Solar Car Archaeorogy Research Institute
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ソーラーカーの歴史 第一巻 年代記

第3章 普及期

The History of the Japanese Solar Car Volume 1 Section 3

年代記(1993-2000)


ポスト ドリーム
夢への挑戦


■■■ 年代記(1993-2000) ■■■


1993年
 欧州ではECがEU:欧州連合に移行、日本では自民党が政権を失い細川連立政権が発足した。米国では前年の選挙で勝利したビル・クリントンが大統領に就任、直後にイスラム過激派の犯行だとされるニューヨークの世界貿易センタービルの地下駐車場爆破事件が起こった。ソ連崩壊により唯一の超大国となった米国とイスラム社会の対峙は、2001年の同時多発テロへと負の連鎖を加速していった。1993年は歴史書の上では世界が大きく変わりはじめた年として記述されることになるのだろう。しかし(不謹慎かもしれないが)私たちの日々の最大の関心事は、冷夏と長雨が引き起こした戦後最悪の凶作による平成米騒動、文字通り毎日の「御飯」の確保だった。私たちはこの年、エネルギーだけでなく日々の食材そのものが太陽の恵みによるものであることを改めて再認識したのであった。

 この年の春、大阪府下の工業高等学校関係者に大阪府環境保険部環境局交通公害課長から
 「高校生向けソーラーカーレース参加意向調査説明会の開催通知について(依頼)」
なる文書が配布された。大阪府主催による環境啓蒙イベント「エコエナジーOSAKA'93」のメインイベントとしてソーラーカーレースが企画されていたのである。最終的に応募した46校からヒアリングと書類選考で選ばれた10の高校に、朝日ソーラーカーラリーの「シャープ(学生)クラス」と同様に太陽電池パネル、モーター、バッテリーなどの装備が配給され、高校生により製作されたソーラーカーによるソーラーカー競技が堺市にて9月に実施された。エコエナジーOSAKAの会場は、翌年の泉佐野市を経て1995年からは万博記念公園に定着し大阪府主催の秋の環境啓蒙イベントとして継続された。

 朝日新聞社は、教育・啓蒙活動的な色合いが濃い朝日ソーラーカーラリーとは性格を異にする本格的なスピード競技として、岡山県のTIサーキット英田において「朝日ソーラーカーレース」を開催した。当初は瀬戸内一帯の公道と大橋を利用した広範囲なイベントを企画したのだが、本年より交通警察当局が一般道を使ったソーラーカーレースを許可しない方針をとったため断念し、元々朝日新聞社グループが主催していたクラシックカーとエレクトリックカーのレースイベントをソーラーカーを取り込んで拡大する形で開催に至った模様である。周知期間が短かったことと、開催時期が5月と、学校関係の課外活動の中では参加しにくい時期であったため参加台数は11台と少なかったが、参加台数は会を追うごとに増加し最盛期には40台を超える規模の大会となった。走行時間は2時間程度と比較的短く、エネルギーマネジメント上は、ソーラーカー競技と云うよりエレクトリックカーレースの延長線上と解釈すべきであろう。

 北海道では2年ぶりにソーラーチャレンジin北海道'93が開催された。
 さらにこの年、秋田県大潟村において、八郎潟干拓地内に設けられた一周30余kmの農道を使った周回コースにおいて WSR:World Solar Car Rallye in AKITA が開催され、海外からの2台を含む65台のソーラーカーが参加した。地方自治体の村おこしとして始まったこの大会の舞台は、八郎潟内に設けられた多目的スポーツ専用コース「ソーラースポーツライン」に舞台を移し、豪州のWSC、米国のSunrayceと共に、世界三大大会と呼ばれるまでに発展した。1999年には自治体からの補助が打ち切られるなどの危機に直面したが、関係者の情熱により学生選手権と併催される形で存続され、ソーラーカーレース鈴鹿とともに日本を代表するソーラーカーイベントとして世界に向けてのメッセージを発信し続けている。

 米国では6月に第二回目となる Sunrayce 93 が開催され32の大学チームが出場した*1)*2)*3)。 また、ハワイ州の Konawaena High School チームが米国本土の西海岸カリフォルニア州ロングビーチから東海岸デラウエア州までの大陸横断を成し遂げた。*4)

 ロシアでは最初の(今のところ、最初で最後らしい)ソーラーカーイベント KUBAN SUN-93 がコーカサス地方の山岳道路と黒海沿岸道路にて開催された。*5)

 WSC1993 に、日本は20チームを送り込む最大の参加国となった。二度目の挑戦となったHONDAは、前回1位のビール工科大学に3時間の差を付けて優勝。3位には京セラの Son of Sun、4位に早稲田大学永田研究室の Sky Blue Waseda が入った。トヨタ(6位)、日産(12位)などのワークスチームに混ざり、ZDP(10位)、美濃ファミリー(21位)、パンダサン(26位)など多くのプライベータチーム、東海大学、芦屋大学も堂々の完走。ルール上の最後の完走車となった北陸電力「フェニックス号」はグランドソーラーチャレンジの代表としての参加であった。*6)

 1993年はWSCでの日本チームの活躍に触発され、さらにソーラーカーイベントが日本各地で開催されるようになったことにも後押しされて、多くの学校関係チーム、プライベートチームが旗揚げした年として記憶されるであろう。表面上はワークスの華やかな活躍が目立ったが、地面の下では次の時代を担う新たな芽が育ちつつあった。Team Sunlake もまた、この年に産声を上げたのであった。

*1) http://www.formulasun.org/history/sunrayce_93.html
*2) http://www.pbs.org/safarchive/4_class/45_pguides/pguide_403/4543_sun.html
*3) Sonet Systems No.55 (1993.SUMMER),p84.
*4) http://www-personal.umich.edu/~sdbest/solarcar/transtrip.htm
*5) Sonet Systems No.55 (1993.SUMMER),p84.
*6) 中部博, 「光の国のグランプリ」,集英社, 1994.08.24.


1994年
 7月、琵琶湖北西岸の新旭町の新旭風車村一帯を利用し、湖西線開通20周年イベントとして「琵琶湖ソーラーフェスティバル」が開催された。湖国滋賀県にて開催された最初のソーラーカーイベントであった。当初は琵琶湖岸道路を含む広いエリアを利用してのイベントが企画された様であるが、前年より交通警察当局が公道を使用してのソーラーカーレースを許可しない方針を打ち出したため、やむを得ず公園ラリー形式に準ずる形での開催となった。

 ソーラーカーイベントは全国に草の根的に広がり、釧路筑波にて小規模ながらもソーラーカーレースが開催された。また、クラシックカーレースに併催される形ではあったが年4回のシリーズ戦の形式でエレクトリックカーのスプリントレースが筑波サーキット富士スピードウェイ等において開催され、オープンクラスにソーラーパネルを取り外した(ないし結線を遮断した)ソーラーカーがエレクトリックカーとして出場した。

 8月のソーラーカーレース鈴鹿の上位は前年のWSC出場組でほぼ独占された。トヨタ、日産、京セラは出場せず、1位と2位をしめたホンダのドリーム号も鈴鹿のレースイベントに姿を見せたのはこの大会が最後となった。

 ワークスチームが主役を演じる時代はここに終わりを告げ、プライベータ、大学、学校関係、同好会チーム等によるポストドリーム時代が幕を開けた。



1995年
 1月17日未明、初期微動と地の底から湧き上がるような地鳴りに飛び起き、反射的に隣で眠っている子供に覆い被さった。直後の激しい揺れ、6433人の犠牲者を出した阪神・淡路大震災であった。折からの積雪で湖国の道路は大渋滞、ようやく昼前にたどり着いた勤務先で目にしたTVには、SFX映像と見紛ってしまい俄には現実とは思えないほどにショッキングな光景が映しだされていた。
 震源に近い、朝日ソーラーカーラリー発祥の地である神戸市は大きな被害を受けた。関西地区のソーラーカーチームの多くが、直接、間接になんらかの被害を受けたものと思われる。神戸市の隣、芦屋市の山手にある芦屋大学では、倒れた棚の下敷きになり名車スカイエース(一号車)のソーラーパネルが損傷を受け、また学校自体の復興を優先するために翌年に予定されていたWSC1996への参加を見送ることとなった。

 五月には東京都立川市において(社)立川青年会議所「JC立川」が主催したパレット祭りが開催され、国営昭和記念公園においてソーラーカーイベント「パレットソーラーチャレンジin国営昭和記念公園」が行われた。  夏の鈴鹿ソーラーカーレースではアウトドア雑誌の呼びかけに応じて結成されたアマチュアチーム:ZDP(Zero to Dawin Project)のBe−Pal号が総合優勝、2位に大阪産業大学、3位に豊田自動織機の企業内クラブチームであるMARKSソーラーカーチームが入り、Todayクラスの優勝はプライベートチーム「キョンシー」。まさにポストドリーム時代の開幕に相応しく、様々なバックグラウンドを有する個性的なチームの熱い戦いが繰り広げられた。  秋には震災の生々しい爪跡が残る中、例年通り神戸にて朝日ソーラーカーラリーが開催され、復興にむけて歩み始めた街の姿を全国に発信した。関東地区ではエコメッセ千葉と共催する形で、幕張海浜公園にて朝日ソーラーカーラリーが開催された。

以下、工事中
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