The Place in the Sun

三文楽士の休日 2006浜松編

Econo Solar Bike Race in HAMAMATSU 2006
第1回 エコノ ソーラー バイク レース in 浜松 2006

ソーラーバイクレース参戦記

 

セクション1 製作編

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2006年9月22日

 電話の向こうから明るい声が響いた。ハマ零の山脇一氏からだ。11月に浜松オートレース場を会場にして、固定式ソーラーパネルからの充電による電動バイクのレースを行うという。チーム・サンレイクに該当するバイクは無いが、身近なところで Team Otus と 立命館大学チームには小型の電動バイクがある。なにより「第1回」というところに食指が動いた。

 「第一回目ってのは語れるんですよね」

マレーシアでのキムヒデ氏の言葉である。WSCC in Malaysia 2001 は文句なく第一回目だったのだが、残念ながら、その後、語られることは無い。

   
2006年9月30日 滋賀県栗東市 Team Otus 本拠地:太田鉄工所

太田氏に相談すると
 「小型バイクは、元々神戸フルーツフラワーパーク構内の移動用にと廃物利用で作ったものなので、レース仕様ではない。よってレースに出る気はなかったが、それでもよければ貸し出しOK。」
との、ありがたいお言葉。さらに、「実は・・・」

 Two and Four 系イベント用にと、新しい電動レーシングバイクを製作する計画がある、というではないか!!

 2006年、湖東でのエコカーフェスタの「何でもEV耐久レース」は参加者不足で不成立になってしまった。理由はレギュレーションの車両規格が現実離れしていたという点につきた。「自動車用の汎用バッテリーや廃物パーツで作れるような車両規格でなければ、一般の学校チームやアマチュアチームは出場したくても出来んぞ。」と詰め寄る太田氏に、レギュレーションを策定した某氏が「わかった、ならば『これや』という車両を作って入れ。車両規定はそれに合わせよう。」と応えた。というところがそもそもの発端であるという。

「来春までに作れば良いと思って、のんびり構えていたが、忙がしゅうなってしまうなあ。」と云う太田氏に、「浜松レギュレーションに合わせるのに必要なパーツは集めます。出来るところは手伝いますから、是非作ってください。」と、勢いでお願いしてしまった。

 一ヶ月後に、自分の浅はかさと見通しの甘さを痛いほど思い知らされることになってしまうとは、もちろんこの時は夢にも思っていなかった。

2006年10月15〜28日 太田鉄工所


 太い鉄パイプも太田氏の手にかかると針金のごとく自在に曲げられ、みるみる間にバイクの骨組みが作られていった。プロフェッショナルの手際の見事さに、こちらはただ傍観するのみである。結局、新車の方で、僕が作ったのは車体デザインとは全く釣り合わないバッテリーボックスだけである。



2006年11月03〜05日 太田鉄工所

 世間では3連休。

 電装系くらいはお手伝いしようと思っていたが、小型バイクの方のパーツ取り付けに手間取っている間に柴田さんが仕上げてしまわれた。この御二人のコンビネーションの間に割ってはいるのは不可能だ。合間々々には、僕の工作の甘さにビシバシと厳しい指導が入る。

 試運転。

 ユニーク以後、ソーラーカー用モーターと云えば、モーターコントローラー付きの直流ブラシレスモーターだ。過保護に育った僕にとって、剥き出しの直流ブラシモーターを扱う場面は30年前の学生実験以来の経験である。

 無負荷の空運転、調子よくタイヤは回った。手伝うつもりだった僕の仕事はほとんど役に立たず、叱られるばっかりだったが、ともかくバイクはできあがった。後は細かな調整と、バッテリー充電等々の準備だ。数分後、その期待は露と消えた。

 太田氏がバイクに跨り、鉄工所前の駐車場を、最初はソロソロと様子見ながら一周。チェーンの音は国道のノイズに消され、未調整のままのブレーキがディスクを擦る音だけが聞こえている。さて、もう一周、と太田氏がスロットルを回したとたんブレイカーが落ちた。


「 ? ? ? 」

 ブレイカーだけではない。制御部の心臓とも云えるIGBTモジュールが破壊されていた。制御部は小型バイク「 HANA 」、立命館大学の「 Green Moss 」で実績のある制御回路と同じ構成である。「おかしいな?」結局、原因がわからないまま、あれこれ試行錯誤している内に3つのIGBTが御陀仏になった。

 「わからん。お手上げや」

 既に、レース事務局には2チーム2台で申し込んであった。旧車1台だけでの出場という選択肢もあるにはある。しかし、無理を云って太田さんにここまで作っていただいた新車バイクを走らせずに終わるわけにはいかない。なんとかしなければ。

 学生実験で整流管を扱っていた僕の時代にはIGBT:絶縁ゲートバイポーラトランジスタなんてしゃれた物は、まだ世の中には存在していなかった。しかも畑違いの企業に就職した僕は、自慢じゃあないが学校卒業以来、電機屋らしい仕事はほとんどしていない。一ヶ月前の自分の安易な判断を悔やみ、胃の痛みに耐えながら文献と参考書を探して読みあさった。

 アマゾンで取り寄せた参考書「よくわかる パワーMOSFET/IGBT入門」は最初の3頁を読んだところで本棚の肥やしにすることにした。今知りたいのはIGBTモジュールの作り方じゃない。こういう時に頼りになるのはIGBTメーカーの技術資料と、困ったときの「トラ技」だ。

  三菱半導体 IGBTモジュール アプリケーションノート
  富士電機 IGBTモジュール アプリケーションマニュアル
  トランジスタ技術2004年8月号 IGBTの基礎とトラブル対策


2006年11月08〜10日 サンレイクガレージ

 NGMモーターコントローラーが発する強烈なノイズでデジタルの電圧計をかき乱された経験から、原因は高電圧ノイズであろうと見定めた僕たちは、バイクをサンレイクガレージに運び込み、見よう見まね、あり合わせの部品をかき集めてノイズカットの保護回路を付加した。ようやく分流器が入庫したので電流計も取り付けることができた。立命館大学、現役電機系研究室所属の森口氏の助言がありがたい。

 無負荷では、相変わらずモーターは調子よく回ってくれた。後輪ブレーキで負荷をかけながら電流計で駆動電流をモニター、電流計フルスケールまで負荷をかけても、モーターは回り続けてくれた。「ノイズカットが効いた。」と、この時までは思っていた。

 夜更けにビクビクしながら試走。発進時には、過負荷気味だが、注意深く操作すれば操作すれば電流コントロールが可能だ。だが電流を気にするとトルクは乏しく、加速は鈍い。

2006年11月11日 午前 サンレイクガレージ

 東京から現れた平澤監督に状況をひとしきり説明。試走してみるとバイクに跨った監督に「電流計から目を離すな。」と云おうとした一瞬前に「クン」というかすかな音と共に4つめのIGBTが昇天した。その瞬間に僕たちは全てを悟った。ノイズからの保護回路は全く役には立たなかった。IGBT破壊の原因はノイズではなく本質的な過電流だったのだ。再び目の前が真っ暗になった。

 大容量のIGBTモジュールがあれば良いのだが、電力用半導体素子なんてものは、ほとんど一般には流通していないので納期は3〜4ヶ月というシロモノである。レースは1週間後に迫っていた。

2006年11月11日 午後 太田鉄工所

 「最後の手段や。リレーでガツンと行こう。」と太田氏。

 リレーを介しているだけマシだが、要するにスイッチOn/Offによる人間チョッパー制御である。本番で、こいつを使う羽目になろうとは。PWMモジュールの可変抵抗を外し、代わりにスイッチを取り付け、IGBTの代わりにはスクラップにされるパワーシャベルからもぎ取ったという巨大なリレーユニットを取り付け、回転数を落とし、トルクを稼ぐためにギヤ比も変えてもらった。

 

 無負荷運転。バッテリー充電器を電源代わりに使う。スイッチを入れた瞬間には50Aフルスケールが振り切れるが、すぐに定常回転に落ち着き、無負荷時の駆動電流はせいぜい3−4A。

 タイヤを地面に下ろし、軽く試運転。文字通り「ガツン」とスイッチONすると、バイクはスルスルと動き出した。スイッチに連結したスロットルバーで小刻みにOn/Offすることによりスピード調整も可能だ。

 「ちょっと(電装系を)甘く見ていたな。不本意だがしょうがない。
  兎に角、これでなんとか走れるだろう。気を付けて楽しんできてくれ。」


2006年11月12日 サンレイクガレージ

 巨大なリレーに合わせて間にあわせで作ったカウル兼メーターパネルは(僕が作ると)例によって木製である。

 広い場所に運び、再度試運転。定常状態で、どれくらい電流を食うのかを把握しておかないと、耐久レースの作戦を立てることが出来ない。「ガツン」と発進し、ON状態を保つと普通のバイク並みの加速である。直線100m程ではまだ加速途上。しかもその間、電流計の針はフルスケールに張り付いたままだ。

 まずい。

 おそらくは定格の10倍近い電流が流されたモーターからは、既に焦げくさい臭いが漂い始めていた。相当こまめにOn/Offし、Off時間を十分長く取らないとモーター焼損は必至である。4ヒートに分かれているとはいえレースは6時間耐久である。大丈夫か?

 既に、レース一週間前の日曜日。天気はぐずつき、試走できた時間は僅か。カウルの仕上げ、制御用バッテリーの電欠やフューズ切れなど、細かい初期トラブル対応と、予備バッテリーセットの充電準備に追われ、作業はここまで。

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再び 2006年11月13日  18:45 東京 秋葉原電気街

 レース直前のweekday5日の内4日間は出張という過密スケジュールだった。

 予備バッテリーセットの充電に加えて、
 定格の48Vのままでは、モーター焼損の可能性が高いため、
 駆動電圧を24Vまで落とした場合の電流の流れ具合と運動性能の把握、
を事業所に残ったメンバーに依頼し、後ろ髪引かれる思いで二泊三日の出張に出た。初日の仕事が終わった後、秋葉原で部品漁りをしていた僕にかかってきたのが冒頭の電話だった。

 電気街のネオン看板に、パトラ大駐車場で寒風に耐えた夜の情景がダブった。

 その夜、最悪の事態:前日の試走で痛めつけたモーターの絶縁がとうとう悲鳴をあげ、焼損短絡に至った、を想定した僕は、モーター弁済のために、直近にコレクションに加えた珍品、セルマーEsソプラノフリューゲルホーンを売りに出す決意を固めた。

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