Solar Car Archaeology Research Institute


ソーラーカーの歴史 概論

The Outline of the Solar Car History

太陽能車(Solar Car)考古学研究所/TEAM SUNLAKE
前田 郷司




◆◆◆ INDEX ◆◆◆

1.緒言
2.ソーラーカー
3.ソーラーカーの誕生
4.ソーラーカーによる長距離ドライブ記録
5.ソーラーカーイベントの歴史
  5.1 ソーラーカーイベントの推移
  5.2 ヨーロッパ
  5.3 オーストラリア
  5.4 北アメリカ
  5.5 アジア
  5.6 アフリカ
  5.7 日本
6.ソーラーカー競技会団体と車両規格
7.結語
8.謝辞

参考文献
著者紹介

1.緒言

 ソーラーカーとは広義には「太陽から得られるエネルギーを動力に用いる自動車」と定義することができる。太陽エネルギーで乗り物を動かそうという試みには、飛行機、船舶、自動車(2輪、3輪以上)の例がありソーラーカー(Solar Car)は、これらのうち地上を走ることができる3輪以上の車輪を有する乗り物の総称になる。歴史的にはスターリングエンジンや太陽熱蒸気機関の利用も試みられたが 1) 2) 3)、事実上は「太陽電池から得られる電力を主な動力源とする電気自動車」と考えて良い。
 本稿では、ソーラーカーの誕生から今日までの長距離ドライブ記録とソーラーカーイベントの歴史を辿り、ソーラーカーが今日の交通手段に投げかけているメッセージを探ってみたい。


Asahi Solar Car Rally 1995

2.ソーラーカー

2.1 ソーラーカーの電気系基本構成

 ソーラーカーの最小基本構成は、操舵機構を持つ車体、車輪に連結されたモーター、二次電池(バッテリー)と太陽電池である。


図1.ソーラーカーの電気系基本構成

 二次電池を搭載することに違和感を持つ人も少なくないが、安定した日照の元で、ほぼ一定の電力を出力する太陽電池と、速度変化や勾配変化に応じた大きな負荷変動が生じるモーターとの間には両者を仲介する電力バッファーが不可欠である。二次電池がなければ、ひとたび日陰に入ってしまったソーラーカーは永久に日陰から脱出できない。しかし、この二次電池の存在がソーラーカーと純電気自動車の境界を曖昧にし、ソーラーカーの性格付けを難しくしている。太陽電池と二次電池間には充電制御を行うMPPT(最適電力点追尾回路)、二次電池とモーター間にはモーターの制御回路が挿入される。
 先に、ソーラーカーとは電気自動車の一種であると説明した。昨今の日本の自動車メーカーが発表している電気自動車の外見は、普通のガソリン自動車とほとんど変わらない。しかし、ソーラーカーイベントに出場しているソーラーカーの外観は、それら電気自動車とは、似ても似つかない。まずはこの点を整理しておく。

2.2 ソーラーカーのエネルギー事情

 一般的な乗用車の水平投影面積は6〜9平方mである。仮に6平方mの面積に変換効率20%の太陽電池を隙間無く敷き詰めれば定格約1200wとなる。太陽電池の定格値とは、ほぼ赤道直下の正午に晴天であった場合の出力であるから日本の緯度で日出から日没まで平均すると晴天であっても実力はその1/2程度(昼夜と天候の影響を考慮すると1/7程度)、すなわち実際に太陽電池から得られる電力はせいぜい600wで馬力換算すると1馬力に満たない。普通乗用車は100馬力以上、軽自動車で50馬力、原動機付き自転車でも3〜5馬力程度であるから、ソーラーカーが自前で調達可能なエネルギーが如何に貧弱かが理解できよう。

 ガソリン自動車ともう少し厳密に比較してみる。ここでソーラーカーが使えるとした1馬力弱のエネルギーは走行中の平均値である。一方、乗用車に搭載されたエンジンの100馬力という出力はピーク値であって、走行中常に100馬力使っているわけではない。比較のため燃費15km/litterのガソリン自動車が60km/hrで定常走行している際の消費エネルギーについて試算してみよう。ガソリンの燃焼熱量は 44MJ/kg=44MWsec/kg=12.2kWhr/kg、レギュラーガソリンの比重を0.73とすると 8.9kWhr/litterにである。燃費15km/litterのガソリン自動車が60km/hrで走行すると、一時間あたり4litterのガソリンを消費する。よってこの自動車は平均すると常時35.6kWのエネルギーを消費していることになる。馬力換算すると50馬力弱である。なお実際のエンジン出力は消費エネルギーにエンジンの効率(0.25程度)を乗じるので12馬力程度になる。すなわちソーラーカーと普通乗用車の平均消費エネルギーは出力基準でも10倍以上、消費量では50倍の差となる。ソーラーカーは化石エネルギーを使った乗り物に比較して圧倒的にエネルギー不足なのである。

 次に電気自動車をソーラーカー化する場合について考えてみる。日本の公道走行が可能な基準を満たしている市販の電気自動車に太陽電池パネルを乗せれば構成要素的にはソーラーカーの要件を満足する。電気自動車の車重はベースになった乗用車より重くなるケースが多いが、比較のため同程度の車重であったとすると、走行には平均で12馬力程度のエネルギーが必要ということになる。実使用条件下に於いては走行時間より駐停車している時間の方が長いため、駐停車時間中に充電して蓄えた電力を短時間に集中的に使用するという形での間欠駆動は可能である。1時間駆動するためには12時間以上停車して充電していなければならず、長時間の連続運転は望めない。

2.3 エネルギー源によるソーラーカーの分類

 かかるエネルギー事情から、ソーラーカー開発のアプローチは、
・不足電力を他から補う。
・少ない電力で走れるよう車体を適応させる。
の二通りに分かれる。エネルギー調達面からソーラーカーを分類すると図2.の様になる。



図2.ソーラーカーのエネルギー事情的分類

 外部電源からの充電を行う場合、その電力が太陽光から得られたものか、はたまた火力や原子力発電所で発電されたものなのかを区別することは難しい。よって、分離型ソーラーカーとソーラーアシスト電気自動車の境界線は極めて曖昧だが、ソーラーカー愛好家には太陽光電力のみを使うか否かに強くこだわる人が多いため本稿ではあえて別分類とする。

2.4 太陽電池分離型ソーラーカー

 1961年、米国の科学雑誌Popular Science誌に、ソーラーパネルを備えた充電ステイションから
このタイプのソーラーカーが日本で最初に公開されたのは、1985年の東京モーターショーにおける東京電機大学の藤中教授が行ったデモ走行と試乗会になる。欧州では元々小型電気自動車がある程度普及していたこともあり、競技会では、このタイプのソーラーカーのカテゴリーが設けられている。



分離型ソーラーカーの例「東京電機大学 Sunbird」
(朝日ソーラーカーラリーにて、画像提供 山脇一氏)

2.5 ソーラーアシスト電気自動車

 電気自動車にソーラーパネルを搭載し、駆動用バッテリーに充電できるようにすればソーラーアシストの電気自動車(ソーラーEV)となる。また、分離型ソーラーカーを一般の商用電源を用いて充電すれば同様である。後述するが、先の藤中教授のデモ車両も公道を走行実験の際には商用電源からの充電を併用している。日本テレビの人気番組「ザ!鉄腕!ダッシュ!!」に登場し、日本一周一筆書きを達成したソーラーカー「だん吉」号もこのタイプに分類される。



ソーラーアシスト電気自動車の例「Otus S-EVen」
(朝日ソーラーカーラリーにて、画像提供 太田有彦氏)
リヤウイングに太陽電池を搭載したEVの例、ミニカー扱いで
公道走行許可を取得した数少ないソーラーカーの中の一台。

 三菱自動車が2007年の東京モーターショーで展示した電気自動車「i MiEV SPORT」には天井部にCIS型太陽電池パネル(推定昭和シェルソーラー製)が搭載されており、駆動用電源に充電が可能、すなわちソーラーアシスト電気自動車である。ただし1週間の充電で走れる距離は20kmに過ぎない。



三菱自動車の「i MiEV SPORT」(東京モーターショー2007にて)

2.6 ハイブリッド・ソーラーカー
 太陽電池と燃料電池の併用が最初に試みられたのは三洋電機が1992年に製作した「MIRAI 1」号である。「MIRAI 1」号ではアモルファスシリコン太陽電池にリン酸型燃料電池、二次電池にはNiCd型が使用された。いずれも三洋電機の当時の先端開発アイテムであった。最近では玉川大学ソーラーチャレンジプロジェクト(小原宏之教授)がバラード社の燃料電池(PEFC)と太陽電池とのハイブリッド車を開発している。
 人力も立派な動力の一つであるが、初期に欧州の競技会で多く見られた人力(足こぎ)とソーラーとの併用車については、ソーラーアシスト自転車(ソーラーバイシクル)の変形と解釈した方が実態に近い。

 

ハイブリッドソーラーカー 「三洋電機 Mirai 1」(SANYO MUSEUMにて)

 1991年発売のマツダのセンティア(サンルーフに太陽電池を組み込み、停車中の換気に利用)、トヨタのプリウス(天井に京セラ製太陽電池を搭載、エアコンなどの補機駆動に利用)など、市販のガソリン自動車やハイブリッド車に太陽電池パネルが搭載された例もあるが、太陽光電力が車体駆動に用いられない限りソーラーカーには含めない。

2.7 自立型ソーラーカー
太陽電池一体型の自立型ソーラーカーの多くは、競技会出場を前提に製作されたレーシングソーラーカーである。走行抵抗を少なくするために居住性を犠牲にし、車体構造も特殊なため、道路交通法上の公道走行許可を得ることは難しい。海外の競技会では会期中のみの限定的な走行許可の元で走行することが通例だが、日本では1994年以後、許可された例はない。そのため日本で自立型ソーラーカーが走る姿を見られるのは、公道から隔離された競技場内のみである。



自立型ソーラーカー SUNLAKE EVO (ソーラーカーレース鈴鹿2010にて 画像提供 谷田部純氏)


3.ソーラーカーの誕生

3.1 ソーラーカー黎明期

 文献上、最初にソーラーカーが登場するのは米国のSF作家、ロバート・ハインライン(Robert A. Heinlein)が1940年に発表した短編小説「疎外地(原題:Coventry)である。ここには「鋼鉄亀(原文:steel tortoise)」と呼ばれる乗り物が登場し、その乗り物は、屋根に6平方ヤードの「サンパワースクリーン」を備え、そこから得られるエネルギーを用いて時速6マイルで走ると設定されている。半導体の基礎現象が見いだされたのが1947年以後、シリコン太陽電池が学会誌に発表されたのは1954年である。太陽電池の開発以前に、太陽エネルギーで乗り物を動かそうという発想があった点には注目したい。4)

 1955年にGM:ジェネラル・モーターズ(General Motors)社が開催したパワーラマ(Powerama)展示会にて、同社の技術者ウイリアム・コッブ(William G Cobb)が、12個のセレン太陽電池を搭載し、そこから得られる電力でモーターを駆動するモデルカー「サンモービル(Sunmobile)」を公開した。人は乗れないのでソーラーカーと呼ぶか否かについての意見は分かれるだろうが、公開の場で太陽エネルギーで直接車輪を回した最初の例と考えてよい。Sunmobileの車体は軽いバルサ材製ではあったが、セレン太陽電池(太陽電池というよりは光センサー)の変換効率からして実際に走ったかどうかは極めて疑わしい。5) 1961年7月発行のポピュラー・サイエンス(Popular Science)誌には同様に屋根に太陽電池を貼りつけた模型自動車が紹介されている。6)

  
General Motors "Sunmobile" 1955
3.2 実際に人を乗せて走った最初期のソーラーカー

 インターナショナル・レクティファイア(International Rectifier)社は、シリコン太陽電池が発表された4年後の1958年に太陽電池の製造販売を開始し、1960年には太陽電池の実用性アピールのためにソーラーカー「ソーラーキング(Solar King)」(1912年製の骨董電気自動車を改造)を製作公開した。市販車改造のソーラーアシスト電気自動車に相当するが、実際に人を乗せて走った世界初のソーラーカーであるのは間違いない。走行している様子の動画がwebで公開されている。7)8)

 1977年にはアラバマ大学(Alabama University)のエド・パッセリーニ(Edward Passerini) 教授が、欧州の小型電気自動車にヒントを得てソーラーカー「ブルーバード(Blue Bird)」を製作した。模型や改造車では無く最初から人が乗ることを意図して作られた世界初のソーラーカーになる。Blue Bird は1982年5〜10月にノックスビル(Knoxville)で開催されたワールドフェアに出展され、毎晩のナイトパレードでフロートを牽引するなど活躍した後、フェア終了後には競売にかけられて売却された。9) 10)

  
International Rectifier
"Solar King" 1958-1960
  Edward Psserini "Blue Bird" 1977
 1979年に英国人アラン・フリーマン(Alan Freeman)氏が小型三輪ソーラーカーを自作し、翌1980年にはさらに改良された小型三輪ソーラーカーにて公道走行許可を取得した。改造車以外では公式に公道を走行できる最初のソーラーカーとされている。11)  同時期、イスラエルのテルアビブ大学(Tel Aviv University)大学のアリエ・ブラウンンシュタイン(Arie Braunstein)教授が、米国製の小型電気自動車「CitiCar」を改造したソーラーカーを公開した。このソーラーカーは「Solar Citi Car または 醜いアヒルの子」と呼ばれた。12)

  
Alan Freeman 1979-1980  Arie Braunstein "Solar Citi Car" 1977-1980
3.3 日本のソーラーカー事始め

 日本では、1978年頃から東京電機大学の藤中正治教授が、自転車を改造した電動車を、定置型太陽電池から得られた電力で駆動する実験を開始した。最初は二輪車、次いで自転車二台を組み合わせた四輪車と発展し、やがて軽自動車を改造するようになった。1985年の第26回 東京モーターショーにおいて、市販自動車を改造して製作した太陽電池分離型ソーラーカーのデモ走行と試乗会を行い、13日間の会期中(晴天は6日)に150km走行した。同様のデモは1987年、1989年にも行われた。13)
  
Tokyo Denki University Prof.Fujinaka "Solar Bicycle" 1978 and "Solar Car" 1980
 1983年には、HAMA零チームの山脇一氏製作の、太陽電池を搭載したガソリン・エコランカーのエンジンスターターをモーターに置き換えたハイブリッド・ソーラーカーが、新聞、雑誌等にて公開された。14)

  
HAMA ZERO Hajime Yamawaki "Sun Shine" 1983


4.ソーラーカーによる長距離ドライブ記録

4.0 海外・国内の長距離ドライブ記録一覧

 表1.にソーラーカーによる長距離ドライブ記録を示す。

表1.ソーラーカーによる長距離ドライブ
年月チーム車両名"走行 地域"ルート・距離・日数備考
1982年12月

1983年1月
Hans Thostrup
Larry Perkins
Quiet Achiever豪州パース→シドニー
4052km/20days
ソーラーカーにより豪州大陸を横断。
WSC開催のきっかけとなった。
BPが資金援助
1984年Crowder CollegeSolar PhoenixUSA西海岸サンディエゴ
→フロリダ州ジャクソンヴィル
3860km
学生による手作りソーラーカー
1993年夏Konawaena
High School
(USA Hawaii)
Konawaena CarUSA西海岸ロングビーチ
→デラウエア
高校生によるソーラーカー、
1996年には実話を元にした
TVドラマも制作された。
1994年東京電機大学
藤中正治教授
S-EV
(Honda Today改)
日本一周東京→大阪→四国→九州
→日本海側を進み→青森
→札幌→八戸→東京
4820km/27days
軽自動車を改造したソーラー
アシスト電気自動車(鉛蓄電池)。
太陽光から得られた電力以外に
夜間駐車中に商用電源から充電
した電力を併用。
1995年S-EV
(Suzuki Cervo改)
USANY→シアトル→NY
11300km/69days
1997年S-EV
(Toyota Starlet改)
欧州
北米
欧州:ロンドン→パリ→ミラノ
→ブリュッセル→アントワープ
3188km/24日、続いて
北米:NY→コロンバス→LA
7012km/43days 
小型乗用車を改造したソーラー
アシスト電気自動車(鉛蓄電池)。
商用電源から充電した電力を併用。
1999年モンゴル中国/モンゴル国境→ウランバートル
→モンゴル/ロシア国境の砂漠地帯
1021km(中国国内、ロシア内は走行
許可降りず断念)
小型乗用車を改造したソーラー
アシスト電気自動車(NiH蓄電池)。
商用電源から充電した電力を併用。
2000年Solar Bird II
(Toyota Starlet改)
アジア
欧州
北米
中国→モンゴル→ロシア→欧州
→北米横断、18000km
1999年
7〜8月
京都市立
芸術大学
野村仁教授
Sun Structure ‘99USA西海岸ロングビーチ→
フロリダのケネディ宇宙基地
4895km/26days
HAAS Project
(Harnessing the Sun)
1999年
8〜9月
ソーラーチャレンジ
in北海道スタッフ
再輝チーム
高崎氏製作の
ミニソーラーカー
(公道走行許諾)
日本福岡県柳川市→北海道北見市
「ソーラーカー全国キャラバン」
約2200km
「ソーラーチャレンジin北海道」の
プレイベント。
夜間電力による充電に加え、
走行自体もトレーラー輸送を併用。
2000年HAMA零
柳川ソーラーボート
大会スタッフ
ソーラーバイク
「隼号」
日本北海道北見市→福岡県柳川市
約2800km
バイク本体と伴走車に搭載された
各々90w、300wの太陽電池から
得られた電力だけ使用して走行。
2000年7月Queen's University
(CANADA)
Radianceカナダカナダ西岸のバンクーバー
→東岸ハリファックス
7043km/29days
自立型ソーラーカーによる
2000年当時の世界記録
"2001年
6〜7月"
チームジョナサン
山本久博氏
JonaSunロシアウラジオストック→シベリア横断
→モスクワ→サンクトペテルブルグ
約10000km
悪路、悪天候や交通ラッシュ
のためやむなく一部トレーラー
輸送を併用。
2001年9月中日本自動車
短期大学
イタリア国立フェラーリ
工業専門学校
Dream Challenge中国シルクロード敦煌→烏魯木斉
1200km
日中伊共同プロジェクト
イタリア学生のデザイン画を元に
中日本自動車短大が車両を製作。
2001年12月

2002年1月
Aurora Vehicle
Association
Aurora-RMIT 101豪州一周メルボルン発、
豪州大陸を反時計回りに一周
13054km/24days
自立型ソーラーカーによる
長距離走行記録更新
2005年10月大阪産業大学
西安交通大学
OSU Model S’中国シルクロード西安→敦煌
約2000km/8days
西安交通大学の共同プロジェクト。
中継都市ではパレードと展示を実施。
2007年7月

2008年12月
Solar TaxiSolar Taxi世界一周スイス(ルツェルン)→中近東→インド
→東南亜→豪州→東南亜→中国
→韓国→米・加→スペイン
→仏→英→蘭→独→北欧
→東欧→独→スイス
53451km/534days、訪問国38
自立型ソーラーカーによる世界一周。
日本国内は中継せず。
2002年11月

2010年4月
日本テレビ
鉄腕ダッシュ
だん吉日本一周
一筆書き
東京豊海水産埠頭
(公式には晴海埠頭)出発、
日本の海外線を反時計回りに一周
開始、終了dateは放送日
公式には17704km/abt2690days
車体はダイハツハイゼット
仕様は非公開
純ソーラーor充電併用かは両試算あり
バッテリー交換目撃証言があるため
ソーラーアシストEVとして扱う。
また、走行状況にも疑念多く、
距離、日数ともに参考値とする。

4.1 海外における長距離ドライブ記録

 世界で最も有名な長距離ドライブはWSC創始者のハンス・ソルストラップ(Hans Tholstup)氏らにより1982年12月19日から翌年1月7日にかけて行われた豪州横断4052kmである 15)。1984年にはCrowder Collegeの学生手作りソーラーカー16)、1993年にはハワイの高校生によるソーラーカーが米国横断(4000km前後)を達成している 17)。

 2000年にはカナダのクイーンズ大学(Queen's University)によりカナダを西から東に横断する7043km/29日間の長距離ドライブが行われ、当時の世界記録となった 18)。この記録は2001年12月から翌年1月にかけてのオーロラ・ヴィークル協会(Aurora Vehicle Association)による豪州大陸一周、13054km/24日間達成により更新された 19)。

 欧州においても長距離ドライブの試みがありそうに思うが、言葉の壁、時間の壁に阻まれ、情報は得られていない。

 距離だけであれば2007年7月から2008年12月にかけての534日間をかけてSolarTaxiが達成した世界一周53451kmが最長となる。残念なことに日本は公道走行を許可しなかったため、この偉大な距離記録の中に日本の国土は含まれていない 20)。

4.2 日本チームによる長距離ドライブ記録

 4.2.1.ソーラーアシスト電気自動車による長距離ドライブ記録
 東京電機大学の藤中正治教授らにより、軽自動車を改造したソーラーカーを用いた日本一周(1994年)、北米横断往復(1995年)、小型乗用車を改造したソーラーカーによる欧州のアルプス越えと北米横断(1997年)を経て、2000年には中国、モンゴルからロシア、ヨーロッパを経由した後、北米を横断(走行距離 18000km)する世界一周走行が行われている。藤中教授らの試みは日本の公道を走ることを前提とし、走行許可を得やすくするために市販車を改造ベースに使用している。反面、市販車の車重では自立型ソーラーカーにはなり得ず、太陽光から得られる電力以外に夜間駐車中に商用電源から充電した電力を併用するソーラーアシスト電気自動車としての走行記録になっている 13)。

 日本テレビの人気番組「ザ!鉄腕!ダッシュ!!」に登場する「だん吉」については、番組での公称総走行距離は17704km、放送日から推定した全所要日数は概ね2690日であるが、走行状況には疑念が多く、距離、日数ともにあくまで参考値とし、記録としては取り扱わない。

 4.2.2.自立型ソーラーカーによる長距離ドライブ記録
 太陽光電力のみを使った自立型ソーラーカーによる記録としては、
・京都市立芸術大学の野村仁教授のグループによる米国横断 21)
・山本久博氏が率いるチームジョナサンによるシベリア横断 22)
・中日本自動車短期大学によるシルクロード敦煌−烏魯木斉間 23)
・大阪産業大学によるシルクロード西安−敦煌間の走行記録 24)
があるが、いずれも走行ルートは海外である。少々皮肉な見方をすれば、これは、国内で自立型ソーラーカーの公道走行が如何に困難かということの裏返しともいえる。



シベリア横断に挑んだJunaSun (干拓博物館にて)

 三・四輪車に比較して二輪車は比較的公道走行許可が取りやすい。この点をうまく利用したのが2000年に行われた、HAMA零チームのソーラーバイク「隼号」による、北海道北見市から福岡県柳川市までの約2800kmの長距離ドライブ記録である。この試みではバイク本体に搭載した90w太陽電池と、伴走車に搭載された300wの太陽電池から得られた電力だけが用いられており、変則的ではあるが太陽光電力のみを用いた日本国内の公道上で行われた、ほぼ唯一の長距離ドライブ記録となっている 25)。

  

左:HAMA零「隼号」  右:公道上走行中の隼号と伴走車 2000年

5.ソーラーカーイベントの歴史

5.1 ソーラーカーイベントの推移
 表2.に海外の主なソーラーカーイベント、ならびに日本で開催されたソーラーカーイベントの年表を示す。国内イベントについてはほぼ網羅できていると考えているが、海外イベント、特に非英語圏のローカルイベントについては把握仕切れていない26)。以下、地域ごとに代表的なソーラーカーイベントとエピソードについて触れる。

表2.海外の主要ソーラーカーイベント、日本のソーラーカーイベント 一覧

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5.2 ヨーロッパ

5.2.1 太陽のツアー
 1984年に、スイスのツェルマットにて電動車両を中心としたエコカーを集めてデモ走行イベント「太陽のツアー(Tour de Sol)」が開催された。おそらくこのイベントが複数台のソーラーカーが参加した世界初のイベントになる。ツェルマットでは環境保護の観点よりガソリン車の乗り入れが禁止され、電気自動車が運用されており、当時すでに太陽電池を備えた充電スタンドなどが実用化されていた。
 翌1985年には競技会としての「TdS:Tour de Sol」が世界初のソーラーカーレースとした開催された。競技は山岳コースを含むスイス国内363kmを5日間かけて走行するラリーとして行われ、自立型ソーラーカー、補助動力(多くは人力)付きソーラーカー、その他の3カテゴリーで競われ、ダイムラー・ベンツ社の若手技術者らが製作したシルバーアロー号が総合優勝した。TdSは以後、冬季のレースや、ソーラーボートレースを併催するなどしながら1993年まで継続されたが、後年はソーラーカーよりも電気自動車や代替エネルギー車が主体となっていった。27)

5.2.2 欧州各地での開催
 1990年代にはオーストリア、デンマーク、ドイツで以下のイベントが定期開催されていた。
  ・International SolarMobil Cup 1990年〜少なくとも1993年まで
  ・Austro Solar 1989年〜1999年
  ・Solar Cup Denmark 1991年〜1998年
 1993年には欧州9カ国で20を超える競技会が企画され、その半数以上が公道でのラリーないしヒルクライム競技であった 28)。  代表的なカテゴリー分けは以下のようになっている。
   [1]自立型ソーラーカー
   [2]分離型ソーラーカー
   [3]ハイブリッド車
   [4]軽・電気自動車
   [5]重・電気自動車
 すなわち分離型ソーラーカーや電気自動車との混走である。元々欧州では電動の小型車がある程度普及しており、ソーラーカー競技会という名目であっても内容的には電気自動車レースに自立型ソーラーカーやソーラーアシスト型の電気自動車が加わるという形が実態に近い。自立型ソーラーカーだけの競技会はむしろ少数である。

5.2.3. 欧州での長距離ラリー
 1992年のEC統合を記念してTdS主催者が長距離ラリーEuropean Solar Challengeを企画していたが実現せず、1994年4月、The 13th European PV Solar Energy Conference in Amsterdam 開催にあわせて同タイトルのイベントがThe 1st European Solar Challenge として開催された。なお同名のイベントは2010年にも開催され、6台の自立型ソーラーカーが参加した。
 2000年からは、フランス−スペイン間をピレネー山脈を越えて走るRally Solar Phebusが毎年定期開催されたが他の多くの定期開催イベントは休止され、Phebusも2010年が最後となった。29)

5.2.4 オリンピア宣言
 2004年にはアテネオリンピックのプレイベントとして自立型ソーラーカーのみによる競技会としてギリシャ国内をラリーするPhaethon2004が開催され、日本からも5チームが参加した。オリンピックの聖火が太陽光により点火されることと、太陽光エネルギーのみで走行する自立型ソーラーカーを重ね合わせた催しであり、ソーラーカーの在り方を問い直す上でも意義深いイベントであった。競技中の画像を見ての通り、フェリーボートには一般車に混じって乗り込み、高速道路では料金を取られるなど、公道上での扱いは通常の乗用車と全く同じであった。30)
 この大会中の中継地であったオリンピアに於いて、各国のソーラーカー団体の代表者らが集まり、「今後のオリンピックのたびにソーラーカーレースを開催しよう」というオリンピア宣言がなされた。しかし2008年の北京大会では少なくとも中国国内では開催されず、Phaethon主催者らがイタリアからギリシャにかけてのラリーを企画した。

  
Phaethon2004にて、左:一般車と一緒にフェリーに乗り込むソーラーカー、
             右:高速道路の料金所に並ぶソーラーカー
 オリンピックとの関係では、遡って1992年のバルセロナオリンピックにて、日本で最初に公道走行許可を取ったTOYOTAのRaRaIIがマラソン競技の先導を要請されたとされる。実際に先導を行ったという直接的な記述は、カタロニア語サイト、スペイン語サイトでは見つけることができなかった。

5.3 オーストラリア

5.3.1 World Solar Challenge
 ハンス・ソルストラップ(Hans Tholstrup)氏が1982年の豪州大陸横断ドライブの経験をもとに1987年に開始したイベントが、世界中のソーラーカーチームが目標にし、完走そのものが名誉とされる過酷な競技会WSC:World Solar Challengeである。



World Solar Challenge 1987 (画像提供 HAMA零 山脇一氏)

 ルートは豪州大陸のほぼ中央を北から南に縦断するスチュアート・ハイウエイで、スタート後は夕刻の規定時刻まで走り、停止したその場で野営、翌朝の規定時刻に再び走り出す、という他の自動車競技では類のない形式である。第一回大会の開催には企画段階から東京映像社が参画し、日本光学やシチズン時計がスポンサーになるなど、日本が色濃く関与していた。優勝はGM社のSunRaycer、2位が地元Ford AustraliaのSunchaser、3位がスイスのビール工科大学のSpirit of Bielであった。日本から参加した4チーム(Solar Japan、HAMA零、ホクサン、SEL)の上位入賞は叶わなかったが国内のソーラーカー熱に火をつけるには十分過ぎる活躍だった。31)



World Solar Challenge 1987 HAMA ZERO "Zero Fighter"
(画像提供 HAMA零 山脇一氏)



World Solar Challenge 1987 優勝したGM Sunraycer

  
Solar JapanSemiconductor Energy laboratoryHoxan

World Solar Challenge 1987 日本からの参加チーム

 WSCは以後3年おき、1999年以後は隔年で開催されている。初期の大会における主催者はHans Tholstrup氏本人であったが1999年以後は南オーストラリア州政府に開催権を譲渡した。公道上の競技であるので制限速度(北部130km/hr、南部110km/hr)を守る必要があるが、ソーラーカーの性能向上によりトップクラスの車両は制限速度を超えそうになっており、その都度、太陽電池面積、種類を制限する規則変更が行われている。

 日本勢ではHONDAチームが1990年に2位、1993年 32)、1996年 33)に優勝、1996年にJCIチームがアモルファス太陽電池による完走34)、1999年にTeam Junkyardが定格520wの小型ソーラーカーにより完走 35) 36)、2007年には芦屋大学チームが旧規格部門ながら世界最高位 37)、2009年、2011年には東海大学チームが優勝している 38)。



World Solar Challenge 1990 (画像提供 HAMA零 山脇一氏)

スタート後は3000kmのコース中に参加車両が分散してしまうため、
同時に複数のソーラーカーがアングルに収まる写真は極めて稀少。
この画像は、その中でも珍しい日本チーム同士のランデブー走行。
中央がHAMA零「忍者」、右側が Solar Japan "SJM-5"。

5.3.2 豪州でのその他のソーラーカー競技会
 オーストラリアでは他にアデレードからシドニーまで約2300kmを10-11日間かけて走る SunRace が1997年から2003年まで開催されていたが、主催団体の中心人物が病に倒れ、2004年からは中断している。
 ニューサウスウェールズ州主催で1991年から少なくとも1993年まで行われた Energy Challenge はニューカッスルからシドニーまでの山越えを含んだ約370kmのコースを走る競技で、ソーラーカーだけでなく水素エンジンや電気自動車などを含む代替エネルギー車全体を対象としたイベントであった。

5.4 北アメリカ

5.4.1 GM Sunrayce:北米縦断レース
 WSC1987にて優勝したGM社がスポンサーとなり、米国および隣接国の大学チーム対抗戦として自立型ソーラーカーの競技会 GM Sunrayce が1990年に開催された。コースはWSCに倣って北米大陸を南から北に縦断する公道コースであり、上位チームにはWSC参加権が与えられた。1993年からはDOE主催で隔年開催となり「GM」の冠が外れた。2001年からはAmerican Solar Challengeと名称を変更して社会人チームを含め世界中からの参加が可能となった。2005年からはNorth American Solar Challengeとして運営されている。39)



GM Sunrayce 1990 にて優勝した Michigan University

5.4.2 ハワイで行われたソーラーカーレース
 1990年にはハワイ州が主催して高校生チームを選抜する競技会Kaahele Laが行われた。競技内容の詳細は不明であるが優勝したKonawaena高校チームにはWSC出場権が与えられた。同校チームはWSC出場の他、TdSにも出場し、1993年には北米横断ドライブを成し遂げた。同チームの姿を描いたTVドラマが制作・放映されている。40) 41)

5.4.3 世界初のソーラーカー・サーキットレース
 1991年にアリゾナ州のPhoenix International Racewayにおいて、世界初のサーキットレースSolar 300 / Solar Electric 500が開催された。電気自動車レースとソーラーカーレースとのジョイントイベントであったが、混走ではなく別々にレースが行われた。翌1992年にも開催されたが電気自動車レースにおいてドライバーがバッテリーの電解液を浴びる事故が起こり、以後は開催されていない。

5.4.4 エコカーの祭典:American Tour de Sol
 1989年からは欧州TdSに倣ってATdS:American Tour de Sol が開催された。欧州のTdSと同様にSol:太陽は象徴的な意味で用いられており、ソーラーカー以外に電気自動車などの代替エネルギー車を含めたエコカー全般を対象とするイベントである。第一回のソーラーカー部門には5台のソーラーカーが参加し、優勝はアラバマ大学のEdward Passerini教授であった。ATdSはNESEA主催にて毎年定期的に開催されていたが政府援助が途絶え2008年で打ち切られた。42)

5.4.5 高校チームを対象とした競技会
 The Solar Car Challengeは、テキサス州の Winston School にて高校生の教育プログラムとして開始され、企画運営されているもので、テキサス・スピード・ウエイで行われるサーキットレースとロードレースが隔年で行われている。2002-2008年まではDell Computerがスポンサーに、2009年からは Hunt Oilがスポンサーになっており、各企業名が冠に付いている。43)

5.4.6 純ソーラーカー競技
 2005年から2010年まで開催されたSolar Drag Raceは、純粋に太陽光電力だけでの走行スピードを競うユニークな競技会である。たいていのソーラーカー競技会のスタート時、ソーラーカーは規則で許可された容量のバッテリーを満充電して積み込んでいるが、ソーラードラッグレースではスタート時にいっさいの蓄電デバイスを空にしておくことが求められている。競技では1/4マイルの距離を走るのに要した時間が競われる。開催場所はワシントン州のWenatcheeで、夏至に最も近い土曜日に開催された。

5.4.7 カナダ開催のソーラーカーイベント
 カナダでは1989年にトロントからオタワまでを5日間で走るCanadian Cup Solar Car Raceが開催された。参加台数は5台。日本から、分解すれば手荷物サイズに納めることができるソーラーカー「Solar Mouse」で参加したHAMA零チームが2位に入った。44)



Canadian Cup Solar Car Race (画像提供 HAMA零 山脇一氏)

 Canadian Solar Discovery Challengeはカナダ太陽エネルギー学会(The Solar Energy Society of Canada Inc.)が主催したロンドン(英国首都ではない)からオタワまでの約900kmを4日間で走る競技で、1996年に開催された第一回大会ではカナダと米国の4つの大学チームが参加した。以後、1997年、1999年、2001年の開催が計画され、1997年大会は直前まで準備が進められ9チームが出場予定であったが(主催団体のサイトでは)中止された(ただしQueen's Univ.チームのサイトでは、同チームが優勝したことになっている)。以後の年次については開催されていない。

5.5 アジア

5.5.1 マレーシアで開催されたソーラーカーレース
 日本を除くアジア地域で最初に開催されたソーラーカーイベントは、2001年にマレーシアで行われたWSCC:World Solar Car Championshipである。
 本イベントには地元マレーシアからの2チームの他、日本、台湾のチームが参加したが、地元チームの一台を除き、全て日本のソーラーカーであった(海外チームには日本から車両を貸与)。同イベントは翌年からWorld Solar Car Tourと改称して継続され、2003年にも参加チームの募集がなされたが、流行性肺炎の影響で中止され、以後開催されていない。 45)



World Solar Car Championship in Malaysia 2001

5.5.2 地球の友が主催したソーラーカートレース
 香港では環境保護団体「Friend of the Earth」主催による小型ソーラーカートの競技会がヴィクトリアパークを会場に2001〜2005年にかけて5回開催された。主催団体が太陽電池などの基本要素だけでなく簡単なシャーシまで準備しており、参加者は車両性能よりもデコレーションに力を入れていた様子であった。

5.5.3 中国開催のソーラーカーイベント
 中国では2002年にChina Solar Challengeが開催されたが参加台数は米国2チームと、北京の清華大学チームの計3台であった。

5.5.4 トルコで定期開催されているサーキットレース
 トルコで開催されているサーキットレースFormula G Turkish Solar Car Grand Prixは、2005年以後毎年継続して開催されており、参加台数も増えている。

5.5.5 台湾開催のソーラーカーラリー
 台湾では2006年に台湾島を巡るWorld Solar Rally in Taiwanが開催され、台湾、日本、米国、イラン、トルコ、ドイツから11チームが参加した。規模はさほど大きくないものの、名実ともに国際イベントとなっており、5年前のWSCCとは様変わりである。

5.5.6 ベトナムで開催されたソーラーカーレース
 2011年にベトナムのホーチミン市にて Vietnam's Solar-Powered Car Race が開催された。大会はホーチミン市科学技術省と同市TVの共催で、スポンサーはデンマーク大使館と地元の太陽光発電企業。車両サイズや重量は無制限であるが主催者側が準備した太陽電池を用いることが条件になっている。太陽電池パネルの定格は推定200W程度であり、車体も小型のソーラーカート的である。優勝者にはWSC2012への参加権が与えられる。

5.5.7 タイ国で開催予定のソーラーカーイベント
 2012年3月のパタヤ、ビラ国際レース場にて開催予定の World Eco Car grand prix in Thailand 2012 にて、WEM競技に併催に形でソーラーカー部門新設が計画されている。2011年11月現在、詳細は発表されていない。

5.6 アフリカ

 2008年、南アフリカ共和国にてアフリカ大陸で最初のソーラーカーレースが行われた。同国をほぼ一周する4175kmのルートを11日間かけて走る設定である。同国観光局の事前予告では30チームが出場とのふれこみであったが、キャンセルが相次ぎソーラーカー部門に実際に出場したのは東海大学チームと南アから2チーム、インドから2チームの合計5台であった。東海大学チーム以外の参加チームはソーラーカー初心者ないし、それに近い状態だったようで東海大チームが独走で優勝した。

 2010年の第二回大会にはソーラーカー3台とグリーンフリートクラスとして電気自動車と配備リッドカーが各1台の計5台が参加。第一回と同様に東海大学チームの独り相撲状態であった。

5.7 日本

5.7.1 最初のイベント:ソーラーカー・デザインGP'89
 日本で複数のソーラーカーが参加した最初のイベントは1989年7月に開催されたソーラーカー・デザイン・グランプリ'89である。同イベントは名古屋デザイン博の一環として開催されたもので、競われるのはスピードや走行距離ではなく車両のデザインであった。しかし「走れること」が必須要件に加えられており、単なる造形展示ではなく「自動車」としての審査が行われた46)47)。



Solar Car Design Grand Prix'89審査会場風景  (画像提供 Solar Japan江口倫郎氏)

5.7.2 都市近郊の狭い会場の利用
 1989年9月には神戸にて朝日ソーラーカーラリーが開催され10台のソーラーカーが出場した。競技は公園外周のコースを、決められた時間を守って走れるかどうかを競うもので、競争と言うよりはデモ走行に近かった。
この競技形式は、大都市に近い公園を会場に使う上での苦肉の策であったが、以後「公園ラリー」様式として国内のイベントで多用されることになった。本イベントは1991年以後は全国3カ所で開催されるようになり、1994年以後、最後の大会となった2003年まで毎回50台を超えるソーラーカーが参加していた48)。



朝日ソーラーカーラリー会場風景 (画像提供 太田龍男氏)

5.7.3 シャープクラス(学生クラス)
 1992年から朝日ソーラーカーラリーにシャープクラス(学生クラス)が創設された。このクラスは、書類審査で10の学校を選び、太陽電池、バッテリー、モーター等を無償支給し、学校側はそれらを用いたソーラーカーを製作して大会に参加するというもので、1998年までの間に合計70の学生チームがこの制度を利用してソーラーカーを製作した。同様の制度は行政主体イベントにも取り入れられ、大阪府では府主催のエコエナジー大阪(1993年開始)、三重県では1994年の「まつり博・三重」のソーラーカーアトラクションにおいて実施された。

5.7.4 日本初の公道ソーラーカーレース
 1991年、北海道の北見市と訓子府町を跨ぐ公道を使った一周16.7kmの周回コースにて、ソーラーチャレンジin北海道が開催された。公道を使った日本で最初のソーラーカー競技である。1993年にも同様の様式で開催されたが1995年には公道許可が下りずに中止された。1997年に河川敷を使った特設コースで再開され2003年まで隔年開催された。最盛期には全国から30台以上のソーラーカーが参加した48)。

5.7.5 FIA公認のサーキットレース
 1992年からは鈴鹿サーキットにおいてソーラーカーレース鈴鹿が開始された。2011年現在もFIA公認の代替エネルギー車レースとして継続されており、格式的にはFormula 1 と同格である。1992〜1994年はFIA Cup、1995〜1997年はCosmo Cup、1998〜2010年はDream Cup、2011年以後はEco Energy Cupと冠が変わっている。


ソーラーカーレース鈴鹿1992 スタート風景

 出場車両は、過去にはHONDA、NISSAN等のワークスチームも参加した太陽電池無制限クラス(Tomorrow Class, Dream Class)と、太陽電池定格800W限定クラス(Today Class, Challenge Class)、さらに太陽電池480W限定クラス(Cosmo Class, Enjoy Class)、2008年から加わった新規な4輪車限定クラス(Olympia Class)に分けられており、参加台数は70台前後でほぼ一定している。  初期の大会では走行車両台数の制限から予選による選抜が行われたが、冠が「Dream」になった1998年以後は上位クラスの8時間耐久レースと入門クラスの4時間耐久レースが分けられ事実上予選落ちが無くなった。同競技会において特筆すべきは総合優勝(8時間耐久レースの優勝者)だけでなくクラス優勝者も同格に扱われ、全てのクラス優勝チームに同じDreamCupが授与されたことである。そのため一般に入門クラスとして紹介されることが多い限定クラスにおいても参加チームの志気、実力ともに高く、競技会全体のレベルが底上げされていた。



ソーラーカーレース鈴鹿1994 スタート風景

5.7.6 通産省のソーラーカーへの関与
 通産省(当時)の指導により、地球環境問題、エネルギー問題についての啓蒙を目的とした「グランドソーラーチャレンジ推進会議(以下GSC)が、電機、電力関係の各種団体と北陸3県の行政と経済団体により設立された。その活動の中で、太陽エネルギー利用の啓蒙キャンペーンとして1992年に開催されたのがSolar Car Rally in 能登である。この大会は、通産省からの指示もあって電力会社から多数の参加があり、100台を超すソーラーカーが集う世界最大規模のイベントとなった。
 初回は自動車専用道路を含む公道を使ったラリー競技であったが、1996年に開催された第2回目は公道使用許可が下りず、窮余の策として海岸の砂浜地帯にネットを敷き詰めて補強した特設周回コースを設置して開催された。4年に一度の開催が期待されたが、主催団体が解散し、以後は開催されていない。

5.7.7 地方自治体と草の根活動が運営する国際レース
1993年、秋田県と大潟村が主催して大潟村(八郎潟干拓地)の農道を使った周回コースにてWSR:World Solar Rallyeが開催された。翌年からは(公道とは隔離された)大潟村に整備された常設競技コース:ソーラースポーツラインでの開催になり、豪州WSCに準ずる競技規則による国際レースとして今日に至っている。1998年に秋田県からの財政支援が打ち切られ、1999年以後の存続が危ぶまれたが、学生部門をJISCとして独立させ、WSRは一般部門とし、運営組織を草の根活動的に圧縮し、学生部門と同日開催するという形で危機を乗り切った。最盛期には100台近くが参加したが、近年の参加台数は20台前後で推移している。49)



World Solar Car Rallye (秋田県大潟村)

5.7.8 多彩なローカルイベント
 定期開催される大会以外にも、表2.に示したように日本各地で多彩なローカルイベントが開催されてきた。
 1994年に滋賀県新旭町(現高島市)の「しんあさひ風車村」で開催された「びわこソーラーカーフェスティバル」はJR湖西線開通20周年記念として行われた。記念行事のメインイベントとしてソーラーカーレースを招聘した例のひとつである。出場チームにはTOYOTAのワークスチーム(WSCの下見に使った「RaRaX」)や「ソラえもん」号も出場するなど国際レース並みの陣容であった。



BIWAKO Solar Car Festival 1994

 2000年、2001年に滋賀県湖東町にある自動車教習コース(一周1km強)を使い、日の出(朝6時)から日没(18時)までの連続12時間、休みなしで走り続けるという、いかにも太陽光をエネルギー源とするソーラーカーらしい競技会が開催された。
 三重県主催の「テクノドリームフェア」、大阪府主催の「エコエナジー大阪」は、いずれも自治体主催で県下、府下の工業高等学校の対抗戦として実施されたものでソーラーカー活動の教育的側面を考える上で重要な試みと云える。
 公道上でのソーラーカーレースは1994年以後絶えているが、2006年にイベント企画会社でソーラーカー等のエコカーイベント運営実績豊富なTwo and Four社が公道走行許可を持つソーラーカーを集めて公道上で競技を行うイベントを企画したが、開催には至らなかった。

6.ソーラーカー競技会団体と車両規格

6.1 FIA:Federation Internationale de l'Automobile

 1985のTdS以後、欧州各国でソーラーカーイベントが開催されるようになった。自動車競技会の総元締めであるFIA:国際自動車連盟は、自動車レースの開催が自動車技術の発展に寄与するとの基本的な考え方に基づき、代替エネルギー車についてもガソリン自動車レースと同格のチャンピオンシップ FIA Electro-Solar Cup を1988年に開始した。 FIA Electro-Solar Cup は2003年からは Alternative Energies Cup となり現在に至っている。同部門のカテゴリー分けを以下に示す。
Category I : Solar powered racing vehicles
Category II : Solar and/or electrically powered prototype vehicles
Category III : Solar and/or electrically powered series production vehicles
Category III A: Electrically powered Series Production Vehicles for daily use
Category IV : Solar and/or electrically powered lightweight vehicles
Category V : Electric single seaters
Category Vl : Racing Sports-Prototypes
Category Vll : Hybrid electrical vehicles
Category VIII : Alternative Energies Vehicles
 本稿の自立型ソーラーカーはCategory Iになる。2011年現在は事実上ソーラーカーレース鈴鹿の順位が国際ランキングを決定している。分離型のソーラーカーはCategory IIに分類されるが、このカテゴリーの競技は今日ではほとんど行われていない。

6.2 FIVE:Federation Internationale de Vehicles Electriques

 1989年にはドイツのHansa Solar、Solar Cup Berlin、Solar+Mobile、およびスイスのFKVS(Fahrer und Konstrukteur Verband Solarmobil 英語ではAssociation of solar car driver and constructor ソーラーカー運転者と製作者の協会)のメンバーが中心となり、さらにオーストリア、スイス、イタリアの7団体が加盟する競技会団体 FIVE:Federation Internationale de Vehicles Electriques が設立された。直訳すると国際電気自動車連盟であるが、構成団体からしてソーラーカーレースを企画運営しようという意図は明白である。TdS主催団体はこれには関与していない。FIVEはFIA:Federation Internationale de l'Automobile(国際自動車連盟)傘下の団体となり、FIA Electro-Solar Cupの実行推進母体と機能し、欧州各地のソーラーカー競技会のシリーズ化を進めた模様である。FIA Cup がソーラーカーレース鈴鹿のみとなっている現在は活動していない。

6.3 International Solarcar Federation

 最初期のソーラーカー競技会は、競技会主催者がそれぞれ独自の競技規則を設定して開催されており、ソーラーカーの車両規格もばらばらであった。国際的にソーラーカーへの関心が高まる中で、競技者が世界各地の競技に参加しやすくするために車両規則の統一が必要との声が高まっていた。1991年のTour de SolにてHans Tholstrup氏の呼びかけで各国のソーラーカー関係者の会合が開催され、同年冬に ISF:International Solarcar Feferation が設立された。中心になったのは公道競技であるWSC、TdS、Sunrayceの関係者であり、サーキットレースでのランキングを主眼にするFIA、FIVEとは一線を画している。日本からはHONDAチームの監督であった岩田孝弘氏が、当時通産省が企画していた能登での公道レース運営組織の代表として参加した。会長はHans Tholstrup氏で、岩田孝弘氏は現在ISF日本代表に就任している。

 ISFではソーラーカーの車両サイズ規格を以下のようにまとめた。最低限、車両サイズさえ統一すれば、二次電池などは比較的変更が容易であるので競技会相互の融通が可能になるとの思想である。
   ・ISF6000 L6000mm×W2000mm
   ・ISF5000 L5000mm×W1800mm
   ・ISF4000 L4000mm×W1500mm
 車輪数は3輪以上である。1990年代初期に製作されたソーラーカーはISF6000サイズが主体であったが、2000年以後はISF5000以下のサイズに制限されていることが多い。

6.4 World Solar Challenge

 単一イベントの主催者であり競技団体ではないが、ソーラーカー競技の頂点である同大会の競技規則は大きな影響力を有する。初期はISF会長であるHans Tholstrup氏自身が主催であったためISF規格に準拠した運営がなされていた。車体サイズの主流がISF6000からISF5000に移行する際には車体サイズが L5000mm×W2000mmのCut-out Class が制定された。

・WSC Challenge Class
 2007年には新規格 WSC Challenge Classが規定され、本規格車両の首位を優勝者とし、従来規格の車両は Adventure Class として混走するものの別扱いという形になった。WSC Challenge Classでは、車体サイズはISF5000のままで、ドライバーシートの角度を27度以上に起こすことを規定している。競技用ソーラーカーは空気抵抗低減のために極端に平たい車体になることが多く、ドライバーはほとんど寝そべった姿勢で運転することになり、この運転姿勢が危険であるとの観点である。WSC Challenge Classは2011年のWorld Solar Car Rallieにも採用された。なお太陽電池については面積制限となっており、シリコン太陽電池については6平方m以内、シリコン以外の太陽電池については3平方m以内となている。シリコン以外の太陽電池については特にGaAsを含む化合物系の高効率太陽電池を意識した制限であるが、この規定では化合物系でもCIGS系の薄膜太陽電池、色素増感太陽電池、有機系太陽電池などの新型セルについても不必要に制限されてしまい、再考が必要であると捉えている。
 バッテリーについては、初期の大会ではメーカーの定格値に基づいて容量制限されていたが、バッテリーの定格値の決め方が統一されておらず、さらに試作品的なバッテリーの採用も少なくなかったため、種類別の重量制限に変更された。WSC2011のバッテリー規定は以下の通りである。

 LiFePO4 40 kg Pb-acid 125 kg
 Li-polymer 22 kg Ni-Zn 75 kg
 Li-ion 21 kg Ag-Zn 40 kg
 NiMH 70 kg Ni-Fe 100 kg

6.5 ソーラーカーレース鈴鹿とJAF電気・ソーラーカー部会

6.5.1 ソーラーカーレース鈴鹿の従来規則
 ソーラーカーレース鈴鹿の車両サイズはISFに準じてきた。車輪数も3輪以上と同様である。車両サイズについては当初はISF6000であったが、移行期を経て2001年からは原則ISF5000サイズ以内となっている。太陽電池の制限が面積では無く定格出力値になっている点が特徴的である。
   ・Dream Class(Free Clas) : 480Wを超え、無制限
   ・Challenge Class(Limited Class): 480Wを超え800W以下
   ・Enjoy Class(Limited Class) : 480W以下
 太陽電池の定格出力値による制限はローカルルール的であるが、海外からの参戦チームの装備のほとんどが無制限クラスに該当するため、大きな問題にはなっていない。WSC Cut-out Classの参加については特例的に容認された。

6.5.2 JAF:Japan Automobile Federation 電気・ソーラーカー部会
 JAF:日本自動車連盟は自動車競技に於いてはFIAの日本支部と位置づけられ、FIA公認であるソーラーカーレース鈴鹿の主催者でもあるためソーラーカーの車両規格制定と運用に深く関わっている。
・Solar Car J
 JAFは2006年から「ソーラーカー国内競技車両 指導要項」の中で新規格 Solar Car J を提唱してきた。同規格はシート角度27度以上、車体サイズ L3400mm×W1480mm×H2000mm、で車輪数は4輪、バッテリーは制御弁付き鉛蓄電池のみで50kg以下、太陽電池定格出力が30W以上280W以下という内容である。この規格の太陽電池定格では太陽光電力の寄与は小さく、長時間の連続走行はできない。バッテリー容量も小さいため1時間程度の競技であればレースらしいスピードで走ることもできそうだが、4時間を連続して走るのは極めて困難である。Solar Car Jを採用した競技会は開催されておらず、既存大会に出場しても満足に走れる見込みが無いため、本規格は参加者からは無視されている。JAFはシート角度についてはWSC Challenge Classに取り入れられたと主張している。
・Olympia Class
 2008年1月 JAFはFIA Olympia Class を提案し、2011年以後のソーラーカーレース鈴鹿にて既存クラス車両の出場を停止すると発表した。Olympia Classの車両規格はFIA公認のレース用シート使用を必須とし、車体サイズ L4000mm×W1800mm×H1600mm、で車輪数は4輪、バッテリーは、種類とレースの性格によって重量制限、太陽電池は6平方m以内で種類、定格は不問である。同クラスは形式上はFIA制定となっているが内実的にはJAFが主体で策定されている。
 JAFは続いて4輪限定でシート角度を規定した新エンジョイクラスを制定し、ソーラーカーレース鈴鹿に導入すると発表したがリーマンショックによる不況で大会の最大スポンサーHONDAが撤退し、大会主催者は2011年以後の既存クラス車両の出場停止方針を撤回、新エンジョイクラスの導入も断念された。既存車両の廃止が実行され、鈴鹿が Olympia Class 限定ということになれば(同規格では海外公道レースでの上位入賞は望めないため)モチベーション低下により参加者が激減という最悪の予想は回避された。Olympia Classはソーラーカーレース鈴鹿2008年から導入され、格式的にはFIA代替エネルギー競技の中の独立したカテゴリーとして公認されているが、海外で当クラスを推進する動きは乏しく、鈴鹿のローカルクラス的な位置づけを出ていない。

7.結語

 以上、ソーラーカーのエネルギー事情と公道走行許可との関係を論じ、国内外のソーラーカーによる長距離ドライブ記録、競技会などのソーラーカーイベントの歴史、さらにソーラーカー競技における車両規格の推移について概説した。

 ソーラーカーが使えるエネルギーは1馬力程度であり、一般の乗用車が、過去に蓄積された太陽エネルギー=化石燃料から得ているエネルギーの1/100である。しかし、本来、乗り物が移動・輸送に使って良いエネルギーは、Renewableの観点からはこの1馬力のみ、即ち自立型ソーラーカーこそがエネルギー面から見た乗り物の理想の姿であり、エネルギー大量消費時代を引きずる内燃機関自動車に対するアンチテーゼである。

 ガソリン自動車の進歩が、自動車レースによって推進されてきたように、ソーラーカーにおいても競技会の存在がソーラーカーの進歩を後押ししてきた。ソーラーカーの車両規格は世界各国で開催されているソーラーカー競技会への相互の参加を促進するために統一が図られてきたが、近年は規格乱立の状況にある。参加者の立場からは、日本のソーラーカーイベントがガラパゴス化しないように主催者に対する働きかけを強めていく必要があろう。

 イベント数こそ減じているものの、日本は質・量ともに米国と並ぶソーラーカー大国である。国土面積あたりのソーラーカー台数=ソーラーカー密度では日本が世界一であろう。しかし、日本国内では1994年以後、公道を使ったソーラーカー競技は認められていない。ソーラーカーは一般の人々から隔絶され、閉ざされた競技会場で愛好家だけが競う対象になってしまっている。

 一方、海外のソーラーカーイベントの過半数は公道を利用した長距離競技である。たとえ素人の手作り車両であっても、ひとたび公道上に出れば、一般車と同様に扱われ、一般の人々の目に晒され揉まれながら道を走るのである。乗用車の開発・試験環境としては理想的な環境であるといえよう。

 交通手段のエネルギー問題を真剣に捉えるならば、1000kgもの贅肉を抱えた既存乗用車を改良するのではなく、乗り物の在り方そのものを白紙の状態から見直さなければならない。自立型ソーラーカーが一般人の中で走れる環境こそが、目指すべき姿であると筆者は信じている。

8.謝辞

 本稿執筆にあたり、貴重な資料、画像を提供いただきました江口倫郎様、山脇一様、太田龍男様、桑野幸徳様、他多くのソーラーカー愛好家の皆様に厚く御礼申し上げます。TEAM SUNLAKEメンバーの皆様、筆者をこの素晴らしい世界に引っ張り込んで頂いた事に心より感謝するとともに、他では得難い貴重な経験を共に持たせてて頂けたことを誇りに思っております。
 またAurora Solar Vehicle Associationの元代表、(故)David Fewchuk様からは、調査を進める上で的確な助言と励ましを頂きました。ソーラーカーの開発と啓蒙に力を注ぎ、同時にソーラーカー歴史研究の先駆者であった故人の功績をここに讃えます。




Phaethon2004 ギリシャ市街路を一般車に混じって進む SUNLAKE

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24)ソーラーカーでシルクロード横断に成功, 読売新聞, 2005.10.29.
25)http://sunlake.org/solar/archaeology/archaeology_j/japan2/hamamatsu.htm
26)http://sunlake.org/solar/archaeology/archaeology_top.htm
27)http://en.wikipedia.org/wiki/Tour_de_Sol
28)Sonet Systems No.53., p117.1992.12.21.
29)http://www.volttour.net/vteng/phebus/index.html
30)http://sunlake.org/solar/index_phaethon.html
31)斉藤敬,「ソーラーパワーが翔んだ 第一回ワールドソーラーカーレース」,文藝春秋,1989.01.15.
32)中部博,「光の国のグランプリ ワールドソーラーチャレンジ」,集英社,1994.08.24.
33)Speed of Light, New South Wales Univ Pr Ltd., 1999.07.
34)http://homepage3.nifty.com/JCI/
35)http://www.zdp.co.jp/tvjy/
36)http://www.youtube.com/watch?v=iTbBSdmoAGM
37)http://www.zdp.co.jp/2007/2007wsc.html
38)世界最速のソーラーカー, 東海大学チャレンジセンター, 2010.06.
39)http://www.thesolarled.com/k115-north-american-solar-challenge-nasc.html
40)http://www-personal.umich.edu/~sdbest/solarcar/Scintro.htm
41)http://en.wikipedia.org/wiki/Race_the_Sun
42)http://www.foveal.com/Tour_de_Sol_Reports.html
43)http://en.wikipedia.org/wiki/Hunt-Winston_School_Solar_Car_Challenge
44)Sonet Systems No.43., pp52-53.1989.10.01.
45)http://sunlake.org/solar/wscc2001/index.htm
46)http://www.e-guide.ne.jp/mt/2006/09/38_gp_1.html
47)http://sunlake.org/solar/archaeology/archaeology_j/japan2/designgp.htm
48)http://sunlake.org/solar/archaeology/archaeology_j/japan2/index.html
49) http://www2.ogata.or.jp/

著者紹介
履歴:1979年、鈴鹿工業高等専門学校電気工学科卒。1983年、東京農工大学大学院工学研究科電気工学専攻修了、同年より東洋紡績株式会社総合研究所に勤務し、耐熱高分子材料の応用開発に従事。2006年に太陽能車(ソーラーカー)考古学研究所を設立、Solar Car Poneglyph の執筆をライフワークとする。

ソーラーカー歴 :TEAM SUNLAKEメンバーとしてソーラーカーレース鈴鹿、朝日ソーラーカーラリー、ソーラーバイクレース浜松、エコカーフェスタ、WSCC in Malaysia 2001、Phaethon2004など国内外のソーラーカーイベントに参加。



前田郷司
Satoshi Maeda
ソーラーカーレース会場でのトランペット演奏歴
2001年 WSCC in Malaysia 2001、ブダヤコンプレックス体育館にてTVクルーのリクエストに応じてHAMA零チームと競演し、マレーシア工科大学チームにラッパ(自然管トランペット)でエールを送る。
2004年 Phaethon2004、ギリシャ、イテア港にて即興演奏と出発シグナルを演奏。
2008年 SolarCarRace SUZUKA Aurora Team のピット前にてオーストラリア国歌を演奏。
2010年 SolarCarRace SUZUKA レース終了後のピットレーンにてオランダ国歌をNuon Solar Team メンバーの合唱と競演。


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第一稿  2011.11.04.
last up date  2011.11.19.

Copyright Satoshi Maeda@Solar Car Archaeolgy Research Institute
太陽能車考古学研究所 2006.01.01