Solar Car Archaeology Research Institute

ソーラーカーの歴史 序論 最初のソーラーカー
The History of the Solar Car / The First Solar Car

7."Sunshine", Hajime Yamawaki

  Hajime Yamawaki (Private - Hama Zero), Japan, 1982-83.
  山脇一(プライベート、当時は日産自動車勤務、後にHAMA零設立)日本 1982-83年

 現ハマ零チーム主宰の山脇一氏が、ガソリン/ソーラーのハイブリッドエコランカー「サンシャイン号」を1982年に製作し、1983年、鈴鹿サーキットで行われたマイレッジマラソンではソーラー電力をエンジンのスターターモーター駆動に利用。さらにレース終了後の10月、エンジン付属のダイナモ部分をモーターに改造して駆動系をハイブリッド化した。浜松市での試走風景が中日新聞とモノマガジンにて紹介された。発進、加速時にガソリンエンジンを用い、定速巡航時にはソーラー電力によるモーター駆動で走るという、現在の市販ハイブリッドカーとは逆の発想である。*7a)*7b)*7c)*7d)



Hajime Yamawaki's Solar-Gasoline Hibrid Mileage Car "Sun Shine"
画像提供:山脇一氏


 マイレッジマラソンにおける走り方には、比較的低速の一定速度で走る場合と、登り坂を素早く登り、下り坂でエンジンを止めて間欠運転して距離を伸ばす走り方とがある。後者は比較的高速度で距離を稼ごうとする場合に有利とされているが、エンジンの再起動を頻繁に行わなければならず、バッテリー容量を増やす必要が生じてくる。しかし、重さが嵩張るバッテリーはできれば小さくしておきたい。そこでエンジンの起動にだけ太陽光発電で得られた電力を使おうという考え方である。電力を走行そのものには使用しないためレギュレーション上OKであったとのことである。*7a)*7c)



Hajime Yamawaki's Solar-Gasoline Hibrid Mileage Car "Sun Shine"
画像提供:山脇一氏


 サンシャイン号は日産自動車の社宅ベランダで製作され、解体時に型取りし、ミニ・ソーラーカー「莢(さやか)号」の原形となった。*7a)



Hajime Yamawaki's Solar-Gasoline Hibrid Mileage Car "Sun Shine"
画像提供:山脇一氏


参考資料
*7a) 山脇一氏インタビュー(2006.10.06.-2010.11.12.)
*7b) 太陽エネルギー, vol..14,No.2, 通巻64, p.34, 太陽エネルギー学会, 1988
*7c) 「手作り省エネ「マイレッジカー」」, 私のくるま, 株式会社JAF出版社, No.67, p110-111, Sep.1983.
*7d) 「太陽光で走るソーラー電気自動車」, モノマガジン, KKワールドフォトプレス,vol.3, No.8, p46-47, JUl.1984.
1983年11月 シェル−カーグラフィック主催「マイレッジマラソン」に出場  FRP製ボディに、20枚の太陽電池(推定「京セラ」製)を搭載 最高速85km/hr 当時のチーム名は「浜松05レーシング」

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The First Guinness World Record of Highest speed by solely solar-powered vehicle


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第一稿   2006.01.01.
追記    2006.09.24.
追記    2006.10.14.
一部訂正  2007.08.07.
引用ウエブサイトについて更新  2010.10.05.
全面改定 2010.11.12.

Copyright Satoshi Maeda@Solar Car Archaeolgy Research Institute
太陽能車考古学研究所 2006.01.01