6:00 大津市某所に関西組集合・出発
小雨がパラつくあいにくの天気
今回は、
関西からの参加は、高橋、平尾、前田
東京から平澤夫妻
現地で中村
ゲストが帝京科学大学の谷田部先生
というメンバーである。
浜松に到着し、早速二台のバイクを下ろして性能チェック
HANA号はスロットル(正しくはボリューム)全開で27〜8km/hr まあ、こちらは省エネ性能改良が目玉なので最高速はこんなもの。
問題はFUJIO号、全開でも20km/hrしか出ないのである。ギヤ比を戻してみても大差なし。バッテリー軽量化が全く生きていないばかりか、40kgもの鉛バッテリーを搭載していた昨年より、性能ダウンしているではないか。
カットビに生まれ変わっている姿を期待していた僕たちの士気は一瞬にして萎えてしまった。
FUJIO号のバッテリーは一組しかない。つまりはバッテリーを適度に使ったら、休憩して充電、ある程度溜まったら 再び走る、という間欠走行しかないのである。6時間耐久では結果が出せないので、カットビに期待してスプリント重視の作戦だったのだが、根本から見直さざるを得なくなってしまった。唯一、バイク性能のハンディが無いフリースタイル・パフォーマンス競技のネタはロクに考えてないし、準備らしい準備もしていない。イザとなれば毎年同じのラッパ演奏でお茶を濁そうと企んでいたのだが、肝心のトランペットを積み込み忘れてしまっているのだ。
と、いうことで、車検すら受けていない間から、テンション下がりまくりである。
天候も今ひとつ
ピットと充電スタンドの設営。作業を始めるとそれなりに少しは元気も出てくる。
気を取り直して車検に望むが、「サイドミラーは?」と問われ「あれ?・・・・・・・・・・」
HANA号のサイドミラーが付いていない。そういえば、太田鉄工所で積み込む際に外したような気がする。しかしミラーのみを乗せた覚えがない。応急対策として左右に付いていたFUJIO号のミラーを片方移植。大まけで車検合格をいただいた。
6時間耐久レース 第1ステ−ジ(2時間)
HANA号のライダーは体重の軽い平澤夫人と平尾。ゆっくりながらも、それなりにマイペースで走り続けている。一方のFUJIO号は、図体デカイ上に、メタボ気味のライダー、スピード全く出ないので抜かれっぱなしである。
スプリント競技は諦めて欠場、その競技時間さえ充電に充てざるを得ない。ピットはゴロゴロお昼寝場と化している。
ところが、何故か一人だけハイテンションの人物がいた。本日のゲスト:自称レースキングの谷田部先生である。2007、2008年と、ソーラーカーレース鈴鹿のピットツアーを御担当。トレードマークの髭は以前からメンパパ氏の鈴鹿「裏」イベントレポートに登場していたので妙に親近感はあるが、実際のやり取りは2008年のピットツアー前準備が最初に近い。その際に、こういうイベント(ソーラーバイクレース)もあるよ、と御紹介したところ、「是非」ということでの御来場である。
暇を持てあましていた高橋がメンパパ氏に、テンション下がりまくりの状況報告をメールしていた頃、先生の方は、同じ相手に、「これこそ僕が望んでいたイベントだあ」とばかりに、燃える心情をメール送信していた。受信したメンパパ氏は「?????」状態だったようだ。
日曜日に別件を抱えた谷田部氏は後ろ髪引かれる思いでお帰りに。
サンレイクが燃えたのは、やはりトラブルシューティングだった。しかし自グループのトラブルではない。立命館大学チームのパンク、それも空気が抜けた状態でも平然と走り続けているのを見かねて、「いい加減にしないと、タイヤが崩壊するぞ」と某監督が警告して停めさせたのだ。
そもそも、彼等の電動バイク「緑の蛙」号を作ることになった発端自体が、このタイヤがあったから、ということなのだが、それさえ数年前の話。タイヤはいったい何年製かも解らない程古い代物で、ひび割れだらけ、チューブに空気を入れているから形を保っていると云っても良いような状態だ。
チューブにあいた孔は、幸いまだ一カ所。もう少し長く走っていたら、チューブそのものがズタズタになっていただろう。
「パンク修理キットを探してこい。」
某監督に、こう命じられた彼等は、レースオフィシャルにホームセンターの場所を訪ねもせずに見ず知らずの浜松の街に出て行ってしまった。浜松オートの職員に助けを求めれば、パンク修理道具位貸して貰えただろうに・・・・・・と思うのだが、シャイなんだなあ。結局彼等が戻ってきたのは、とっぷりと日が暮れてからだった。
6時間耐久レース 第2ステージ(1.5時間)は夜の部
第一日目の終わりを告げるチェッカー
ようやく先のパンク修理キットが到着、バッテリー保管所の照明が消えそうなのを「まだ消さないでーーーー。」と頼み込んで延ばして貰い、古典的なパッチ方式でパンク修理。学生メンバーでパンク修理の経験があるのは一人もいなかったようで、結局、全てオジサンが作業することになった。
若人よ、自転車のパンク位、自分で直せるようになろう
この日の夜は例によって大宴会・・・・のはずがホテル近隣の飲み屋は何処も満員。なんとか一軒に「席が空いたら電話を、すぐに駆けつけるから」と空席待ち予約を入れ、なおも夜の浜松を徘徊しつづけると、前から長野訛りの会話が聞こえてきた。同じくソーラーバイクレースに出場中のプロミネンスのみなさんである。僕たちと同様、宴会場を求める夜の難民として街を彷徨っていたのだ。
「今日中に晩飯にありつけるだろうか?」
行儀が悪いのは百も承知で、コンビニで缶ビールを買い込み、道ばた宴会を始めようとした矢先に、先ほどの店から電話があり、かろうじて醜態をさらすことな夜を過ごすことができた。
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2008年9月14日 08:00 6時間耐久レース 第3ステージ(1.5時間)
一応、並んではいるが、半ば二日酔いである。
耐久レースもスプリントレースも、高得点は望むべくもない。唯一可能性があるのはフリースタイルパフォーマンス競技なのだが、先に述べたとおり、今回は全く準備ができていない。こういうときこそ「俺の出番」と平澤監督。
HANA号では、ローラースケート履いてのライディングを披露。
FUJIO号では、高橋のライディングと、平澤のローラースケートのコラボ。
勢い余って平澤が転倒し、掌を擦り剥く程の熱演であったが、
審査員にはどちらも全くウケなかった。
ウケるのはこういう系統、この年以後フリースタイル競技は
着ぐるみと演技力を競う傾向に一段と拍車が掛かることになる。
フリースタイルの余韻が冷めやらず、6時間耐久レース第4ステージはミニのオネーサンにパンダや虎が混じっている。
サンレイク最後のゲストライダーは、持っているカメラを取り
上げ、無理矢理ヘルメットを被せて乗せてしまったこのお方。
Mr.BunBun Boyさんである。
表彰式は、もちろん出番はナシ
総合優勝は、夜の街を一緒に徘徊したプロミネンスチーム。当チームはというと、
HANA号 総合 16位/全21台 6時間耐久 11位/二輪16台中 スプリント − フリースタイル・パフォーマンス 19位/全21台中 FUJIO号 総合 18位/全21台 6時間耐久 14位/二輪16台中 スプリント − フリースタイル・パフォーマンス 8位/全21台中
と、後ろから数えた方が早いという情けない状況。
結局、2008年は谷田部先生の情念だけがオートレース場に残されるという結末になったのであった。
長い、長ーい プロローグ 第二部(2009)
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三文楽士の休日
SOLAR BIKE RACE in HAMAMATSU 2008-2010
2010浜松編「灼熱のオーバルトラック」 プロローグ第一部(2008)
第一稿 2010.09.10.
Copyright Satoshi Maeda@Team Sunlake
The Place in the Sun