Nikkan Fanfare Trumpet Memorial

ニッカン・ファンファーレ・トランペット 保存会

ニッカン・ファンファーレ・トランペット概説

1.型式と仕様

 「ニッカン・ファンファーレ・トランペット」は1962年前後にニッカン:日本管楽器株式会社によって開発され、極少数が生産されたファンファーレ演奏専用のトランペットである。ニッカン・ファンファーレ・トランペットには仕様が異なる2つのモデルの存在が確認されている。

   No.1F型
   No.4F型

 ともにBb管、その管の巻形状は他国、他社に類例を見ない独特のものである *1)。 各々、当時のニッカンの通常型トランペットであった No.1型 と No.4型 がそれぞれのベースとなっている。この内、No.4F型が、東京オリンピックの開会式におけるファンファーレ演奏に用いられたことが明らかになっている *2)。


ニッカン No.1F型 ファンファーレ・トランペット


 No.1型トランペットは当時のニッカンの普及モデルである。No.1F型ファンファーレ・トランペットは、管の取り回しこそ異なるものの、細部の仕様は通常の形のトランペットと大差ない。一方の上級モデルであるNo.4型と比べれば少々見劣りするのは否めないが、それでもなお、そのピストンケーシングや支柱の形状に、楽器が貴重品であった時代に作られたという風格は十分備えている。製造番号は第二ピストンケーシング横に「621XXX」と、通常の流通品と同じ書式にて刻印されている。

 No.1F型ファンファーレ・トランペットについては、製造番号から東京オリンピックの2年前の1962年に製造されたという以外、詳しいことは解っていない。オリンピックの2年前という時期からして、試作ないしプロトタイプ的な位置づけであった可能性も否定できない。


ニッカン No.4F型 ファンファーレ・トランペット


 一方のNo.4型トランペットは当時のニッカンの最高級モデルであり、抜き差し管やピストンバルブに、後のImperialeモデルに通ずる細やかな加工がなされている。ピストンケーシングを一見して解るようにヘビーモデルである。No.4F型ファンファーレ・トランペットもまた同じ部品仕様にて製作されており、最高級モデルをベースにしたカスタムモデルであったことが解る。外形上注目すべきは、通常は右側に出ている第二枝管が左側に出ている点である(No.1F型は通常のトランペットと同じく右側に出ている)。

 No.4通常モデルの製造番号はNo.1型と同じく第二ピストンケーシング横に6桁のアラビア数字で刻印されている。しかし、No.4F型ファンファーレ・トランペットについては「No4 (改行) XX」とNo.4型がベースになっていることを示す型式と二桁の番号のみが刻印されているのみである。一般流通品と異なる書式のナンバーが刻印されているのは、この楽器が「特別」な扱いを受けていたことの証に他ならない。

2.東京オリンピックとファンファーレ・トランペット

 先に述べたとおり、東京オリンピック開会式でのファンファーレ演奏に用いられたのがNo.4F型ファンファーレ・トランペットである。

 No.4F型ファンファーレ・トランペットの生産本数が、少なくとも30本であったことが、オリンピック東京大会開会式において聖火台下に整列した30名のファンファーレ隊の写真画像がわかる。生産総数については全く資料を持ち合わせていないが、予備の楽器を含めても100を超えることはまず無かろう。ファンファーレは開会式に先立ち、開会式以前に行われた聖火の集火式や前夜祭でも演奏されたことが解っている。また各競技毎の開会・閉会(表彰)式でも演奏されている。開会式以外の場でのファンファーレ演奏にどの楽器が使われたのかは明らかではない。これについては項を改めて述べることにする。


東京オリンピックの開会式でのファンファーレ演奏中の画像 *3)
同拡大画像


3.ニッカン・ファンファーレ・トランペットの時代背景と意義

 1964年は東京オリンピックが開催された年であるとともに、ニッカン:日本管楽器製造株式会社に親会社の日本楽器製造株式会社(現ヤマハ)からの技術指導が行われ、両社の経営統合(ニッカンは1970年にヤマハに吸収合併された)に向けての第一歩が踏み出された年でもある。この年を境に、ニッカン・トランペットのラインナップは大きく変更された。海外からの輸入品に対抗できるレベルの上級グレード「Imperiale」モデルが生まれ、Imperialeモデルから選別された個体にYamahaマークが付けられたヤマハブランド最初のトランペット「YTR-1」が販売され、代わりにNo.1〜の旧ニッカントランペットは廃盤となり、No.4トランペットも姿を消した。

 ニッカン:日本管楽器製造株式会社は、明治25年創業〜1970年、日本楽器株式会社(現ヤマハ株式会社)に吸収合併されるまで、明治〜大正〜昭和を通じ、国産管楽器の製造開発を担った企業である。国産管楽器の歴史は明治前後からの日本への西洋音楽導入と発展の歴史と重なる。今日の、自衛隊、警察、消防などの音楽隊に続く軍楽隊の歴史とも重なる。音楽の普及は経済成長により生じたゆとりを計る尺度にもなろう。日本への洋楽導入史、ニッカンとヤマハの歴史については頁を改めてまとめてみたい。

 ニッカンとヤマハとの関係が資本関係を超えて技術提携に踏み込んだ1964年からニッカンがヤマハに吸収合併された1970年まで、東京オリンピックと大阪万国博覧会という象徴的なイベントの開催年に重なるこの期間は、戦後が終わり、日本の高度経済成長の離陸期となった時期である。

 戦後の混乱からの復興期、一般の人々に管楽器を購入して自ら演奏を楽しむだけのゆとりはなく、学校教育の場に吹奏楽団を持ち込めるほどに社会資本も充実していなかった時代、管楽器の供給先は、主に警察、消防、自衛隊など官製の制服音楽隊であったろう。

 高度経済成長期に入り、学校教育の場に吹奏楽が持ち込まれ、一般バンドが次々と誕生、管楽器の需要は加速度的に伸びたはずである。ニッカンへのヤマハの介入は、このような時代を先読みし、手工業的な職人仕事であった管楽器の製造販売事業を、市場予測/大量生産的な事業形態へと転換するために行われた物と解釈できよう。量産型楽器とカスタムメイド楽器とをバランスよく両立させながら、高度経済成長の波に乗ったヤマハは、今日、世界最大の管楽器メーカーの地位を築くに至っている。

 振り返れば、高度経済成長という時代の大波が動き出す直前期、明治25年の創業から一貫して国産管楽器を作り続けてきたニッカン最後の純血種、それがニッカン・ファンファーレ・トランペットであったことが理解できよう。ニッカン・ファンファーレ・トランペットは長いニッカンの歴史の最終期に、日本の戦後復興を象徴するイベントであった東京オリンピックの開会式でファンファーレを演奏するために生み出された記念碑、ニッカン楽器職人の渾身の力作だったのである。


*1) ファンファーレ・トランペット

 所謂「ファンファーレトランペット」と称されるものには、バルブシステムを持たない自然管ファンファーレトランペットとバルブシステムを持つ近代のファンファーレトランペットの二種がある。

 ・自然管ファンファーレトランペット
 ナチュラルトランペットとも呼ばれるあ。同じ自然管である信号喇叭は円錐管楽器であるビューグルをルーツとし、持ち運びと演奏上の便宜を優先して巻数を増やしてコンパクトで実用本位の短めの外形にまとめられていることが多い。一方、自然管ファンファーレトランペットは、円柱管を主体とし、外形的にも直管ないしせいぜい1重巻で、祝典演奏時に栄える長い外形とフラッグを装着する金具などを装備した物が多い。

 ・近代ファンファーレトランペット
 今日のトランペットと同じく3本のバルブを有し半音階演奏が可能である。通常のトランペットとの相違点は外形のみで、管自体の長さは変えずに、フラッグが装着できるようにベルを長く延ばしているため、巻き方の工夫が必要となる。本サイトにて扱うファンファーレ・トランペットは近代ファンファーレ・トランペットである

 ・アイーダトランペット
 ベルディの歌劇「アイーダ」の第二幕の凱旋の場では、総譜にて「エジプト式トランペット」を使用することが指定されている。初演当時には特注でこの曲を演奏するための専用の楽器が製作され、興行権を有する劇場から、楽譜一式と共に上演される歌劇場に貸し出された。俗にアイーダトランペットとよばれるこの楽器はマウスピースからベルまで曲管が全くない直管トランペットで、1番バルブに相当するピストンのみを有する特異なファンファーレ・トランペットである(凱旋の場で演奏される行進曲風の旋律は、Ab管、H管であれば1番バルブだけで演奏できる。)。なお現在の上演ではYAMAHA製の楽器が使用されている。直管ではあるが通常のトランペットと同じ3つのバルブを有し、C管である)。

*2) 本サイト序文、および航空中央音楽隊の項参照。

*3) 「実用レコードシリーズK ファンファーレ集II」のジャケット写真, 日本コロンビア GA-12, 1976年1月プレス


公開 2008.02.15.
画像追加 2009.01.17.

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